劇作家・文筆家│佐野語郎(さのごろう)

演劇・オペラ・文学活動に取り組む佐野語郎(さのごろう)の活動紹介

「演劇研究クラス」前進!

2007年11月18日 | 日本橋女学館高校
 日本橋女学館高校「演劇研究クラス」が2年目の2学期に入り、エンジンがかかってきました。3年次の1学期に行われる「卒業公演」を目指して、2年生の授業が準備態勢に入ったのです。現在2年生である一期生にとってはもちろんのこと、学校としても初めての卒業公演となります。
 まずは、担当講師たち(「作品研究・基礎演技・身体表現・ダンス」)による脚本選定から始まりました。高校生にふさわしい内容、出演する生徒の人数にも合う登場人物、上演時間1時間以内、しかも生徒たちの興味を引き、指導する講師たちも意欲を掻き立てられる作品、…となると、おいそれと見つかるものではありません。しかし、幸い「灯台下暗し」で、K講師の友人の手になる優れた脚本があり、それを原作として、こちらの条件にぴったり合うように、K講師が上演台本を執筆することになったのです。
 私は演出担当なので、舞台装置・照明・音楽スタッフとのプラン作りや、舞台監督との打ち合わせを進めています。台本は、稿を重ねるほど面白くなり、切れ味鋭く、テーマも明快になりました。
 生徒たちは、確定した場面からセリフを覚え、立ち稽古に入っていますが、演技の練習ばかりでなく、衣装・小道具などの製作プランも出し合うことで、クラスには、『自分たちの公演だ』という意識が高まってきています。
 そんな折、桐朋芸術短期大学の安宅教授が来校され、授業見学の運びとなりました。熱心に見学された後、『生徒たちが自ら意見を出し合い、練習を進めていることに感心した』と感想を述べられました。近い将来、演出家・蜷川幸雄氏が学長を務められているこの大学へ進路希望を出す生徒が現れるかもしれません。
 ともあれ、歌舞伎の上演も可能な「日本橋公会堂」という檜舞台が卒業公演の会場になります。大変贅沢なことですが、現在、本校舎は全面建て直しの工事中のため、学校所在地である中央区の公共施設を利用することになったというわけです。
 さて、一方、1年生もたいへん元気です。呼吸・発声・早口言葉などの基礎練習をはじめ、朗読・パントマイム・エチュード演技・ダンスの授業を意欲的に受けています。2009年度には、8階建て新校舎、その5・6Fには舞台設備が完備した多目的ホールが完成します。その学校施設が、彼女たち2期生以降の卒業公演の会場となるのです。

*写真左上は、出来上がった台本を胸にはじける2年生。
 写真右上は、仲間の練習風景を記録する生徒(左)、授業見学中の校長先生(中)と安宅先生(右)。
 写真左下は、ある日の授業後、ご機嫌な1年生。
 写真右下は、建て替え工事中の本校舎。


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タイプライターに始まりパソコンまで

2007年11月06日 | 随想
 商業高校2年生の夏休み、私は学校の英文タイプ室でひとりタイプのキーを叩いていた。母校には選択科目として書道・和文タイプ・英文タイプがあって、その頃、東京外国語大学への進学を目指していた私は、迷わず「英文タイプ」を選んだ。普段は文芸部とバドミントン部の活動でタイピングの練習時間が取れなかったため、部活動のない期間を選んで通い詰めたのである。タイプ室は、それほど広くはなかったが、アンダーウッド社製とレミントン社製のタイプライターがずらりと並んでいた。「英文タイプ履修」の生徒自体も少なかったが、夏休みにタイプ室に通う者はいなかった。私は窓際の前方の席を占有し、「gg・hh/…」と教本通りのキータッチを練習した。朝陽を受けてぼんやりと明るかった曇りガラスと‘英文タイプ室’と墨書された木札に括りつけられた細長い鍵の感触が今でも残っている。
 高校を卒業して、銀座の貿易会社に勤めていた頃だった。昼食後は、「クロサワ」(8丁目にあった事務機器店)のショーウィンドーを覗くのが日課だった。厚いガラスの向こうには、スミスコロナ社製のタイプライターが鎮座していた。¥24,800のプライスカードを何度も眺めながら、ふとショーウィンドーに映っている自分の姿に気づき、その場を離れた。高卒の給料が¥9,000だった時代に、私は¥20,000の給料を取っていたが、それでも、タイプライターは高嶺の花だった。ショーウィンドー越しに見たスミスコロナの「赤いTabキー」が眩しく目に焼きついている。
 さて、それほど欲しかったタイプライターが買えるようになった頃、世の中には「ワープロ」なるものが出回り始めていた。当初は高額で手が出なかったが、やがて価格も手頃となって20年来の夢を叶えることができた。しかも、そのワードプロセッサーは、英文タイプライターとしてばかりでなく、和文タイプライターの機能も備わっていた上、編集も自在、文書保存も可能となれば、事務機器としては願ったり叶ったりの代物だった。英語の非常勤講師時代は、テストの問題作りに威力を発揮してくれた。英文も和文も一つの文書に構成できるので、問題用紙・解答用紙の原版作成も容易となり、生活必需品となった。演劇の非常勤講師時代になると、演劇概論・戯曲研究の講義プリントの作成、特に脚本執筆の際には、草稿・推敲・完成稿脱稿まで、どれだけ重宝したか分からない。特に3台目のワープロ(写真上)は、ディスプレイを縦型にもスピン出来たので、とても便利だった。しかし、残念なことに10年間よく働いてくれたこの器械もついに先日寿命が尽きてしまった。
 ワープロで用が足りていた私も、パソコンを購入せざるを得ない時が間もなくやって来た。日本演劇学会の活動で、大会案内などメールの送受信が必要となったためである。事務機器の用途に加えて、通信機器(インターネット)としての機能を備えたパーソナルコンピュータを導入したことで、多くの人たちとの交流がいっぺんに広まり深まった。また、演劇活動を展開する上でも、パソコンが無くては活動自体が継続不能となるくらいの‘必需品’となっている。初めてのパソコン(写真中)も7年間の使用で不具合が生じたので、先日2代目のデスクトップ型(写真右下)と交代することになった。お役御免となった機器たちは私のささやかな活動を支えてくれた言わば同士であって、処分することに対して慙愧に耐えない心境である。


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