劇作家・文筆家│佐野語郎(さのごろう)

演劇・オペラ・文学活動に取り組む佐野語郎(さのごろう)の活動紹介

「詞」――歌われるための文学~オペラおよび歌曲を中心として⒂

2022年05月24日 | オペラ
 「越路吹雪のロングリサイタル」は<ドラマチックリサイタル>という冠が付くようになり、最大のヒット作『愛の讃歌-エディット・ピアフの生涯』が生まれる。
 浅利慶太は、劇中劇形式を取り入れ、ピアフの名曲20曲を組み込む。劇団四季の俳優たちをギリシャ悲劇におけるコロス(舞踊合唱隊)にして、ピアフの一生(出生・結婚・死)をドラマチックに語らせ展開する。越路は主役ピアフを演じるとともに、各場面でその代表曲の数々を歌い紡いでいくという構成である。
 この斬新な作品は評判を呼び連日客席は埋まる事態になったが、同時にそれは公演の看板である越路に充実感を与えるとともに、責任からくる重圧にも耐えなければならないという側面も持っていた。
 かつて本物のピアフの歌を聴くために渡仏し、その深さと激しさ、躍動するシャンソンの見事さに打ちのめされた記憶を抱えつつ、親友の岩谷時子が自分のために翻案してくれた詞を歌い切れるか。自分の根っこから湧き出る悲しみ・切なさ・希望・迷い・歓びを聴衆は受け止めてくれるか。スターでありながらその胸は不安で膨らむばかりであった。
 浅利慶太は、稽古に向き合う越路に、これまでの体験~俳優たちと芝居を作り上げていく~とは異なるものを感じ取っていた。
「ケイコしていてつくづく感じるのですが、越路さんという人は、実に「苦しむ人」なんです。こういう話はこれまで公開したことはないのですが、この3年くらい彼女は苦しんでいます。たとえば愛の讃歌をケイコしていて、「あなたの燃える手で私を抱きしめて」と歌いますね。これを彼女はもう何千回も歌っているわけでしょう。ところが、当の彼女だけが、この歌に対して、歌うたびに白紙の状態なんです。ケイコ場で、ひとり自分の手を見つめたり、恋する人の手というものを想定しながら「あなたの燃える手で」「あなたの燃える手で」と繰り返している。これはどういうイメージなんだろうと苦しんでいる。『愛の讃歌』にしても『サントワマミー』にしても、あれだけ歌いこんでいて、「むつかしい」「どうやって歌おうか」ということなんです。みていると痛々しい感じがする」。
「しかし、この辺に越路吹雪の芸というものの秘密があるのではないかと思います。演出家というものは、俳優の苦しみの証人なんでしょうね。ぼくは、だまってケイコを聞きながら、「そこのイメージはこうではないか」「そこはあなたの求めているイメージとちょっとズレた」とかアドヴァイスしてあげるわけだけど、1曲やるのに1時間くらいかかる。歌詞からじっくり掘り起こしてゆくということですからね。二人だけで数時間ケイコして、終るとゲッソリしている、くたくたになっているわけですね。とにかく、かの女の芸に対する執着、考え方は、実に過酷で、見ていて気の毒になります。もっといい気持になったっていいんじゃないかという気もします。しかし、自らをさいなんでゆく努力、ある意味では幸福であることを拒むその姿勢が、越路吹雪のあの栄光を支えているのだと思います」(演出家は語る 越路吹雪リサイタル シャンソンドラマチック 公演パンフレット1976) 
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