<そんなつもりじゃなかったのにスペシャルー>
中居 「どうもこんばんは(笑)中居です。あのー そんなつもりじゃなかったんですよ(笑) あの・・なんでしょ? え?先週の放送で(笑)なんか・・ あの・・うちの父ちゃん亡くなった話したじゃないですか・・。ま、今日はその後半を話そうとは思うんですけど。」
「すんげー友達から(笑)連絡があって・・「お前すげーテレビとかネットとか すっげー出てっけど大丈夫か?」みたいな。 「え?俺、知らねー」なんつってて。」
「・・・あの・・僕、そんなつもりじゃなかったんですよ。 ホント、個人的な(笑)ことで・・・ あの、ホラ、ラジオなんで・・あの・・お父さん、テレビとかに出てて・・で、ほらっ ね?ファンのコとかも知ってるから。 ラジオなんてさ、ほら・・ファンのコ以外 聞いてると思わないじゃん。」
「・・・こう・・ちっちゃく、ちっちゃくさぁ・・ね?なるべくタイムリーにならないように、とかさ。 あんだけさぁ、そんな風に言われるとさ、なんか・・ これちゃんとしなくちゃいけなくなっちゃうよね? ・・・・・・・ ちゃんとした、仕事としてやんなきゃいけなくなっちゃうってことでしょ?コレ。」
「それ困ったな。俺もう、やめよっかな、これ。 フッ(笑)ハハ」
「・・・ホントにあの・・そんなつもりじゃなくですね、あの・・今日はあの・・後半のお話しというか・・その後の話を続きをお話ししますけど、あのぉー・・ まあ、それはでも・・ うちのお父様は・・喜んでいらっしゃるのかな? そう考えると どうなんだろね?・・うん、俺だってその後さ、あのぉ・・お父さんち行ってさ、チーンとかやっててさ 「なんかすげー有名人になっちゃってるよ」みたいな(笑)フッ ハハハ・・」
「 「親父、すげーことになっちゃってんぞ」っていう話は、伝えたは伝えたんだけど(笑)・・・・ まあま、あのすっごいもう時間も経ってますので、もう なによりも僕、普通・・全然大丈夫ですから。 えー・・・ じゃあ。「ねぇ・・・」 聴いて下さい、どうぞ。」
曲: ねぇ・・・
~CM明け~
中居 「どうも改めまして中居です。先週、あのー・・聞いてない人もいらっしゃると思いますけど、えー・・僕のお父さんが えー・・今年、2月の19日に79歳にして・・えー・・亡くなりまして。 えー・・お葬式も密葬で、えー・・四十九日も・・えー 滞りなく終わったということで。 えー、僕にとってもだいぶ落ち着いてきたということで、えー・・この時期の報告になって・・えー・・しまいまして・・申し訳ないなと思いながら、ちょっと時期をずらさせていただきました。」
「せん・・え?先週あれか。 亡くなる一カ月前ぐらいまで話したのかな?」
「ま、入退院をずっと繰りか・・ホントね、ん?まさに“闘病生活”ってこういうものかな っていうのと・・・」
「・・・・・・ま、家に居る時はやっぱ介護だね・・ 介護生活ってこういうことなんだなぁーって ・・・うーん・・・」
「ホント、こんなこと言ったらあれですけども、僕はぁ この8月に入院して3カ月間入院して、それから入退院繰り返してるパパ見てたらね、もうホントに申し訳ないけど、生き地獄だね。 うん。」
「ずっと痛いんだって。 ・・・うん。 ずーっと苦しいんだって。」
「で、いっつもさ メールで朝さ、ウチね・・あのー・・その3カ月。 去年の3カ月の入院退院してから、携帯をね、携帯を開けただけで・・ あのね、“元気ですよメール”っていうのがあるのよ。 「起きたよー」って。 うん。 それを設定するのよ。 それがまた朝早いんだ!ホントに。」
「でも、それは・・ね? 離れててさ・・パカッと開けただけでも、俺は・・『パパ 元気ですよメール』っていうのがね、『ピース』っていうのが出てくるのよ。」
「 あ、今日起きたんだ。 って」
「そんな中で・・やっぱりね、う~・・・ん・・メールでこうやって話してても もう 『今日の苦しみは たぶんダメな苦しみだ』とか。 うん。もうちょっと・・・『もうホスピスを頼んでくれ』とか。(笑)・・色んなのが・・(笑) こっちもね、やっぱ気持ちが沈むんだよね。」
「まあま、でも俺も沈んでる場合じゃない っていうか。 やっぱり、親父がもっと苦しい思いしてるわけだから。 まあ、俺はこんなこと耐えられないとか言ってる場合じゃないな、っていう。」
「またじゃあ違うスープの・・じゃあ今度はクラムチャウダーとか、うーん 今度はなんか えっと・・野菜をにんじんとか玉ねぎとかを細かくしたコンソメスープとかさ。 なんかもう・・でね?面白いことに・・あのー・・一番最初持ってった水筒があるじゃん?水筒型弁当あるでしょ? でさ、それが食べ終わるのがやっぱり2日間ぐらいかかるかな、と思ってさ。」
「で、次 作ろうと思った時、俺んち弁当箱が無いのよ。 で、またさぁ 買いに行かなきゃいけないの。 で、また買ってさ。 んで、また持ってって。「これ食べなー。 これ、こっちな~」・・・て、これその日持って帰りゃいいんだけど持って帰るの忘れちゃうのよ。 ・・・・・ で、まーたやっぱ買わなきゃいけない。」
「おウチに弁当箱4つ買ったからね! フッ(笑)ハハハ・・。 全部同じなの!」
「あと水筒? 水筒っていうの?あのね、あったかいのをずーっと保存できる水筒と、冷たいのを保存できる水筒っていうのがあって・・それでぇ・・僕たちには何が出来るのかな~?・・・つってぇ、亡くなるねぇ・・10日ぐらい前かな。 その前からちょっと・・「藤沢へ行こう」と。 僕の生まれ育ったところ。」
「藤沢に行って、・・・・生まれ育ったところを回ろう、と。 鵠沼と辻堂に行こう、と。 よし、それ行こう!つって。」
「んで・・・ホンっトもう・・これはね ウチの会社にも凄く助けてもらいまして。そう、そん時もね、「ひろちゃーん、そろそろなんかドライブでも2人でしたいな」ってメールがきてたのよ。」
「で、俺はその日 無理だったから「おぉ~ いいね!」つって「どういうコースがいいか考えといてな」っていうメール送って。 ・・そしたら・・・「なんだ今日じゃねえのか?」つって・・。」
「 「今日じゃないじゃないと俺、ダメなような気がするなー」みたいな。 「いや、行けるよ 行けるよ」なんつって。結局、2人ではやっぱ行かなかったのかなぁ・・。誰かしら、チビが居たりとか。」
「で、地元に行こう・・つってね、ウチの会社の移動車っておっきいワンボックスみたいな。 それをね、2台。 パパ用と。 パパ、フルフラットで毛布をさ、こう・・もう包むのもなんかね、包まれ過ぎて暑いんじゃないかってぐらい包んで。 結局その時期からもう、2月・・1月中旬ぐらいからずっと車椅子だったので、んで・・最初、鵠沼行ったのかなあ・・・」
「キャッチボールで・・その当時っていうか、僕が小さい頃のアルバムを持ってって。 そしたら、その住んでるところのさ、俺が野球やったとか・・ ここ、壁当てた、とか・・ ここで俺が、素振りやってさ・・ お父さんに全部こう再現して・・・「ここ親父覚えてるか~?」つって、写真・・写真と照らしながらそこに立ったりして。」
「ここで死ぬほどやったよな~・・・なんつって。」
「で、親父もなんか・・ちょっと興奮してるのかな? でも、その時も外出許可書がね、5時間しか持ちません、って言われたのよ。 呼吸がもうたぶん持たなくなるんで・・つって。」
「だから、12時に出て。 1時半に着いて。 なんとか・・3時半に出れば、2時間はいれる!みたいな。 ・・・そんなんで鵠沼行って、そこの生まれ育ったところ行って、う・・・ん・・ それがまあ ちょっと楽しかったかなぁ~ お父さんも楽しかったんじゃないかなあ・・あれ。」
「 『お前、ここでケンカしてさあ』みたいな話をなんか・・」
「 『俺、覚えてねえなあ。もう野球しか覚えてねえよ』って・・」
「 『ここで思い切って親父が打って、あそこのおばちゃんち入れちゃってさあ・・俺が・・親父がボールを入れたのに俺が取りに行って、俺が怒られてさ・・・パパー!パパー! つっても、親父来てくんなかったの俺スゲェ覚えてるよ』つって 大笑いしたの俺ら。」
「 『じゃ、次 辻堂行こっか』 辻堂行って、・・・・ああ、ここでこうこう、こうだったね・・ここで酔っ払ってさあ・・血だらけ帰ってきたよなあ・・って鉄格子・・なんかさぁ、金網みみたいなところに・・もう坂道なのよ。ゆるい坂道で下ったところがウチなんだけども、もうそこの全部 ガガガガガガッて帰ってくんの。 血まみれで帰ってくんのよ。」
「 「お父さん、どうしたの?」 「やー、分かんない。気が付いたら血が・・・」・・次の日になったら覚えてない、っていうのがもう。 それが行けたのが良かったな・・でもね、それから神社行って・・・ 神社行こうとしたら、もう・・パパがもうギブだ、つって。 「病院戻してくれ」って。」
「そん時思ったね。 「病院に戻してくれ」つったの初めて聞いたのかな。」
「 「家に帰りたい」じゃなくて、「病院に戻してくれ」って。 でも相当、苦しかったんじゃないのかなあ・・って(氷カラカラ音)」
「・・でぇ・・亡くなる・・ 5日ぐらい前かな・・その・・だから地元行った次の週の日曜日か。 「何しよう」つって。 “お父さんちに帰る計画”を・・ ずっと帰ってなかったから、帰る計画を考えてるからって。それまでな・・つって。 とにかく、万全な体調を病院でやって・・また・・また、メシ持ってくるからな・・・なんつって。」
「んで・・最後かな・・それが最後だったのかなあ? ちょうど・・もう忘れもしない、前の日がね土曜日だ。 前の日がMステだったのかな?「華麗なる逆襲」を・・・・やった時かな・・」
「で、その次の日ぐらいから、俺、仕込みだ!つって。 ・・カレーも・・カレー、具材だけ買って、切って、あとは入れるだけにしとこう・・炒めて、そのまま置いといて・・みたいな。 あとは「爆弾」・・つってさ、お父さん好きなのよ。 あのね、マグロとタコとイカとホタテとエビをね、もうみじん切りにバァー・・とやって、それ納豆で混ぜて、それ海苔に巻いて食べるってのがね・・これと、あとイカとしょうがとみょうがの・・これ、いつものパターンだろ~・・って。」
「あと一応、焼き鳥を細か~く・・焼き鳥ね、俺買うしかないからさ・・ 焼き鳥買ってきて・・ほんでちょっと細かく切っときゃなんとか食うかな?・・で、カレーと。」
「で、スタンバイして・・ で、泊まろうかな~?と思ったんだけど、夜中・・結局、3時4時ぐらいに帰ったのかな・・」
「で、次の日も昼ぐらい・・昼前に来たんだけど・・ 結局ね、病院で「しんどい、しんどい」だったから。 で、「やめる」と。 結局、10人ぐらい来てたのよ。 東京の友達・・・地元の友達とかさ・・」
「ほんで・・玄関の・・マンションの玄関の下まで来てんだけども・・「もう無理だ」つってるって。 なんでだ?つって。」
「 『どうした~?パパー ここまで来て。 家すぐそこじゃんか?どうした~?』つって。」
「 『無理だ』って。『苦しい』。」
「 『そっか、じゃあやめとくか』つって。」
「 『じゃあ帰るか』ってなんか色々書いて。」
「 『俺はな~、生きてきてな~・・』・・」
「 『もういいよ、そんなこと。分かった分かった、じゃあ帰ろうか』つって。『帰るな?』」
「 『いや! やっぱり、行く』 って。」
「 『行くか?』つって。その代わり、大人5人ぐらい必要だ・・って。『任してくれよ、大人10人以上いるからさ』 」
「 『そんなにいるのかい?今日は』つって。」
「で、行って。 布団ごと・・車椅子 乗せて。 で、そこでみんなでワァー・・って 「食べるか?食べるか?」なんつって。 「あ、じゃあ何食べる~? これとこれとこれがあるけど、何食べるか?」って。」
「 『カレー食べたい』つって。 」
「 『カレー食うか?』つって。『よし!』って。『ご飯は?』」
「 ご飯はいらない、って。 ルーだけくれ、と。 ・・・・・ それでもね、最後 ほんとねえ・・その何日も前からずっともう何も食べてなかったからぁ・・・ 3口ぐらい食ったのかな・・」
「 『もう一口食うか?』つって。 『美味いか?』つって。 」
「 『美味い!』って。 」
「・・でも、たぶん・・・ 味は分かってなかったね・・。 あの・・もう味覚が無いから・・・」
「 『美味いかぁ~』つって・・・たぶん、俺が作ったのに・・作った事にこう・・プレッシャーで食ってくれりゃばいいな と思ったの。 せっかく、ひろちゃんが作ってくれるんだから、食わざるを得ない・・のでも無理して食ってもらった方がよか・・でも無理して食べたんだろうなー・・・と思いながら・・」
「結局、それが最後だったねぇ。 最後のご飯が俺のカレーだったかなあ・・。」
「亡くなる時はもうねえ・・ 体重ももう・・20kg台でしたね・・。 う・・ん。 もう、骨・・骨でしたね。 う・・ん。」
「で、病院戻って、・・んで、前の週に地元戻った時のビデオみんなで見てさ。 編集してさ。 音をなんかさ、あのー・・カーペンターズが好きだから、カーペンターズのBGMに乗せて、なんか編集とか・・途中でやっぱもう目ぇつぶってたね。 それで~・・病院戻って・・それからぁ・・3日、4日ぐらいになって亡くなったんだけど・・・」
「その3日、4日の間は目を覚ますことはなかったね・・。」
「だから、たぶんあれが最後の・・ふり絞り だったんじゃないかなあ・・うーん・・」
「亡くなったのがぁ ・・ね?でもね、面白いもので、一回ほら・・あのォ・・亡くなる・・1ヶ月ぐらい前にね、僕の番組で・・僕はこう死にたい・・って、ほんっと特番があったのよ。 ホントたまたまなんだけど、その前・・ホントは去年の夏やるって言ってたんだけども、ホントずれてずれてこうなって・・「ああ、でも全然いいよ~」なんつって。」
「でも、俺の中でなかなか・・これ厳しいな~・・タイムリーだな~・・や、でも俺は仕事モードになれば大丈夫だ。 ・・って思いながら。」
「その日もだから、夜遊びに行って。飲んじゃって、「帰れねえよ」つって。 で、次の日、その収録だったのよ。 で、俺、台本入れてなかったのよ、カバンの中に。休みだったから。 家、帰って(台本を)入れて、次の日行けばいいと思ってたんだけど・・。」
「・・・・ま、いっか・・って。朝帰ってやればいいか・・と思ったんだけどもうその日、バタバタ・・って聞こえるから「どうした?」つったら、『もうダメだ』って言うから。」
「 『救急車か?』つって。」
「 『救急車』・・・ってなんかまた行って。」
「で、点滴打つって言うから、その間どうしようかな~・・ってしてたら、ナガタマさんが来てくれて、台本持ってきてくれて。 でぇ・・点滴してる時、見ながら・・『それ何だ?』つって。」
「 『や・・これ、なかなかタイムリーなんだけどさ、今日の収録でさ、“僕はこう死にたい”って番組やるんだよ』つって。」
「 『その台本見せてくれ』って言うのよ。」
「 『や・・これ厳しいぜ~』って。 『死ぬ準備をどういう風にしていくかみたいなこと』・・」
「 『いや、見せてくれ』って。」
「 『いいよ、じゃあ2冊あるから、じゃあこれ1冊な』って。」
「・・・そんなんで見て・・でも結局、オンエア見れなかったのかなあ・・」
「2月の19日に亡くなり・・で・・次の日が お通夜だったんですけど・・あの・・友引があって、えー・・1日ずれたのかな? で、21日がお通夜で。 で、22日がお葬式。 で、4月の8日が・・四十九日だったのかな。」
「そしたらさぁ 2月の19日が僕の甥っ子の誕生日だったんですよ。 一番上の兄ちゃんの子供。 で、22日が姪っ子の誕生日だったんですよ。 だから友引・・2月19日に亡くなるってこともそうだし・・友引があったから・・で、お通夜の日が・・その「僕はこう死にたい」っていう・・オンエアの日がお通夜の。21日の夜が。」
「お通夜終わってから、家でさあ、なんかやっぱりみんなで見るのよ。 俺、もう見れなくてさあ・・。(スンッ)」
「で、やっぱりその・・4月の8日が二番目の兄ちゃんの子供・・だから、チビだよね。誕生日でさ。」
「こんなに重なることがあんのかな~・・・って。」
「でもその後、ねっ?遺産相続とかあるからぁ 銀行に行ったりとか。 で、戸籍が必要だからとか言って、色々 ね?北海道の戸籍、藤沢の戸籍・・そしたら川崎に住んでた戸籍とか出てきて。 で、よく見たらさ・・ あのぉ・・ ウチのお父さんとお母さんの結婚記念日が、お通夜の日の22日だったのよ。」
「・・こんなことあるかな? って・・。」
「・・・・色んなこと 忘れるわけないよね! この数字揃っちゃったら。」
「・・・や・・もう、それだけ・・お父さんはやっぱり・・素晴らしい人生を送ってきたから、忘れないようにって神様が与えてくれたんじゃないのかな~・・と思うけどねぇ・・。 ・・・うん・・。」
「まあ、その後ももう僕は毎日・・もうね、亡くなってからも週に2回、3回ぐらいは行って・・で、やっぱり捨てる物があるから・・こう・・なかなか1人ではヘビーで・・。」
「ゴミ袋だけで・・ホントね 2、30あるからね。1人では・・・でも、チビたちがね、たま~に来てくれて。春休みだったから。3月。それで手伝ってくれたりしたけどね・・・」
「あのさ・・ 高さ、1メートル 奥行き30cm、横20cmぐらいのなんかさ・・ボードが・・書類入れみたいなの。 十何段あって・・細い・・薄い引き出しがあんのよ。 どんな書類入ってんのかな?と思ったら、みんなTシャツ入ってんのよ。一枚、一枚。 フッ(笑)ハハハ・・・」
「みんなTシャツとポロシャツ・・あの・・ゴルフ用のポロシャツが一枚ずつ入ってんの。 ・・几帳面か!って・・」
「・・・でもなかなかやっぱりねえ・・手強いですねえ。 うちの親父は。」
「もうねえ、やっぱ夢見るのよ。」
「もう何回も見たんだけど・・・「生きてんじゃん!」 って夢を見てるのよ。」
「・・・・これ、起きた時のショックっていうのが・・ 「あれっ? なんだよ・・生きてのかよ・・」つって、やっぱ遊んでんだよね。(スンッ)・・・で、目ぇ覚めた時にもう・・ちょっと訳わかんないよね。」
「えっ?なんだ?どっちが夢なんだ!?」
「こっちが夢かな と思うのよ。 起きた時が夢かと思っちゃう。 『えっ!?』みたいな。」
「あっ!? あっ・・・そうだ、そうだ・・・死んでんだ・・って。」
「・・・ねえ~・・・だからもう3月・・2月から3月って・・やっぱり特番シーズンだったんですけどねぇ・・なっかなか手強かったですよねえ・・・このお父さんは。」
「や~・・・でも、いいお父さんだったよ。」
「最後ね、あの お棺の中にやっぱり・・手紙を書いて・・ お父さんへの想いをいっぱい書いて・・一緒に焼いてもらったかなあ・・」
「まあま、そんなんで。だいぶ落ち着いたってことなんで。このような時期に・・お伝えすることになったんですけども。 まあま、テレビにも・・「27時間」とか「めちゃイケ」とかも出てたしね。 ライブとかのVTRとかも出てたりしたから。 ねっ。知ってる方はいらっしゃるのかなあ・・と思いますけども。 まあま、あっちの世界でも元気で・・うーん・・やってるんじゃないかなあ・・と思いますけど。色々とお父さんの話とかもこの番組等でお伝えさせて頂きましたので、えー・・とりあえず、2月の19日に亡くなったことをご報告させていただきました。」
~エンディング~
中居 「それじゃまた来週。」
おまけハガキ 「中居君はおうちのトイレのフタは使うたびに閉めますか?」
中居 「すいません。自動です。 また来週~」
“あっちの世界でも元気でやってるんじゃないかな”
“いいお父さんだったよ”
“お父さんへの想いをいっぱい書いて一緒に焼いてもらった”
・・・・だから、きっと・・うん、中居君本人が言うように「大丈夫」なんだと思う。
そりゃ、夢に見て「あれっ?」ってのは・・あると思うけど・・。でも、大変だったけど自分の出来る限りのことを最後にしてあげられたから・・亡くなってからの片付けも含め・・出来たから、ちゃんとお父さんを送れたのかな・・って。
そして、中居君が言うように「中居君のパパ」はテレビにも出たり、スポーツ新聞にも名物お父さんとして年末には載ってたり、SMAPライブの画面にばーん出たり(笑)・・もちろん、このファンが聴く「サムガールスマップ」ではおなじみ。
だからこそ
中居君は 一般人だけど・・・でも、知ってる人は知ってるお父さんのこと、きちんとお知らせしたかったんじゃないかなあ。
それこそ、Tシャツを「几帳面」にしまってたパパの息子だよね、やっぱり ひろちゃんは。
中居ファンにとって 中居君のお父さんは・・色々エピソードを聞いたり、テレビで見かけてその愛すべきキャラクターで親近感が勝手に沸いてる・・・ってのはあるけど。それ以上に・・・「影響を受けている人」なんじゃないかなと思っています。
あの可愛らしいというか、愛らしい存在感と笑顔はもちろん・・
中居君が時々話してくれた「芯の通った考え方」 「厳しさ」 「責任感」・・・そして何より親子のエピソードから語られる「愛情深さ」など・・それは私が応援している「中居正広」という1人の人間に大きく・・深く影響を与えていることに気付く。
その中居正広という人に日々影響を受けている・・ということは元をたどれば、中居君のお父さんに行く着くなあ・・と。
「手強かった」
そう表現する中居君。
その言葉には様々な意味が含まれているように思うね・・。
終始、理性的に。 しっかりとした声、口調で話してくれた中居君。 もちろん、思いだしながら語る言葉の端々に「想い」が滲むことはあったけど、むしろ「明るい」ぐらい。
そして、それは無理してるかもしれないし、でもホントに無理してるのではなく「話せるようになった」んだと思う。
その場所に中居君が表現した『ラジオなんてさ、ほら・・ファンのコ以外 聞いてると思わないじゃん』・・サムガを選んでくれて、ありがとう。
本当にありがとう。 これが全てで。 中居君の言葉こそ信じられる真実だと思う。
私たちファンを信じてくれてありがとう。
ラジオで公表するまで、関わった沢山の人たちから中居君とパパ・・その関係者のことが世に漏れることはなかった・・。
中居君やパパの日頃の人柄がそうさせたのかなあ・・。
沢山の人たち、神様に守られてるね。
お父様、安らかに。ご冥福をお祈り申し上げます。
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