Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

飯舘村の酪農家・長谷川健一さんの写真展と講演会

2013-01-13 | Weblog
またも蒲団に眠らずそのまま朝から良くない意味でもやもやした時間を過ごしつつ、いろいろ気持ちを振り払って、外出。近所で一件用事を済ませ、新宿に出て地下街で本を読む。午後、スペースゼロで行われている、原発事故で全村避難している飯舘村の酪農家・長谷川健一さん自ら撮影による写真展へ。彼は飯舘村前田地区の住民集会を開いて、現状を説明し、被曝を避けるための対処法を知らせつつ、村の運命に対してぎりぎりの責任を取ってきた。写真展の連動企画である講演「飯舘村 あの日、今、これから」のが、午後1時から行われた。会場は、カタログハウス地下のセミナーホール。先週「沖縄独立」を無責任に謳う記事で一気に株を下げた「カタログハウス」=「通販生活」だが、長谷川さん支援の姿勢は評価しなければ。長谷川さんは一昨年夏、下北沢での講演会のさいお会いして以来。あのとき講演後、我らの通いつけ居酒屋「ふるさと」にお連れしたのだが、米どころ出身者として日本酒しか口にされなかったのが印象的だった。以後一年半、それだけの時間を刻んできた重み。講演会で全世界を巡り、当然のように話術は格段にアップ。あれからの変化として、端的に言えば、長谷川さんは、村を出た。「日本一美しい村」といわれた、飯館村を。全村避難の6,200人の一人として。ご本人が「二十年後、今の子供たちが結婚するときに『差別』があるかも」と告げる、重さ。目から鱗だったのは、朝日新聞による「だめな除染キャンペーン」が、逆に「除染すれば大丈夫」に聞こえてしまう可能性があるということ。現実は厳しい。帰れないあきらめと、なお帰ろうとする高齢者たち、葛藤は重い。「被爆者手帳」のようなものが必要だという、切実さ。村長は、「そういうものがあると、差別を受ける可能性がある」と言ったらしい。それは本末転倒の詭弁だが、現実の痛みが、是正する機会を妨げる。「逃げればよかったのに被爆させてしまいました」という、区長という立場にいた長谷川さんの思いが、何もできないで過ごしてきた我ら聴衆の身に、こたえる。私があらためて驚いたのは、かなり早い時期、行政側の方から「差別を受ける可能性」を指摘して放射能被害を誤魔化してきたという、事実である。村長はそれに乗っかろうとしたのだ。
長谷川さんが原発事故がおきた直後の3月から1年半の間に撮り溜めた、1万枚を超える写真の一部は、全労済ホール/スペースゼロであと二日間、観ることができる。13日 10:00~19:00、14日 10:00~14:00。写真集も発売されている。
写真は長谷川さん(右から二人目)と、広瀬隆さん(飯館の夕景を映したスクリーン前でマイクを持っている)。森住卓さんも応援に来られていた。
http://www.spacezero.co.jp/access
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