Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

「オキいるか」号との再会

2024-09-02 | Weblog
七年前に上演した『くじらと見た夢』で、沖縄・名護の捕鯨について描いた。
最近は捕鯨というよりイルカ漁なのだが、じっさいに漁師の方にお話を聞くことができたのは、とてもよかった。
その、イルカを捕ることを許された皆さんが乗っている船には、「オキいるか」と記されている。
久しぶりに名護に行って、数隻の「オキいるか」号が健在であるのを確かめることができた。


『くじらと見た夢』パンフレットに寄せた文章(2017年 秋)
沖縄でのイルカ(ヒートゥー、ピトゥ)漁は、伝統的なものとして知られているが、戦後の一時期、名護西岸で本格的な捕鯨をしていたことを、最近になって知った。十五年近くにわたって、年間数十頭のザトウクジラを捕っていたのだ。昭和二十六年、「戦後初めての捕鯨」と思しき漁に参加した漁師に、詳しく話を聞いた。
名護東岸、島の反対側に位置する海では、米軍基地キャンプ・シュワブに、普天間基地代替施設としての空港建設が強行されようとしている。同じ名護市なのに、海の風景はまったく違うのだ。
昨冬、かつて『くじらの墓標』を書くため訪れた捕鯨村・鮎川を、震災後には初めて、再訪した。津波の猛威を受けた町並みはすっかりなくなってしまったが、捕鯨は今も続けられていた。
『南洋くじら部隊』の舞台、レンバダ島の捕鯨村ラマレラを、久しぶりに訪れた。電気も電話も貨幣経済もなかった暮らしは近代化の洗礼を浴び、変わってしまった。それでも漁師たちはクジラを捕り続けている。
そして、映画『ザ・コーブ』等によってイルカ漁が国際的な非難を浴びた和歌山・太地に、初めて行った。捕鯨反対運動は沈静化していたが、それとは無関係に、人々は未来を見つめていた。
私の中で何かが繋がった。捕鯨に携わる家族たちの「伝承」と「共存」の物語が、くっきりと浮上してきた。
『くじらと見た夢』は、私と燐光群による四半世紀にわたるクジラとの旅の、新たな結実となるだろう。

戯曲集『くじらと見た夢/南洋くじら部隊』は、彩流社から刊行されています。
https://www.sairyusha.co.jp/book/b10015238.html
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする