Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

オリンピック・パラリンピック東京決定は、どちらに転ぶか

2013-09-08 | Weblog
なぜ東京なのか。
この国は、1964年の東京、冬季の72年札幌、98年長野、半世紀の間に三回もオリンピックを開催してきたのだ。もういいではないか。
初のイスラム圏としてイスタンブールで五輪が開催されることには、国際的に意義があった。過去の挑戦回数も最多だった。経済不安の中で国民九割の支持を取り付け、既に八割の施設整備を終えていたマドリードも、かわいそうだと思う。九十六票中の六十票という得票が多いのか少ないのかはわからない。今回ロビー活動に力を入れた日本は、なりふり構わなかったらしい。招致ロゴのイメージは「大風呂敷」だ(写真)。「皆で力を出し合えば夢は叶う」(安倍首相)、企業も外交も頑張ったそうだ。そしてフランス相手に2024年パリ開催の応援を引き替えに協力の約束を取り付けたなどというはしたない話が、テレビで堂々と語られている。
安倍首相はプレゼンで「東京は世界で最も安全な都市の一つだ。(福島第1原発の)状況はコントロールされている。東京にダメージが与えられることは決してない」「汚染水は結論から言って全く問題ない。事実を見てほしい。汚染水による影響は福島第1原発の港湾内の0.3平方キロメートルの範囲内で完全にブロックされている。抜本解決のプログラムを私が決定し、着手している」と答えた。
ほんとうにそうなのか。「完全にブロック」は、初めて聞いた。根拠を示してほしい。国内では既に科学者陣営に「海に薄めるしかない」と言わせているではないか。水も海産物も本当に安全か。「抜本解決のプログラム」があるならその詳細が、なぜ国民に知らされていないのか。福一原発の燃料棒を安全に取り出す手段はまだ見つかっていない。格納プールが六年持つという保証さえないのだ。万が一、次に大きな事故が起きれば、関東地方も含めた広域に人が住めなくなると、多くの専門家が予測している。それでもオリンピックは開催できるのか。
五輪開催の経済波及効果は三兆円と言われているらしい。世界企業たちにとって経済効果が最も期待されているのが日本開催という噂も流れてきていた。猪瀬都知事の押し出しの強い英語スピーチ「私たちは金はある、四十五億ドル、キャッシュで銀行にいっぱい」は、どうなのか。ただでさえ世界にアメリカの腰巾着としてカネばかり貯めてきた「成金国家」と思われてきたのだ。逆にこの国に、この街に、生活に苦しむ者がどれだけいるか。その矛盾は解消できるのか。
最終発表寸前のテレビ報道もひどい。イスタンブールを「宿敵」は、ヘンだろう。世田谷の駒沢体育館に集まった人たちは、本当にそんなにオリンピックに思い入れがあったのだろうか(あの辺りが都内・区内きっての高濃度のセシウムが検出された地域だったということは皮肉だ)。
これからマスコミからもこぞって「お祝い」ムードが出てくる。それがこの国の「現実」をより見えにくくする目眩ましにならないとは限らない。誤った安全神話の拡充に拍車が掛からないか。「世界の一流国」の幻想が、「戦争のできる一人前の国」になりたいという蒙昧に結びつかないか。
安倍政権からすれば「天の恵み」だろう。夥しい失言により国際的な孤立を招いた「親ナチ・歴史認識に欠ける政府与党」というレッテルが、これで払拭されるのか。彼らにとって、リスクは何もなかった。開催を逃した場合も「原発事故の風評被害のせい」と言えば、責任は免れられたわけだからだ。
福一原発の事故は収束していない。小出氏の言うように、矛盾の噴出はこれからだ。この夏の「汚染水流出」など、序章でさえない。
やはり世界の人たちにとって原発事故は「極東の国」の遠い出来事でしかなかったのか。あるいは、同情か、憐憫、励ましか。そうではなく、五輪を機会に世界の人たちが「当事者」の立場を強く意識してくれたのだ、と信じるしかない。
今後、詳細な情報が全世界に開かれ、「抜本解決のプログラム」がないことが露見し、「やはり五輪開催に適していない」という意見が出始めれば、この国はオリンピック誘致のために虚偽の認識を垂れ流したとして、批判の対象となっていく。東京を選んだからといって、根拠のない安倍演説の責任を、一緒に背負ってくれるわけではない。世界はこの「嘘」を受け入れたのだが、それが善意の「承認」であるとは限らないのだ。首相に「安全」を約束させておけば、今後その「虚偽」を徹底的に攻撃できる。
当座のデメリットとしては、ここしばらくは、「世界が認めた安全」のイメージによって、福一原発への対応が緩み、隠蔽が強化され、真実が覆われしまうことだろう。
逆な場合、メリットとしては、今後の事態の変化や新事実発覚があるたび、世界がより深刻に注目してくれるだろうということだ。
「東京最有力」の噂は数ヶ月前から流れていた。政治や経済界以外の動きもあった。オリンピックと同時開催として文化的なフェスティバルも行なわれる。東京決定なら開会式の演出は誰かという話も既に出ている。マスコミは膨大な広告収入を期待する。ハコモノ建造も堂々と行われる。諸々皮算用している人も多い。不思議だった。違和感を抱えつつの、嫌な予感が当たった。「トーキョー」の決定の声を聞いた時は、悪寒が走った。
スポーツそのものに罪はないという考え方はある。だが、かつてベルリンオリンピックは、ヒトラー政権下、ナチ主導で行われた。
そして、スポーツも、被曝も、身体に関わることだ。「健康な身体」を讃える祝祭が用意される一方で、原発事故収拾の現場で、「自らの身体を蝕む作業」を余儀なくされる人たちがいる。そこにおそろしい矛盾がある。
「子どもたちに夢を与える」と都知事は言う。「聖火ランナーが被災地を走る」そうだ。
元マラソン選手の有森さんは涙ながらに「福島の、外で運動できない子から、オリンピックを取ってきてと言われた」と言ったらしいが、その言い方のどこがおかしいか自分ではわかっていないのだろう。
「善意」の人たちは「せめてこれからの7年間」と、放射能汚染拡大がないよう祈るのかもしれない。しかし真実を見なければならない。
七年後、奇跡的に実現可能だとして、二度目の東京五輪が、どのように歴史に刻まれるか。
7月24日~8月9日という日程は、今年のような猛暑かもしれない。五輪を名目に「電力の安定供給」も云々されることだろう。
本当に開催されるとしたら、この国には背負うべき義務がある。たとえ開催されなくても向き合うべきである問題ばかりだが。うんざりばかりはしていられない。責任は、私たちにもあるのだ。そして、世界の人たちとの友情を、汚したくはない。
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