サ カ タ の ブ ロ グ 

やぁ、みんな。サカタだよ。

賢者の日

2020年10月14日 | サカタだよ

いろんな編集者がいます。

たとえば……コンテを描く編集者と、コンテを描かない編集者がいます。

コンテの絵がうまい人、うまくないけどわかりやすいコンテを描く人、情報量がとても多いコンテを描く人……

というより、コンテを描くのが好きな編集者や、それよりもっと大きなこと(ってなんだろう)をやるのが好きな編集者や、人と会ってグルーブやバイブスを感じるのが好きな編集者や、調べものが好きな編集者や、撮影をやり遂げることに充実感をいだく編集者や……よくわかりませんが多分いろんな人がいるんだろうと思います。

この人どうして編集者やってるんだろう? と不思議に思える人でも、きっと何かその人なりの楽しみを見出しているんでしょう。

でないと煩雑なわりに報われる機会がない、とても損な仕事ということになってしまいます。

何を隠そう、自分の場合は、文章を書くのが楽しくて編集者という手間のかかる仕事をやっています。

文章を書く編集者と、書かないで人に書かせる編集者がいます。どっちかというと後者のほうがエキスパートっぽい気がしますが、自分は前者です。

できれば毎号ちょっとずつでも自分で原稿を書きたい。

なるべく書きたくない人がどういう感覚でやってるのか、まったく想像つきませんが、文章を書くのが好きだから編集者どうにか続けてるタイプ(たぶんマイノリティ)がどういう感覚でやってるのかは理解できます。

他業種の人にわかりやすいように例えると、いざ原稿を書いているときが本番です。

あとは妄想か口説きか、前戯か後戯ですね。

新米のころ、「編集者の命は企画力」と教わりましたが、企画は妄想です。相手のこともよくわからないのに付き合おうとしたり、口説いたりするのが、いわゆる人選やアポ入れですね。

当たって砕けろみたいな発展家っぽいメンタルを編集者やってると多かれ少なかれ持つことになります。が、奥手な部分というか、相手のことは自分がいちばんよくわかってるし、自分がいないとダメに違いないし、自分が関わるのは相手にとっていいこと! と思い込む童貞パワー・処女パワーみたいなのも大事じゃないかと、スレてくるほど痛感するのが面白いところです。

簡単にいうと、自分が直に話を聞いて書いたら絶対いい結果になると思うパワーが必要だってことです。

文章を書くのが本番ですから、そこに至るまでのプロセスはすべて前戯みたいなものです。企画やアポ入れの段階から、前戯がすでに始まっているといっても過言ではないでしょう。絵作りが本番の人もいるかもしれませんが、文章が本番の人にとって絵作りというのは、文章を書くために必要なプロセスだから前戯です。もちろん前戯は大切にしますし、変化がついて盛り上がるように工夫を怠りません。

取材が本番という人もいる(会うのが目的で原稿は必ず人に書かせるのがこのタイプかも……?)と思いますが、文章が本番の人は取材中どう文章にしたら相手も自分も納得するか常に探っていますから、そういう意味で前戯に該当します。

いざ本番の文章を書く段階では大体トランスしています。自我をどこかに残しながら境界を越えるトランス状態です。ことさら身体表現するわけでもなく、奇声を発するわけでもないので、書いてるところを他人がみてもトランスというより事務作業に没頭してる姿でしかないと思いますが。

書いた文章の確認(校正)は後戯です。書いたら書きっぱなし、やったらやりっぱし、みたいなのは興醒めなので、どこか悪いところはなかったか、もっとよくするにはどうしたらいいか心を込めて見直すし、関係各位に目を通してもらいます。

すべて終了したとき、賢者の日がやってきます。

妄想なんかしたくない、とても口説く気分になれない、前戯も本番も後戯も今日はごめん。できない。気分じゃない。要するに仕事したくない日が、校正の最終日(校了日)の翌日ぐらいに訪れます。それでも、次の号の作業をしないと間に合わない状況になりがちなのが編集者です。だから割に合わない。

賢者の日が「賢者の半日」になったり、「賢者なし」で妄想タイム、口説きタイム、前戯タイム、本番タイム、後戯タイムになだれこむこともあるのが、泥水家業とよばれる編集者のさだめ。

わかりやすいようにたとえましたが、仕事を性的な目でみているわけではありません。

本当です。信じてください。

 

コメント
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