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京恋し

頑張った時のご褒美は京都。ずっと憧れ。

錦秋

2013-12-10 22:16:33 | 
京都はまだ名残の紅葉が美しく、モミジの名所はどこも混雑、名刹・名庭は避けて、府立植物園に。

              
              府立植物園は桜もモミジも穴場的おススメスポット。今回の
              目的は「フウ」の木。

        
        切符売り場のおじさんに「いい時に来ましたね、あと2~3日ですよ」と言われました。
        高い高い梢の葉は少し枯れかかっていましたから、まさににラストシャイニングです。

        
        樹齢100年、樹高26m、大きく枝を広へて錦の衣装を見せてくれているようです。

        
        実がいっぱい。

        
        枝先まで美しく染まって。

        
        よく街路樹でみかけるモミジバフウとは親戚です。原産地では60mもの大木があるそうです。

              
              日本庭園のあたりのモミジもまだまだいい色。池に映る姿も鮮やか。

        
        赤、また赤、枝々を忙しく飛び回っている小さな野鳥の集団を沢山のカメラが狙っていました。
        (私も一応狙ってみたけど、これもマイデジカメでは無理!)

        たった一日の京もみじだったけれど堪能しました。
        

安芸の小京都・竹原

2013-12-09 22:20:31 | 
西条から30~40分、竹原に寄りました。
行ってみたいと思っていたので、OTTOがコース設定している時にリクエストしました。

        
        竹原は平安時代に京都下鴨神社の荘園として栄え、その歴史と町並みから「安芸の
        小京都」といわれています。

        
        この建物は「春風館」
        頼山陽のおじ・頼春風の家でした。頼春風は大阪で医学と儒学を学び、竹原に帰郷後、
        医業を開業。また製塩業の経営にも乗り出し、町の子弟の教育に力を注ぎました。
        頼山陽って、竹原の出身だったんだァ。

        
        竹原が製塩業の盛んな町というのも知りませんでした。江戸時代後期に製塩と酒造で
        栄えた頃の屋敷や仏閣が今でも当時のままに残されています。

              
              飴色の格子窓や塗りごめ壁など贅沢な細工も施されています。
              カメラをどう傾けてもどっかの縦線が傾いている。玄関が傾いて
              いるのか、窓が傾いているのか…。しょうがないネ。

        
        格子窓の受け壁には透かし彫りや彫刻が施されていることが多い。

        
        タイムスリップしたような町並みには観光客も少なくゆっくり風情が味わえます。
        地元のボランティァらしきガイドさんが小さなグループを連れて、町を案内していました。

        
        竹鶴酒造。江戸中期から小笹屋の屋号で塩造りをしていたそうです。享保年間に酒株を
        得て酒造りも手がけるようになりました。竹鶴と聞けば、そうです、ニッカウヰスキーの
        創業者竹鶴政孝氏を思い浮かべますネ。ここは彼の生家だそうです(彼は分家筋の出
        なので、実家ではないそうです) 

        
        中で何種類か試飲させてもらいました(勿論私が!アッシー君はダメダメ
        全くの好みで左から4本目の純米吟醸「竹鶴」を選びました。ちょっとまったりしていて
        ウマイ!という感じでした。

        今夜は京都。夕ご飯が予約してあるのでちょっと急がなければ 300km弱ありますから。
              

酒都西条

2013-12-08 23:35:49 | 
広島県西条市は日本三大酒どころとされています。

        
        明治時代に始まった吟醸作りが盛んとなり、酒造蔵が次ぎ次と増え、大正から
        昭和の初めには酒都西条と呼ばれるようになった。

              
              広大な敷地を持つ賀茂鶴酒造。赤レンガの煙突は酒蔵の街の
              シンボル。

        
        3本の煙突の見えるここの景観がマンホールの蓋にも。

              
              ざっと工場見学、レポーターではないので、仕込みの現場などは
              入れません。

        
        亀齢酒造の白壁。

              
              福美人酒造。赤レンガの煙突は看板代わりなのだそうです。

        
        賀茂泉酒造。OTTOはここの純米吟醸を買うのが目的でした。

              
              純米吟醸、その名も「賀茂泉」

        
        ランチは「仏蘭西屋」のランチコース。賀茂鶴が経営する和洋食レストランです。

        
        オードブル・カリフラワーのテリーヌ……美しい~!

        
        かぶのスープ

        
        目鯛のポワレがメイン+ライス

        
        デザート+コーヒー

        酒蔵通りを行ったり来たり、ちょっとぶらぶらしたのでオナカが空きました。
        日本酒の蔵元が経営するレストラン、京都の町屋をイメージした建物、美酒鍋が名物だそうです。
        美味しい日本酒のある街とは聞いていましたが、酒蔵通りがおもしろい街でした。
                        

錦帯橋&広島

2013-12-07 22:34:57 | 
旅の3日目、岩国の錦帯橋へ。

        
        日本を代表する木造橋。中央の三連は迫持式(せりもちしき)といわれるアーチ構造、
        両端の二橋は反りをもった桁橋構造。全長193.3m、幅5m。
        (マイデジカメで橋の全容を美しく撮るのは無理!)
        
        
        初代岩国領主・吉川広家が横山の頂に城を建てて以来、城下町と城をつなぐ橋が錦川に
        架けられたが、錦川の洪水によりたびたび流失していた。

        
        第3代領主の吉川広嘉は洪水に耐えられる橋を作るべく、情報を集め、調査研究をし、
        1673年に児玉九郎右衛門の設計により5連の橋が完成した。

        
        しかしこの橋もその翌年に洪水で一部が流されたが、橋台を強化することでその後の
        流失はなくなった。

        
        1950(昭和25)年の台風によって橋はまたもや流失、1953年に再建された。
        2001年には平成の架け替えが昔ながらの木組みの工法で行われた。

        何度も流失していながら、300年の技術と工法を伝承してその美しい姿を維持している
        のは素晴らしいですね。

        
        桜の季節に来てみたい!

次は広島へ。

              
              原爆ドーム。やはり保存と取り壊しで対立したそうです。
              1996年にユネスコの世界遺産に登録されました。

        
        平和公園の中央にある原爆死没者慰霊碑(広島平和都市記念碑)
        いつもテレビで見ている場所。

              
              平和記念資料館の中で。

              OTTOは広島の平和公園に行ったことがないそうで、日本人として
              見ておかなければならないところだからと今回立ち寄ることを
              熱望していました。

              私は学生時代に一度見学しています。やっぱりショック、
              福島の原発が頭をよぎって、ちょっと怖くなりました。

        
        平和な今を感謝しつつ、夕ご飯は広島お好み焼き。
        広島のお好み焼きは原爆投下で焼け野原になった市街地で営業していた屋台が発祥という。                        

尾道

2013-12-06 22:47:30 | 
若き日に訪ねた街です。

              
              林芙美子の「放浪記」は有名ですが、志賀直哉や中村健吉も
              この街で暮らしていたことがあります。平山郁夫はこの街の出身。

        
        今治から「しまなみ街道」を戻って、尾道市内に入りました。今夜は尾道泊まり。
        千光寺山の上にある千光寺山荘、眺め第一で選んだ宿です。その宿から見下ろした
        尾道の街。今走ってきた尾道大橋が目の前に。

        
        まるで川のように街の前に広がるのは尾道水道。向こう側は向島。

        
        千光寺山の西斜面。きれいな紅葉に彩られている。

        
        食事までまだ少し時間があったので、千光寺まで歩いて行ってみることにした。
        宿とは少し角度が違う街が眺められる。

        
        千光寺本堂。秘仏が33年ぶりにご開帳されているというラッキーな時期に来合わせました。

        
        山の上の千光寺公園まではロープウエイで来られる。

        
        日の出前の尾道水道。橋はまだ明かりが点っていた。

        何十年も前に訪ねた街は、さしたる変化もないように思えた。勿論、駅の周りには
        新しいビルも建っていたけれど。「東京物語」の老夫婦が暮らしていた街・尾道は
        そのままの懐かしさを今も漂わせている。        
                      

しまなみ海道

2013-12-05 23:46:22 | 
西瀬戸自動車道というんですね。

               
               尾道から始まって、今治まで7つの橋を渡ります。
        
        
        まず尾道大橋を渡った後、因島大橋。しまなみ海道中、唯一の2階建ての橋。
        上は自動車、下は歩行者と自転車用(横から見ていないので、上の道しかわからず)

        
        1270mの吊橋。

              
              生口橋。ファン形斜帳橋というのだそうです。790m。

        
        多々羅大橋のたもとの瀬戸田PAで多々羅大橋を望む。

              
              ここから多々羅大橋に入ります。

        
        世界一の長さの斜帳橋。橋の中央が広島と愛媛の県境。1480m。

        
        大三島橋。328mと、しまなみの中で一番短い橋。アーチ橋としては国内最大だそうです。

              
              伯方島と大島北を結ぶ伯方・大島大橋。伯方橋は325mの
              桁橋、大島大橋は840mも吊橋。

        
        いよいよ来島海峡をわたる来島海峡大橋。大島側から第一大橋、第三まで三連の吊橋。
        第一橋は960m、第二橋は1515m、第三橋は1570m。

        
        四国に渡って、来島海峡SAから。

        
        来島海峡SAでお土産を買って、ユーターン、今来たしまなみ海道を再び渡って
        尾道に帰ります。
                
        
         

        

しまなみ海道へ

2013-12-04 23:14:56 | 
今年の6月に明石大橋と瀬戸大橋を渡ったので、〆にしまなみ海道を渡りたいというOTTOの希望です。

        
        東名大井松田のあたりでフロントガラスいっぱいに広がる富士山は旅の前途を
        寿いでくれているかのよう、いつもモチベーションがあがります。

        
        いったん京都で下り、ランチ。その後、京都旅行中の友人ご夫妻と待ち合わせてお茶、
        夕ご飯も簡単に京都で済ませて、泊まりは大阪。

              
              午前6時半、朝焼けの大阪を西に向けてスタート

        
        大阪の市内で渋滞にはまり、想定外の時間ロスで中国自動車道に。

        
        西宮北から山陽道に入ります。

        
        トンネルが多いです!

        
        龍野のSAでご当地ラーメンに敬意を表して、朝から龍野ラーメン。8時半、朝食です。

        
        紅葉の山の中の山陽道をひた走ります。

        
        兵庫中央バスだって!関東では見かけたことない!

        
        日生=ひなせ、読めますか?

        
        所々に緑を残す紅葉の山並、枯葉色に衣を替える直前。

        
        大阪を出てから4時間、いよいよしまなみ海道に入ります。

ドイツの旅―No.9 ハイデルベルク再び

2013-11-13 21:39:29 | 
前回ドイツを訪れたときは私の中ではハイデルベルクがメインでした。

       
       2009年10月、丘の上に建つハイデルベルク城からカール・テオドール橋と町並みを一望。
       初めてハイデルベルクの地に足を踏み入れた時は胸がふるえました。これがあの
       「アルト・ハイデルベルク」(マイアー・フェルスター著)の舞台の地なんだと。

       『ハイデルベルク大学に留学中のカールス・ハインリッヒ皇太子と下宿屋の娘ケーティの
       身分違いの恋。ハインリッヒ皇太子は帰国してもハイデルベルクへの想い止まず、再び
       ハイデルベルクを訪れてわかったのです。「私のハイデルベルクへの憧れは君への憧れ
       だった」と。そして心穏やかに、しかし決然とケーティに別れを告げたのでした』

       というストーリーを女学生の時に読んでいつかハイデルベルクに行ってみたいと
       憧れていたからです。夢が叶った!と。

       再びこの地を訪ねることが出来て新たに感動!

      
      大学広場に面した大学博物館。
      ハイデルベルクは大学の街、ハイデルベルク大学は1386年に創設された世界最古の大学。
      マックス・ウエーバーやカール・ヤスパースも教鞭をとり、ノーベル賞受賞者も多く排出
      している。ハイデルベルクの人口の5分の1にあたる2万5千人の学生が今も大学で学んで
      いるという。

           
           
           「ハイデルベルク学生のキス」という名物チョコレート。箱に描かれた
           デザインが浮き彫りにされ、中に生チョコが挟まれた円形のチョコレート。
           美味しかった!

      
      カール・テオドール橋は以前は木の橋だったので、洪水や氷結でたびたび壊れていたが、
      カール・テオドール選帝の命により1788年に赤砂岩の強固な橋に生まれ変わったのでした。
      
      
      カール・テオドール橋を渡った北斜面には瀟洒な家が並ぶ。哲学者の道といわれる川沿いには
      大学教授や学者が住んでいる地区だそうです。

      
      前回は橋を渡りきらなかったのが心残り、今回はフリータイムが少しあったので哲学者の道側
      からハイデルベルクの街を眺めたいとと思っていました。

      
      哲学者の道から眺めたハイデルベルク城。1枚目の4年前の写真と逆方向を眺めたことになります。
      なかなかの景観に満足。

      
      フリータイムに昼食も食べないと。行き当たりばったりで入ったカフェ。オープンサンドなど
      をつまんで、思いのほか美味しくこれも満足。

           
           集合場所は街の中心、マルクト広場。正面は1592年に建てられた
           ツム・リッター・ザンクト・ゲホルクという商人の館、1705年から
           ホテルとして使われています。

           ハイデルベルクの観光を終えてバスへ、途中シュパイヤーに寄って
           世界遺産の大聖堂を見てフランクフルトの空港に向かいました。

      
      フランクフルト空港の搭乗口。ここを入って、ドイツにお別れです。
                                   

ドイツの旅―No.8 ラインクルーズ、ケルンへ

2013-11-12 22:47:38 | 
私にとっては今回のドイツ旅のハイライトはラインクルーズ。

      
      リューデスハイムを出航して先ず目に入るのは「ねずみの塔」
      マインツ大司教がここを通る船から通行税を取るために13世紀に建てた塔。
      強欲なマインツ大司教は最後にねずみの大群に襲われて食い殺されたという恐ろしい
      伝説がこの塔の名前の由来らしい。

      
      ラインシュタイン城? ここも税関として建てられた。今は博物館。

      
      ライン川沿いの斜面はブドウ畑。紅葉したぶどうの畑のパッチワーク。

      
      ぶどう畑と麓の家並みはまるで絵葉書のよう。

      
      ワインの街、バッハラッハ。街の名はお酒の神のバッカスに由来。堂々とした教会は
      ゴシック様式の聖ヴェルナー礼拝堂。

      
      丘の上にはシュタールエック城。現在はユースホステルとして使われている。

      
      ちょっと船室に入ったら、お、名所が! あわてて窓から一枚撮ってデッキに駆けあがる。
      プファルツ城。ここも船の通行税を徴収するために建てられた税関。丘の上のお城は
      グーテンフェルス城。

      
      塔の街と言われるオーバーヴェーゼル。赤い教会はリープラウエン教会。1331年に
      建てられたゴシック様式の教会。丘の上にそびえているのはシェンブルク城。
      12世紀の騎士の城。

      
      この岩がローレライ。岩から聞こえてくる美しい歌声に魅せられて近づいた船を沈没させる
      という難所。実際に見てもふう~ん。船ではローレライの曲を流すサービス。

           
           有名なネコ城が見えてきた。お城の形がネコの顔みたいだから、と
           思っていたら、建てた人の名前らしい。

      
      ザンクト・ゴア・ハウゼンの街で下船。1時間40分の船の旅でしたが、もう少し
      乗っていたかったな。

      
      ザンクト・ゴア・ハウゼンからはまたバスに乗って、ケルンまで。
      ケルンのシンボルは大聖堂。街に着く頃から雨粒がポツポツ。
      プラス思考の添乗員さん曰く、雨にぬれて黒ずんだこの色がまたいいですねえ

      
      ケルンで昼食。まず、ケルンの地ビール、ケルッシュビールが1杯づつサービス
      美味しかった!
      

ドイツの旅―No.7 リューデスハイム

2013-11-11 23:19:19 | 
今日はリューデスハイムから船に乗って、待望のラインクルーズ。

      
      リューデスハイムはライン川沿いにあるブドウ畑の中のきれいな街。

           
           リューデスハイムといえばまず「つぐみ横丁」
           乗船場のすぐ近くなので、また駆け足で観光。

      
      つぐみ横丁の歴史は古く、15世紀、ライン川を航行する船の寄港地であったがこの地に、
      18~19世紀になるとワイン農家が経営するゲストハウスや自家製ワインを飲ませる店が
      並び始めた。それを目当てに富裕層が集まり始め、公共施設なども開設されたが、戦時中には
      連合軍の攻撃で横丁の多くの家々が倒壊した。1950年頃までにほとんどの家が再建され、
      今では「世界で一番陽気な小道」といわれるほど賑わっている。

           
           ワインハウス、レストラン、パブなどが約144mの石畳の道の両側に
           軒を連ねている。

           
           行き交う人の肩がふれるほどの路地、だから親しみがあるのかも。

      
      あ、ここのワインセラー、テレビの街歩き番組でみたことがある!

           
           
           バウムクーヘンのお店だと思ったら…BAUMSTRIEZELと書かれてる。
           聞けばハンガリーやチェコの名物のトゥルデルニークというお菓子や
           軽食用のパンみたいなもので、小麦粉を薄く延ばした生地を筒に
           巻きつけて焼いたもの。熱々のうちにいろんな種類の砂糖をお好みで
           かけて貰うのだという。

      
      川側から歩いてきてここがトッツキ。まだ9時過ぎですからお店はどこも開いていません。
      お昼過ぎからはワインの香りが小道に漂い、人々であふれ帰り、夜ともなれば陽気な音楽も
      演奏されるそうだけど。

           
           飲み屋横丁というにはおしゃれ過ぎるけれど、酔客の去ったあとの
           けだるげに静まり返った横丁の雰囲気はどこもおんなじだ。

      
      乗船場に戻って船に乗り込んだ。いよいよラインクルーズの始まり!