脱サラして一人親方になりました

脱サラして独立。我が道を行く男の独り言

どこまでが素人だろう

2021年08月22日 | 三代目は見た
今、クレームの対応に追われています。
と言っても、私に責任はありません。営業のミスです。
(営業は認めませんが、上長が認めたのでOKとします)

住宅リフォームを請け負うと、「お客様の要望」と「言っている事」に違いがある事があります。
例えば、作り付けの本棚を作るとして「棚の高さを30㎝ピッチで」と「言って」くるのです。
で「なんで30㎝?」と聞くと「A4のファイルを入れる」と。

ここで「プロなら」気づきます。
A4の紙と、A4のファイルはサイズが違う。
30㎝なら、A4の紙は入るけど、ファイルは入らない(31㎝くらいあるものが多い)
「30㎝と言っている」けど、要望は「A4のファイルを入れる」なのですね。

これは、お客様の勘違いですから、30㎝で施工して責任追及はされないかもしれません。
が「お客様は素人だ」という前提で考えれば、「何を入れるの?」と聞くべきだと思います。
結果、30㎝では何の役にも立たず、31㎝以上なら満足となります。
「プロに頼んだから」しっかり対応してもらったという事になりますね。

ここまでが、私とお客様が直接打ち合わせたとした例です。
今回のクレームは、お客様との打ち合わせは営業マンが行っているので「何を入れるの?」は、営業マンに聞くことになります。
(本棚は例えですけど、サイズの指標としてお考え下さい)

営業マンは「30㎝あれば入る」と言うので、30㎝ピッチで完成させました。
結果、A4ファイルが入らないのでクレームになったのです。

営業マンは「お客様が30㎝と言ったのだ」と主張し、お客様は「30㎝くらいかなぁ」と答えただけだと。
そこから、営業マンは「棚の高さが変えられると思っていた」と、矛先を私に向けてきました。
仕上、強度の問題で「変えられない設計だ」と答えると「プロだったら、その説明をすべきだろう」と。

確かに説明すべきだったかもしれない。
が、私は「営業マン=プロ」と打ち合わせをして「30㎝」と指示されたのですね。
変えられるなら、30㎝と指定する意味は無いのですよ。
と「相手がプロだと思って」決めつけたのですね。

う~ん。
反省すべき点もありますな。
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仕組み

2021年08月22日 | 三代目は見た
コロナ渦もあって「仕組みって大事なんだなぁ」と再認識しています。
サラリーマン時代、会社が作った仕組みの中で働いていました。
納得できない仕組みもありましたが「頭を使わず、言う事を守れば良い」というのはシンプルで働きやすいように思います。
無能な経営者ほど「知恵を絞れ」と命を下しますが、知恵を絞る事こそ経営者の務め。
まぁ、経営者の言いたいことは「細かい作戦はオマエ達で考えろ」という事でしょうけど、「細かい」の前提は大切なんですよね。

私の地域も、ようやくワクチン接種の目途が立ちました。
というか、ようやく「予約が始まる日」が確定しただけですけど。
すぐ隣の地域は、私世代まで2回目が進んでいます。
コチラはゼロ。人口あたりの供給量に大きな差が無いとすれば、この差は「仕組み」だと思うのです。

コロナ感染した妊婦さんがいらして、お子様の命が失われたという「事件」がありました。
敢えて「事件」と書くのは、妊婦さんの努力では抗する事が出来ないからです。
これ、コロナ渦に限らず、妊娠、出産のあるあるです。
「妊婦健診に来ていないから、出産は受け付けない」
これで急なお産がたらい回しになる事は、以前からあったのです。
「少子化対策」のスタートから躓いているのですよ。

こういった「この時はどうする?」を考えて、仕組みとして構築する事。
そこに「課題」が生まれますが、課題は「解決」するか「棚上げ」するかという判断になります。
やっていはいけないのが「課題を無視する」です。
今の国は、この無視(見て見ぬふり)が多いように感じます。
棚上げでも仕方ない部分もありますから「課題がある」と認識する事こそ重要だと思います。

自営業になり、理想は「頭を使わずに経営する」と考えていますが、実際は「変化を肯定し、柔軟に対応する為に、常日頃から頭を使う」となっています。
ベルトコンベアーを眺めている事とは違うという事です。
いや、ベルトコンベアーだって「故障したらどうする?」という対応マニュアルがあって、万が一に備えて「眺めている」のですから、全く頭を使っていないとは言えません。
が、国は「止まってから、対応を協議する」ですよね。
経営責任が無いのですよ。

こどもの頃「誰が総理大臣になっても同じだ」と思っていましたが、これは「仕組み」という点においては正しいのです。
たった一人が変わっただけで、世の中が大きく変わってしまう事は危険ですから(平時において)
ただ「仕組みが無い」という事で「変わらない」なら、政治の役目って何だろう? となりますよね。
今が、まさに「何だろう?」です。

いろいろ考えてみると、私が勤めていた会社は、いい「仕組み」を構築していましたね。
「法」ではなく「仕組み」
仕組みによる結果を是として、多少のルール違反は黙認。
ほかの会社なら「ならず者」でも、あの会社なら「猛者」
それで良いのですね。最近、気づきました。
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