母の葬儀には、皆さんからいろいろご配慮、励ましのお言葉などいただき
ありがとうございました。
無事3月5日に葬儀も終わり、亡き父のもとに旅立ちました。
49日の法要は奈良・矢田寺で、母が生前親しきしていただいた皆さんを
お招きして法要を行います。
2月の末に危篤の知らせがあり、兄弟妹が高知に揃って駆けつけたました。
意識のない母の心に伝わったのか、少し持ち直しました。主治医の先生も驚く
ほどの生命力だと感心されていた。兄夫婦が残りしばらく経過を観ることになった。
私は高知へのバス移動でまた疲れがでて、顔面、頭部痛みがひどくなりだしたので、
とりあえず私は、急遽奈良に治療のため帰ることになった。
母の死に目には会えないけれど、ヘルペスの痛み神経ブロックの点滴が、2回分
残っていたので奈良で待機することになった。
3月2日(日曜日)早朝4時半に兄より亡くなったとの電話があった。
葬儀は高知のベルモニ会館の都合で、2日ほどづれて、4日お通夜、5日葬儀。
父の時は阪神淡路大震災の時で、焼き場の釜の順番が直ぐに回ってこず、
3日間自宅で待機さされた。高知に残った兄たちはゆっくりお別れができた。
葬儀がずれたお蔭で、残していた2回分の神経ブロックの痛み止めの点滴も済ませ
妻と高知にかけつけました。綺麗に死化粧を施され、安らかな顔を見ると、一緒に
過ごした楽しかったことが、次から次へと思い出し涙がとまりませんでした。
昨日葬儀から帰ってから、疲れも溜まっていたのか、発病から1ヶ月たったにも
関わらずヘルペスの痛みも芳しくなく、今日からSGB(星状神経節ブロック)
点滴治療と併用して行うことに、とりあえず、1クール5回することに。
首筋に麻酔注射をされたので、目ざめた時は、1時間ほどぐっすり寝ていた。
今現在SGB効果なのか、頭部、顔面のちりちりする痛みも少し治まっている。
ありがとうございました。
無事3月5日に葬儀も終わり、亡き父のもとに旅立ちました。
49日の法要は奈良・矢田寺で、母が生前親しきしていただいた皆さんを
お招きして法要を行います。
2月の末に危篤の知らせがあり、兄弟妹が高知に揃って駆けつけたました。
意識のない母の心に伝わったのか、少し持ち直しました。主治医の先生も驚く
ほどの生命力だと感心されていた。兄夫婦が残りしばらく経過を観ることになった。
私は高知へのバス移動でまた疲れがでて、顔面、頭部痛みがひどくなりだしたので、
とりあえず私は、急遽奈良に治療のため帰ることになった。
母の死に目には会えないけれど、ヘルペスの痛み神経ブロックの点滴が、2回分
残っていたので奈良で待機することになった。
3月2日(日曜日)早朝4時半に兄より亡くなったとの電話があった。
葬儀は高知のベルモニ会館の都合で、2日ほどづれて、4日お通夜、5日葬儀。
父の時は阪神淡路大震災の時で、焼き場の釜の順番が直ぐに回ってこず、
3日間自宅で待機さされた。高知に残った兄たちはゆっくりお別れができた。
葬儀がずれたお蔭で、残していた2回分の神経ブロックの痛み止めの点滴も済ませ
妻と高知にかけつけました。綺麗に死化粧を施され、安らかな顔を見ると、一緒に
過ごした楽しかったことが、次から次へと思い出し涙がとまりませんでした。
昨日葬儀から帰ってから、疲れも溜まっていたのか、発病から1ヶ月たったにも
関わらずヘルペスの痛みも芳しくなく、今日からSGB(星状神経節ブロック)
点滴治療と併用して行うことに、とりあえず、1クール5回することに。
首筋に麻酔注射をされたので、目ざめた時は、1時間ほどぐっすり寝ていた。
今現在SGB効果なのか、頭部、顔面のちりちりする痛みも少し治まっている。
今まで、ご兄弟交代でお母様について心行くまでお世話をされていらしたので、お母様の心はきっとそのことに満足していらしたと思います。
これからは、いつも竜馬さんはじめ皆さんのことを、思いがけない所で見守ってくださることでしょう。
何か困難に遭遇した時、「今・護ってくれてたんや」と思うことがしばしばありました。
ヘルペスの方、長引いて大変でしょうが、十分治療に専念して、早く回復しますよう祈念しております。
当ブログで、とても素晴らしいお母様だったことがうかがえます。
竜馬さんご自身のヘルペスも、早く良くなりますようお祈りしています。
ヘルペスはあとあと神経痛のように残ることもあるらしいのでしっかり調べてその場しのぎでなく根本から良くしていただけますよう願っています。
涙より微笑みを絶やさず、お母様に安心してもらえますよう。
母の死去、自分の病気治療のことなどで、元気が回復せずつらい毎日のため、また今回もまとめてのお礼の、失礼お許しください。
さくらの咲く頃、49日が終わる頃までには、元気に復活したく思っています。わがままなお願いですが、今しばらく時間をください。