![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/9c/223de49f21b42787858d1ed2bff0f648.jpg)
昨日は母の日でした。母は95歳になりました。
母は30歳の時、私を生みました。
この年になっても、「母の日」のお祝いをできることは
大変うれしいことで、また幸せなことです。
母は一人暮らしをしているが、有難いことに健康で元気なので
とても助かっています。
高知には親戚も多く、何かあるとすぐ誰かが集まってくれる。
私たち兄弟も誰かは、毎月母の元に帰り3,4日滞在している。
3月にお遍路(22番~27番)に行った帰りに、実家に寄った。
GWには再びお遍路にでるため高知に帰るので、遍路用具一式を
すぼらして置いて奈良に戻った。
GWに予定通りお遍路をするために実家に帰ったら、思いかげない
母から嬉しいサプライズ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/presents.gif)
私はお遍路に行く時は、お杖はいつも裸で持ち運びをしていた。
母は居間に置かれた裸のお杖を毎日見ていて、忍びなく思い杖を
袋に、納めておいてあげようと思い、古い帯をあれこれとりだして、
気に入った柄を選び、細工して写真のような粋な杖袋を作っていて
くれたのでした。
そして共着れでお揃いのお賽銭いれ袋まで作ってくれていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_cry2.gif)
子どもの頃は貧乏人の子沢山で、ご多分に漏れず我家も貧しかった。
父は家具塗装の職人だったので、サラリーマンのように定収がなく、
母は和裁を教え、内職で着物仕立てを請負それで家計を助けていた。
娘がお花とお茶の師範の免許を取り、その都度着ていった和服も
全部母が仕立ててくれていた。
そんな母にとって、杖袋の製作は朝飯前と思っていたら、そうではなく
大変苦労をしたとの話。
杖だけだと筒状に仕上げたらいいのだが、杖の握りに鈴や装飾品を
ぶらさげているので、うまく納まらない(蛇が玉子を飲んだような形に)
それをどうしたら上手く納めるか、いろいろ知恵をしぼり装飾品が外に
出るように、その部分より網目しぼりにして難問をクリヤーしたとのこと。
網目しぼりの部分は折り返しの布で、外からは見えないようにしている。
久しぶりに頭を使った作品が、満足な出来栄えだったので母はたいそう
嬉しそうな様子だった。
おばあちゃんありがとうね。大事に一生物として使わせてもらいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_en2.gif)
「母の日」に少し母のことを書かせてもらいました。
それにしても95歳には見えません
私の方が猫背になっているほどです。
母は元気に100歳を迎えてくれそうです。
耳が遠いのであまりテレビはみず、読書一辺倒で、勉学心があるのには驚きます。
ほんとうに自慢の母です。
昨日は有難うございました。
竜馬さんのお母さんは元気そうで、とても、95歳には見えませんね・・・
すごく、若いです。
私の ひいおばあちゃんは、まだ健在ですが、今94歳で先日病院に入院しました。
前から老人ホームに入っていたのですが調子が悪くなり病院に転院しました
一つしか変わらないのに竜馬さんのお母さんはとても元気でうらやましいです☆
これからも、元気に頑張って100歳めざして欲しいですね。。。
体調が悪いのに駆けつけてくださり、ありがとうね。
私は兄弟の中で、一番父に似ているのですが、母には一番可愛がってもらいました。
今でもですが
95歳でもお元気で1人暮らしをしているなんて、すばらしいです。
私は昨日も今日も帰りが遅くて、母に電話もしていませんでした。
反省---
明日は電話しなくては。
95歳とは思えません。
貴男は凄い幸せ者ですね、羨ましいです。
私は小学生4年生の時に母は亡くなりましたので、
竜馬さんの様なお母さんの話に涙が浮かんできます。
何時までもお元気な事を祈ります。
嬉しい話し、有り難う御座いました。
95歳までもお元気で息子に自慢してもらえるなんて親冥利に尽きますね。又始終機会を見ては親元をおとづれる息子を持ったお母さんもお幸せ! うらやましい!
高野山では1日お付き合いして頂きありがとうございました。
帰路電車では,お互いに歩いたGW遍路のこと,
次回のコースのことなど話もはずみ楽しかったです。
出来るときに少しでもいいですから,親孝行をしてあげてくださいね。
中島さま
いつも暖かい励ましありがとうございます。
私がハードな事ばかりにチャレンジするので,母にとっては心配をかけているみたいです。
母にとっては幾つになっても,子供は子どもなのですね。
高野山では石楠花は満開でした。
28日には釈迦ヶ岳に登りますが,まだ見れるのでしょうか?
昨春の大峰奧駈で出会った,石楠花の見事さにもう一度出会いたいもんです。
ちっちさん
ちっちさんのブログで「思い出」シリーズで書かれている戦後の庶民の生活のお話。
両親と過ごした少年,青年時代がオーバーラップして,感情移入して読ませてもらっています。
お話のなかに,当人がすっかり忘れていた昭和の良き時代の風景,生活などに,再び出会えてとても喜んでいます。
貧乏しながら長屋で5人の子どもを育てた母にとても感謝しています。
ちっちさんのように,また母の思いでなど書いていきたくおもっています。
95歳!!、そしてご健在、いいですね。
ずっと、お元気で長生きをされて下さい。
竜馬さんの、お母さんの、心温まる記事を読まさせていただき、ありがとうございました。
自分の母親を思い出してしまいました(早く亡くなってしまいましたが)。
私は年に7,8回高知に帰ります。
その都度、まだお互いに笑顔でお別れできます。
昔高知の山奥で暮らしていた祖母との思い出は、
私が学生の頃時々帰省していざ、大阪に帰る時は、
「もう○○ちゃんにとは、これで最後かもと・・」
涙を流しながらのつらい別れを何度か経験している。
幸いにも母との別れ際には、そのような辛い場面はないのですが、少しづつ心は痛みだしてきてます。
残りの年月が確実に少なくなっているからなのでしょうね。
せいぜい親孝行をいたします。