ETUDE

~美味しいお酒、香り高い珈琲、そして何よりも素敵な音楽。
これが、私(romani)の三種の神器です。~

ジョン・ウィリアムス 礼賛

2013-10-23 | CDの試聴記
久しぶりの投稿になります。

今日は、これから、すみだトリフォニーホールで、ジョン・ウィリアムスのコンサートを聴く。
ジョン・ウィリアムスは、私にとって、心の神様みたいな存在だ。
セゴビア、ブリーム、イエペス、みんな偉大なギタリストだったけど、「一度でいいから、こんな風に弾いてみたい」と心底思ったのは、後にも先にもジョンだけだ。
完璧という言葉が、これほど相応しいギタリストはいない。
そしてジョンが歩んだ道は、必ず世の中の流行になった。
バリオスしかり、ディアンスしかり、ドメニコーニしかり、古くはグラナドスの詩的ワルツ集しかり…
また、彼のどこか近寄り難くて、冷ややかな音楽が、かえってファンの心理をくすぐるのだ。
そんなジョン・ウィリアムスも、今回の演奏が日本における引退公演になる。
本当に寂しい限りだが、今宵の演奏、そして来週の白寿ホールの演奏を、しっかりと心に刻み付けておきたい
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バッハ:「ヨハネ受難曲」 by バッハ・コレギウム・ジャパン (3/30) @彩の国さいたま芸術劇場

2013-03-31 | コンサートの感想
3月も今日で終わり、明日からは4月というよりも新年度が始まる。
今月は、公私ともに思い出深い月だった。
「公」の部分では、年金の専門誌へ特集記事として寄稿したことが最も大きな出来事。
得難い機会を与えて下さった専門誌の編集部の方には、大いに感謝している。
一方、「私」の部分では、母二人そして私たち夫婦の4人で山形のかみのやま温泉に旅行したことと、娘の婚約というのが2大イベントだった。
高齢の母たちと一緒に旅行するなんて、お互いの予定と健康状態が全てクリアされないと実現できないと思うので、大袈裟な言い方をすれば奇跡的なことだったかもしれない。
でも、旅行そのものも楽しかったし、少しは親孝行ができたかな。
また二つ目の「娘の婚約」も、親としては極めて大きな出来事だった。
とくに父親としては(笑)
でも、贔屓目にみるからかもしれないが、相手はなかなかの好青年だし、いい男性と巡り会えたと喜んでいる。
これらについては、機会をみつけて、もう少し書くつもりだ。

そして、大好きな音楽はというと、今年に入って月一回ペースでコンサートを聴いてきたが、3月も一回だけ実演を聴いた。
その唯一のコンサートが、昨日聴いたBCJのヨハネ受難曲。
私の中で神のような存在であるマタイ受難曲は、もう何回も生で演奏を聴いてきた。
そして、そのたびに涙してきた。
一方、ヨハネ受難曲の方はLPやCDで何十回も聴いてきたにもかかわらず、生で聴くのは実は今回が初めて。
今回の公演は大好きなBCJだし、地元のさいたま芸術劇場で聴けるということもあり、色々な意味で心待ちにしていた。
しかし、この日のヨハネは、私のそんな期待を大きく上回る圧倒的な名演だった。

冒頭の合唱を聴きながら、私は背筋を伸ばし、思わず座りなおす。
それほど厳しい音楽が、眼前で始まっていた。
マエストロの要求に応じて、容赦ないアクセントを伴いながら、贅肉のかけらもない引き締まった表情で音楽は進んでいく。
しかし、厳しくはあっても、決して冷たくならないところがBCJの真骨頂だ。
3番の感動的なコラール「大いなる愛」あたりから、私たちはますますヨハネの深遠な世界に引き込まれていく。
そして、11番の「誰なのですか?あなたを打ちすえるのは」を聴きながら、私は目頭が熱くなった。

第2部は、さらに素晴らしい。
19番のバスのアリオーソの何と感動的だったことか。
野入さんのリュートも文字通り絶品。
何年か前にコルボがラ・フォル・ジュルネでマタイをやったときに、彼女が「甘き十字架」で聴かせてくれた素晴らしい演奏を思い出した。

第22番のコラール「あなたの捕らわれによって、神の子よ」は、まさにこの日のクライマックス。
リヒターのように力強く勇気づけるコラールではない。
しかし、一切の虚飾を排し、ピュアで優しくそしてヒューマンに歌いあげられた彼らの音楽は、今思い出しても震えるほどの感動を覚える。
わずか1分足らずの音楽だったが、生涯決して忘れることはないだろう。

また、悲しみに静かに耐えながらも「成し遂げられた」とアルトが歌う30番のアリアの美しさ、そしてアルトにぴったり寄り添うヴィオラ・ダ・ガンバの素朴な味わいも、私の心に深く響いた。
そして、終曲のコラールの前に置かれた39番の合唱の高揚感は、やはり圧倒的。
マタイの終曲との関連で語られることの多い音楽だけど、私は聴きながらモツレクの「ラクリモーザ」の面影が、ずっと重なっていた。

この日のヨハネは、前述の通り私にとって初めて聴いた実演だったが、本当に凄い音楽、そして凄い演奏だった。
ドライヴをかけて、「どう?感動的な音楽でしょ。しっかり聴いてね」といったわざとらしい表現は、一音たりともない。
自然に湧きあがってくるピュアな音楽が、人をこれほどまでに感動させてくれることに、私はいまさらながら感動した。
集中力を切らさずに空間と時間を最後まで共有できた素晴らしい聴衆、席数こそ600席あまりだけど木の温もりとともに抜群の音響を誇るホール、そして何と言っても献身的な演奏を聴かせてくれたBCJの皆さん、そのすべてに対して、心からありがとうと言いたい。

<日時>2013年3月30日(土)16:00開演
<会場>彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール
<出演>
■鈴木雅明(指揮)
■ジョアン・ラン(ソプラノ)
■青木洋也(カウンターテナー)
■ゲルト・テュルク(テノール)
■ドミニク・ヴェルナー(バス)
■バッハ・コレギウム・ジャパン(合唱・管弦楽)
<曲目>J. S. バッハ:ヨハネ受難曲 BWV 245
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

テレマン:忠実な音楽の師から  リコーダー・ソナタ ハ長調 TWV 41-C2

2013-03-03 | CDの試聴記
痒い。
眼も鼻も喉も、挙句の果てに耳までも・・・
いよいよ今年も花粉大魔王のお出ましだ。
年末からアレジオンを飲んで、大魔王の襲来に備えてきたつもりだけど、今年の大魔王は手強い。
哀れ一撃でダメージを受けてしまった。
相性のいい目薬のリボスチンも、こうなるとさすがにお手上げだ。
我慢できずに目をこするから、あっという間に目が真っ赤になってしまう。
今週はセミナーもあるので、真っ赤な目をして臨むわけにはいかないし、何とかしなきゃ(泣)。

さて、昨日CSのスカイ・Aで、高校野球名将列伝という番組を放送していた。
第一回目は、石川県の星陵高校の山下智茂元監督。
30分という短い時間だけど、実に内容の濃い番組だった。
大阪桜宮高校の不幸な事件があった後だけに、山下元監督の言葉ひとつひとつが私の心を捉えて離さない。
その中から、とくに印象的な言葉をご紹介する。

「リーダーは一生懸命情熱を持っていれば、子供たちは分かってくれる」
「ノックは対話だ。一人一人の限界は違うから、声を掛けあいながら、限界にどう挑戦していくかということが最も大切。今の若い監督さんは、そういう限界を伸ばしてやることが、なかなかできない。だから生徒は素材だけで伸びている。各人ごとに限界を伸ばす精神力の強さをつけてやることが大事だ。」
「自分には二人の山下がいる。鬼の山下と仏の山下。ノックをしているときの自分は鬼の山下だけど、どんな時でも鬼の中に愛情がなければいけないと思っている。」

また、希代のスラッガー松井秀喜が高校時代天狗になりかけた時に、彼を諭した言葉が興味深い。
山下先生:「おい悪魔」
松井選手:「僕は悪魔じゃありません」
山下先生:「違う。『おいあくま』というのは次の意味だ。憶えておきなさい」
 おごるな~いばるな~あせるな~くさるな~まような
まさに至言。

そして、こんな言葉もあった。
「野球は9人しかレギュラーになれない。でも、社会に出たら全員がレギュラーだ。だから社会で通用する人間になれるように3年間を送りなさい。そして皆人生の勝利者になってほしい。」
何と素晴らしい言葉だろうか。
こんな先生、こんな監督に教えを受けることができた生徒たちは、本当に幸せだったと思う。

最後に、最近音楽で嬉しかったこと。
それは、テレマンのこのトリオソナタの作品名を見つけられたことだ。
30年くらい前に、たしかトーレンスのプレーヤーを買った時だっただろうか、非売品のオルトフォンのデモディスク(勿論LPレコード)をもらった。
その中に、「テレマンのトリオソナタハ長調」というクレジットとともに、この曲が入っていた。
第二楽章のアレグロだったが、私は聴いた瞬間、大好きになった。
演奏も躍動感に富んでいたし、オルトフォンのサンプルらしく実に素晴らしい音で録音されていたのだ。

しかし、残念ながら、正確な作品名が解らない。
その後、テレマンの作品集を何種類も買って聴いてみたのだが、この曲は入っていなかった。
そんなこともあって、私自身、半ば諦めかけていた。
ところが、この曲との再会は突然やってきた。
ブリュッヘンのテルデックの全集を順に聴き進むうちに、この曲を発見したのだ。
「あっ、この曲だ」
私は思わず叫んでいた。
大袈裟ではなく、30年前に別れた恋人に再会したような気分だった。
しかも、演奏はブリュッヘン・レオンハルト・ビルスマと言う黄金のトリオ。
悪かろうはずはない。
30年の空白を埋めるかのように、嬉しくて何回も何回も聴いている。
しばらくは、この中毒状態が続くことだろう。

■忠実な音楽の師から リコーダー・ソナタ ハ長調 TWV 41:C2
(演奏)F. ブリュッヘン / A. ビルスマ / G. レオンハルト
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブルックナー:交響曲第9番ニ短調 by ジュリーニ/シカゴ響

2013-01-14 | CDの試聴記
今日、関東地方は大雪。
爆弾低気圧とやらの仕業らしいが、交通も乱れに乱れていた。
最初は、無責任に、久しぶりのお湿りが真っ白な雪と言うのもなかなか風情があっていいと思ったが、今日成人式を迎えた方や三連休で旅行を楽しんだ人にとっては大変な災難だっただろう。
皆様、ご無事だったでしょうか。

成人式といえば、今朝のテレビ番組で、親から成人する子供にあてた手紙を読む場面がオンエアされていた。
その中に、幼い頃から心臓の持病を持つ娘に対する父からの手紙(成人式で披露されたもの)も紹介されていて、「(娘さんは)これからも心臓病と長く付き合っていくことになると思うけど、どうしてもの時はお父さんの心臓をあげるからね。そうしたらずっと一緒に生き続けられるから」といった内容だったが、私も思わずもらい泣きしてしまった。
親子の絆って、まさにこんな風にして繋がっているんだなぁ。
そして、自分の子供たちの成人式の時のことを思い出しつつ、年老いた母のことも思い出し、親孝行しなきゃと改めて実感した次第。

さて、前回も書いた黒田恭一さんの「音楽への礼状」をようやく読み終えた。
その中に、名指揮者カルロ・マリア・ジュリーニの項がある。
タイトルは、「それにしても、あなたは、字を、何とゆっくりお書きになるのでしょう」
黒田さんがジュリーニにインタビューした時のことだ。
黒田さんは、インタビュー終了後、マーラーの9番のスコアにジュリーニのサインを求めた。
ジュリーニは、単に自分の名前を書くだけではなく、黒田さんの名前と、心のこもった言葉まで添えてサインしてくれたそうだ。
また、そのときジュリーニは大変ゆっくりと、そして反対側からでも字が読めるくらいの筆圧でサインしてくれたと記されている。
続けて黒田さんは、ファルスタッフの幕切れの部分を例にとって、「あなたは、いくぶん遅めのテンポで運び、全ての音をくっきりと浮かび上がらせ、しかも音楽本来の流れの勢いをあきらかにしておいでです」とジュリーニを賞賛している。

何と的確なジュリーニ評だろうか。
ジュリーニの音楽の本質が、この短い言葉の中に見事に集約されている。

今日、真っ白に化粧した外の景色を眺めながら、私はジュリーニがシカゴ響を指揮したブルックナーの9番を聴いた。
1976年~77年にかけて、ジュリーニは3人の作曲家の「交響曲第9番」を相次いでシカゴ響と録音している。
3人の作曲家とは、マーラー、ドヴォルザークそしてブルックナーだ。
いずれも名演の誉れ高いもので、中でも黒田さんがサインしてもらったマーラーの9番は、今も極め付きの名演として知られる。
一方、ブルックナーの9番はこのシカゴ響との録音のあと、1988年にウィーンフィルと組んで再録音を果たしている。
ウィーンフィルとの新盤もブルックナーの魅力を余すところなく伝える名盤だけど、私はこのシカゴ響との演奏により魅かれる。
全てのパートが瑞々しく艶やかだ。
当代きっての名手をそろえたブラスも、輝かしいが決して華美には響かない。
この演奏を聴くと、本当にため息が出るくらい見事なブルックナーだと実感させられる。

そして、この4枚組のアルバムは、私にとって特別の思い入れがある。
震災の時にラックの下敷きになり、ケースは見るも無残な状態になりながら、中身は奇跡的に無傷で生き残ってくれたのだ。
その傷ついたCDケースを前にして、黒田さんの文章を読み、そして昔大阪のフェスティバルホールで実際に聴いたときのマエストロの指揮姿を思い浮かべながら、このブルックナーを聴いた。
文字通り感慨無量だった。

ジュリーニ&シカゴ響ボックス(4CD)から
■ブルックナー:交響曲第9番ニ短調
■1976年12月1・2日、シカゴ、メディナ・テンプルでのステレオ録音

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シューベルト:交響曲第5番 by アバド&ヨーロッパ室内管弦楽団

2013-01-06 | CDの試聴記
4日は初出だったけど、世の中全体がまだまだ慣らし運転という状況。
でも、お屠蘇気分も今日までにしなきゃ。
明日からは予定も結構入っているし、気合いを入れて行こう。

新年に入って、大好きな音楽評論家だった黒田恭一さんの「音楽への礼状」というエッセイを読み始めている。
「だった」と過去形で語らないといけないのが本当に寂しいけど、例によってこの本もすこぶる面白い。
黒田さんの暖かい眼差しと人柄が、文章のいたるところに感じられる。
その中に、ヨーロッパ室内管弦楽団に向けた章がある。

この章は、「あなたがたの演奏をきいていると、みんなの嬉しそうな顔がみえてきます。」
という見出しで始まる。

「好きな仲間との間に、勇気を持って、意識的に会わない時期をおくという、あなたがたの知恵には、ぼくらが日常生活をしていくうえで学ぶべきものがあるように思えます。あれだけの素晴らしい演奏をおこなうあなたがたのことです。みんなと一緒に演奏することが楽しくないはずはありません。しかし、その楽しさに流されることをあなたがたはこばんだ。ポイントはそこでしょう。」
そして、黒田さんは続ける。
「ぼくらは、どうしても、美味しいものは食べすぎる。楽しいことには耽りすぎます。食べすぎれば腹をこわし、耽った後には荒廃が待ち受けています。二日酔いの頭をかかえながら、酔いにまかせての昨日の夜の馬鹿騒ぎを思い出し、忸怩たる思いを抱かないでいられるのは、よほど鈍感な人間でしょう。新鮮さをたもつためには、耽りすぎないことです。(以下略)」

まさに、おっしゃる通り。
でも黒田さんがそこまで称賛するヨーロッパ管弦楽団。
久しぶりにじっくり聴いてみたくなって、このディスクを取り出した。
シューベルトの5番は、以前にも書いたが、私にとって第一楽章冒頭の数小節を聴いただけで幸せになる音楽だ。
アバドと組んだ彼らの演奏は、聴き手を曇り一つない青空を自由に羽ばたく鳥のような気分にさせてくれる。
この瑞々しさ、生き生きとした表現を聴くと、なるほど黒田さんの言うとおりだと納得してしまう。

「新鮮さをたもつためには、耽りすぎないこと」というアドヴァイス、耳に痛いが、今年一年心がけていこうと思う。

シュ-ベルト:
1. 交響曲第5番変ロ長調 D.485
2. 交響曲第6番ハ長調 D.589
<演奏>
■ヨーロッパ室内管弦楽団
■クラウディオ・アバド(指揮)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バッハ:カンタータ第6番「われらと共に留まりたまえ」

2013-01-03 | CDの試聴記
新年おめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

今年は天候にも恵まれ、思いがけず穏やかなお正月だった。
巷報じられている通り、日本の経済も社会保障も、そして私の専門の年金も、米国の財政以上に厳しい崖っぷちに立たされている。
でも、この穏やかなお正月を過ごしてみて、「あくせく動き回るだけが能じゃないんだよ」と神様から諭されているような気がしてきた。
全力を尽くすことは当然のことだが、徒に結果をほしがらずに、少しでも前に進むことを心がけていこうと思う。

そんなことを考えながら、採りあげたのはバッハのカンタータ。
本来であれば新年用のものをエントリーするべきなのだけど、聴いたのは、復活節第2日のカンタータ「われらと共に留まりたまえ」。
理由は、第3曲のコラールがあまりに美しいからに他ならない。
バッハのすべてのカンタータの中でも、この曲は穏やかで清新な気持ちにしてくれる点で、極め付きの名曲だと思う。
冒頭のチェロピッコロの調べの何と魅力的なこと!
(このディスクではチェロで演奏されているが、フリッツ・キスカルトのチェロが絶品。)
その後のコラールは、まるで天使が地上に降り立って微笑みながら歌ってくれているようだ。
また第2曲のイングリッシュホルンとアルトが奏でる牧歌的なアリアも、天上の音楽のように響く。

演奏は、カール・リヒターたちのものが、私には最もしっくりくる。
このカンタータは、上記の第3曲と第2曲以外の音楽も本当に素晴らしい。
第4曲のレチタティーヴォを歌うフィッシャー・ディースカウの声を聴くだけでも値打ちがあるし、続くペーター・シュライヤーも大変な名唱。
そして、最初と最後に置かれている合唱の見事さは、リヒターとミュンヘンバッハ合唱団の刻印だ。

今年は、このカンタータを折に触れて聴くことになると思う。

◎バッハ:カンタータ第6番「われらと共に留まりたまえ」
<演奏>
■カール・リヒター指揮
■ミュンヘンバッハ管弦楽団
■ミュンヘンバッハ合唱団
■A・レイノルズ(アルト)
■P・シュライヤー(テノール)
■D・フィッシャー=ディースカウ(バス)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

武満徹 フォリオス

2012-12-31 | CDの試聴記
今年も、あと12時間あまりになった。
今、帰郷の新幹線の車中で、一向に言うことを聞いてくれないiPhoneを使って記事を書いている。
2012年は、東日本大震災の爪痕も十分に癒えない中、山中教授のノーベル賞受賞等の明るい話題はあったものの、我が国全体としては非常に厳しい試練の年だったと思う。
しかし、ボクシングと同じで、相手のパンチを怖がって目を瞑った瞬間に負けが決まる。苦しくても必死にガードを固めて相手の動きを見ないことには勝機はない。
常に考え抜くこと、次を読もうと懸命に努力すること、どんなに小さなことでもチャンスだと思えば果敢に攻めること、これしかないように思う。
その為には、感性を研ぎ澄ますことも非常に大切かもしれない。

偉そうなことを書いたが、ついつい怠慢と怯懦に負けてしまう自分に向けた叱咤激励のつもりです。

さて、年末最後にエントリーする音楽は、武満徹のフォリオス。
ご存じない方も多いかもしれないけど、このフォリオスは、武満さんが最初に手掛けたギターの為の作品で、1974年にギタリストの荘村清志のために書かれている。
フォリオとは二つ折りの紙くらいの意味で、フォリオスは3つのフォリオからできている。

音楽全体は、決してわかりやすいものではないが、不思議な魅力を備えている。
不協和音が支配する中、独特の色彩感と間合いが、私を虜にする。
楽譜も買い、自分でも一生懸命さらってみるのだけど、残念ながらアマチュアのギター弾きには到底手に負えない。
でも、諦めて目を瞑ってしまったらそれまでなので、いつの日か、この曲を人前で弾けるように夢を持ち続けていきたい。
ところで、フォリオ3の最後には、マタイ受難曲の受難のコラールがほんの一瞬登場する。
全体が混沌とした響きの中で突然登場するだけに、そのインパクトは非常に大きい。
武満徹という偉大な作曲家が、ギターという楽器を愛してくれたこと、そして珠玉のような作品を遺してくれたことに、私は心から感謝したい。

このフォリオスには、10種類以上の名手たちの録音があるが、私が最も好きなのは佐々木忠さんの演奏。
佐々木さんは長くドイツで教授活動をされていた方で、このフォリオスに対する深い愛情が感じられる。
20年以上前の録音だけど、その透明で温かい質感に満ちた演奏は、今も色褪せることはない。

自分を厳しく律しつつ、媚びることなく自分の思いをしっかり表現し、しかもその背後に知性と愛情が感じられる。
佐々木忠さんの音楽は、まさにそんな感じだ。
来年は、私も佐々木さんを見習って、少しでもそんな生き方ができるように努力していきたい。

皆様、よいお年を。

<曲目>
■バリオス:
バルカローレ,ワルツOp.8-4,アイレ・デ・サンバ,マシーシェ
■トゥリーナ:
ファンダンギーリョ,セビリャーナ(ファンタシア)
■佐々木 忠:
日本民謡による印象(会津磐梯山,山寺の和尚さん,八木節)
■バーチ:遭遇
■武満 徹:フォリオス

<演奏>佐々木忠(ギター) 
<録音>1989年
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋に聴いたコンサート (その2)

2012-12-30 | コンサートの感想
続けて第二弾。

◎マリス・ヤンソンス&バイエルン放送交響楽団
<日時>2012年11月12日(月)19:00開演
<会場>サントリーホール
<曲目>ベートーヴェン
■交響曲第4番変ロ長調
■交響曲第3番変ホ長調「エロイカ」
⇒掛け値なしに現在聴ける最高のエロイカ。バイエルン放送響もまさに超一流だった。
そして何と言ってもヤンソンス。このマエストロはやっぱり凄い。
今まで生真面目さが少し気になっていたが、完全に一皮向けた印象。
この日のエロイカは、総じてテンポが速い。特に第1楽章と第2楽章が速い。
しかし、テンポは速いのに間の取り方と呼吸感が抜群だった。
だから、聴きても一緒に呼吸しながら音楽に浸ることができる。3拍子ではなく1拍子で生き生きとフレーズが描かれると言えば、少しわかっていただけるかしら。
第1楽章の最初と最後の音の表情が全く同じであることに、思わずドキっとした。
第2楽章は、フルトヴェングラーのような、慟哭の中を息も絶え絶えになりながら少しでも前に進もうとするような緊迫したドラマ性はない。その代わり、音楽そのもののもつピュアな力は圧倒的だ。これがヤンソンス流。
スケルツォは三連符のリズム感が際立って素晴らしい。トリオのホルンも実に見事。
フィナーレは前に進む推進力よりも、変奏曲であることを大切にした演奏。各バリエーションの描写が本当に上手い。それでいてラストに向けての盛り上げ方も圧倒的で、こんな演奏を聴かされたらたまらない。
エロイカのことばかり書いたが、4番も躍動感溢れる快演。
第1楽章の序奏から主部に入るところの見事さを聴くだけで、レベルの高さが分かる。
ちなみに、この日はどちらの曲も対抗配置。そして、4番のティンパニはベルリンフィルのゼーガースというサプライズ付き。


◎マリス・ヤンソンス&バイエルン放送交響楽団
<日時>2012年12月1日(土)19:00開演
<会場>サントリーホール
<曲目>ベートーヴェン
■交響曲第8番ヘ長調
■交響曲第9番ニ短調「合唱付」
<演奏>
■指揮:マリス・ヤンソンス
■クリスティアーネ・カルク(S)
■藤村実穂子(A)
■ミヒャエル・シャーデ(T)
■ミヒャエル・ヴォッレ(Bs)
■バイエルン放送交響楽団
■バイエルン放送合唱団
⇒一音たりとも気持ちのこもらない音はなかった。あれだけぎゅっと中身が詰まっているのに、響きは温かい。
不思議なことに涙は出なかったが、こんなに充実感に満たされた第九は滅多に聴けないと思う。
特に第二楽章のホルンは絶品。オンエアされたら是非聴いて下さい。
独唱者のレベルも非常に高い。とくにアルトの藤村さんの歌唱は最高。
また、たった2回の第九の公演の為だけに来日したバイエルン放送合唱団も素晴らしかった。
ブラーヴォ!ブラーヴォ!


◎ケフェレック ピアノリサイタル
<日時>2012年12月4日(火)19:00開演
<会場>王子ホール
<曲目>
■スカルラッティ:ソナタ より 5曲
  イ短調K54,ヘ短調K481,ニ長調K33,ロ短調K27,ニ長調K96 
■モーツァルト:ピアノソナタ第12番 へ長調 K332
■ラヴェル:鏡
■ドビュッシー:喜びの島
(アンコール)
■セヴラック/古いオルゴールが聞こえるとき
■モーツァルト/トルコ行進曲
■ドビュッシー/月の光
⇒我が最愛のピアニストであるケフェレック。春はラ・フォル・ジュルネ、夏は草津でも聴いたので、今回の王子ホールは3回目。
1年に3回もケフェレックのピアノが聴けるなんて、なんて幸せなことだろう。
前半は、意外なくらいテンペラメントに富んだ演奏だった。スカルラッティはそれが吉と出て、モーツァルトはやや粗く感じられた。
後半は草津と同じ選曲。まさに文句のつけようのない名演だ。
今聴ける最高のラヴェルじゃないだろうか。エレガントでいてかつ大胆、そしてファンタジーに溢れてる。
ドビュッシーの喜びの島も絶品。
毎年ケフェレックの素敵なピアノを、その素敵な笑顔とともに当たり前のように聴かせてもらっているが、この幸運に心から感謝しなければいけないとつくづく思う。


◎ツィメルマン ピアノリサイタル
<日時>2012年12月12日(水)19:00開演
<会場>すみだトリフォニーホール
<曲目>
■ドビュッシー/版画より
1.パゴダ 2.グラナダの夕べ 3.雨の庭
■ドビュッシー/前奏曲集第1巻より
2.帆 12.吟遊詩人 6.雪の上の足跡 8.亜麻色の髪の乙女 10.沈める寺 7.西風の見たもの
■シマノフスキ/3つの前奏曲(「9つの前奏曲 作品1」より)
■ショパン/ピアノ・ソナタ第3番 ロ短調 作品58
⇒実演のツィメルマンの凄さは数年前の横浜のコンサートでよく知っている筈だったけど、この日も驚愕の演奏。
特に後半が凄い!
シマノフスキも彼の手にかかると第一級の音楽になる。
ショパンは第三楽章の後半あたりからフィナーレにかけて涙が止まらなかった。
ショパンのソナタのフィナーレを、これ程ドラマティックに表現したピアニストがいただろうか。
ツィメルマンのピアノは、音の芯が常に明確であるとともに響きが絶対に痩せない。
中低音の豊かさが、音楽の豊かさに結びついていると思う。
私と同学年のツィメルマン。今回も大きな刺激と勇気を私にくれた。
よし、私も頑張るぞ!


◎カンブルラン&読響
<日時>2012年12月22日(土)18:00開演
<会場>東京芸術劇場
<曲目>ベートーヴェン 交響曲第9番「合唱」
<演奏>
■指揮:シルヴァン・カンブルラン
■ソプラノ=木下美穂子
■メゾ・ソプラノ=林美智子
■テノール=小原啓楼
■バリトン=与那城敬
■合唱:新国立劇場合唱団
⇒今年最後のコンサート。改修後の芸劇も初めてだし、読響を聴くのも1年半ぶり。
カンブルランの第九はとにかくテンポが速い。特にスケルツォの中間部あたりは記録的な速さだ。アダージョも速めのテンポだったが、音楽が実にいい感じで横に流れるので、とても心地よい。
終楽章は器楽のフガートで空中分解しそうになるが、寸前のところで踏みとどまり合唱へ。この合唱が圧倒的に素晴らしかった。
生命力に溢れた力強い歓喜の歌が、全てを救ってくれた。新国立劇場の合唱団って、こんなに凄かったのか。
「第九は合唱で決まる」とつくづく思い知らされる。
オケの団員が退場した後、合唱団が続いて退場する時に、客席から改めて大きな拍手が起こった。
やはり、この日の聴衆は同じ印象を持っていたんだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋に聴いたコンサート (その1)

2012-12-30 | コンサートの感想
今年も残すところ、あと1日あまり。
ブログも書きたいことは沢山あったのに、またまた生来のサボリ癖が出て殆んど書けずじまい。
ただ今年の10月以降聴いたコンサートは素晴らしい名演ばかりで、これは自分の備忘録としても書いておかねばと思い、まとめて書くことにした次第。
まず第一弾。

◎ウィーン国立歌劇場日本公演
リヒャルト・シュトラウス 歌劇「サロメ」
<日時>2012年10月14日(日)15:00開演
<会場>東京文化会館
<出演>
■サロメ:グン=ブリット・バークミン
■ヨカナーン:マルクス・マルカルト
■ヘロデ:ルドルフ・シャシンク
■ヘロディアス:イリス・フェルミリオン
■ナラボート:ヘルベルト・リッペルト
■小姓:ウルリケ・ヘルツェル
<指揮>ペーター・シュナイダー
<演出>ボレスラフ・バルロク
⇒歌手はほとんど知らないし、その上、指揮者もウェルザー・メストから急遽交代。
しかし、ウィーンのサロメはびくともしない。「これぞサロメ!」というかけがえのない濃密な世界を体験させてもらった。
やはりサロメはオケが主役なんです。
加えて、シュナイダーはウィーンで何度もサロメを手掛けてこのオペラの真髄を知り尽くしているし、サロメ役のバークミン以下歌手たちも、私が知らないだけで皆実力派揃い。
今まで私が観た中で、文句なく最高のサロメだった。


◎ティーレマン&ドレスデン・シュターツカペレ
<日時>2012年10月26日(金)19:00開演
<会場>サントリーホール
<曲目>
■ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」より前奏曲と愛の死
■ブルックナー:交響曲第7番ホ長調
⇒なぜティーレマンが当代きっての人気指揮者と言われるのか、それを思い知らされたブルックナーだった。
極めて丹念に彫刻された音楽に耳を傾けているうちに、次第に速いのか遅いのかすら分からなくなってくる。
やがて自分の体がふわりと空中に浮きあがり、あとはティーレマンのなすがままといった状態に・・・。
そして気がつくとフィナーレが終わっていた。
彼の音楽がこれほど強い陶酔感をもたらしてくれるとは想像もしていなかった。フルトヴェングラーの実演は、ひょっとしたらこんな感じだったのかもしれない。
かつて、アバドのマーラーを聴いて、同じように空中浮遊に近い感覚を味わったことがあるが、決定的に違うのはアバドの音楽には絶対毒がないと信じられたこと。
ティーレマンの場合は、ひょっとしたら毒饅頭かもしれないと思いつつ、それで死ねたら本望と感じさせる魔力があった。
ウィーンフィルが、いま最も一緒に演奏したいマエストロとしてティーレマンの名前を挙げていたことも頷ける。
凄いものを聴いてしまった。


◎小菅優&シェレンベルガー
<日時>2012年11月2日(金)19:00開演
<会場>すみだトリフォニーホール
<曲目>モーツァルト
■歌劇「イドメネオ」序曲
■ピアノ協奏曲第21番ハ長調
■ピアノ協奏曲第23番イ長調
■交響曲第41番ハ長調「ジュピター」
<演奏>
■小菅優(ピアノ)
■シェレンベルガー(指揮)
■カメラータ・ザルツブルク
⇒凄い体験をさせてくれたティーレマンのブルックナーからちょうど一週間後に聴いたコンサート。
大好きな小菅さんのピアノと、これまた大好きなシェレンベルガーが組んでモーツァルトを演奏すると聴いたら放っておけない。
小菅さんのピアノは、いつもに増して多彩な表現と即興性で楽しませてくれた。
一方のシェレンベルガーたちの本領発揮は、最後のジュピター。
第二楽章のテンポは史上最速じゃないかと思うくらい速かったけど、せかせかした感じは皆無。細かなリズムに捉われずに大きな塊で音楽を捉える感性が実に魅力的。そしてフィナーレがこれまた見事。
聴き終わって、とても幸福感に浸れた。


◎ドニゼッティ:歌劇「ランメルモールのルチア」(コンサート形式)
<日時>2012年11月12日(月)19:00開演
<会場>サントリーホール
<出演>
■ナタリー・デセイ(S) ルチア
■ウラジスラフ・スリムスキー(Br) エンリーコ
■エフゲニー・アキーモフ(T) エドガルト
<演奏>
■ワレリー・ゲルギエフ(指揮)
■マリインスキー歌劇場管弦楽団
⇒コンサート形式のルチア。しかし、あのデセイのルチアが聴けるんだから、贅沢は言えない。
心ときめかせて開演を待っていた。
コンサート形式のオペラで、前から2列目の席をゲットできたメリットは計り知れない。
息遣いもはっきり聴こえるような近いところで、デセイがルチアを歌ってくれている。
それだけでドキドキしたが、この日のデセイは文字通り鬼気迫るものがあった。
彼女の声がピークを過ぎたとかいう人もいるが、ルチアになりきったその迫真の歌唱を聴かされたら(演技の力を借りれないにも関わらず)、デセイこそ当代随一のルチアと認めざるを得ない。
メトの来日公演で、ダムラウの清純なルチアに涙した私だが、やはり本家はここに居た。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ポリーニ・パースペクティヴ 2012 (11/7)  ベートーヴェン:「ハンマークラヴィーア」ほか

2012-11-18 | コンサートの感想
めっきり秋らしくなってきた。
日が短くなったし、朝夕の気温も下がってきたので、そろそろコートの出番も近そうだ。
仕事では相変わらず出張が多く、緊張を強いられる場面も多いが、オフは音楽とお酒でモードチェンジ。

昨夜は解禁日に届いていたボジョレー・ヌーボーを堪能させてもらった。
銘柄はすでに我が家の定番になったフィリップ・パカレ。
やっぱり美味しい・・・
このボジョレーには毎年裏切られたことがないが、今年も本当に素晴らしい。
ボジョレーがこんなにエレガントでいいんだろうか。
とにかく、飲むほどに幸せを運んできてくれるワインだ。

さて、私のもうひとつのモードチェンジである音楽だけど、秋に入ってから仕事の間隙を縫っていくつかコンサートを聴いた。
ウィーン国立歌劇場の「サロメ」、ティーレマンとドレスデンシュターツカペレのブルックナー、小菅さんとシェレンベルガーのモーツァルト、デセイのルチア等、それぞれが記憶に残る名演揃いで、音楽を聴けることの喜びをあらためて実感している。
機会をみつけてそれぞれ感想を書くつもりだけど、中でも素晴らしかったのが、7日に聴いたポリーニのベートーヴェン。

オーバーな言い方かもしれないが、私が実演で聴いた最高のピアノ演奏だった。
いや、ピアノに限らず、今まで聴いた実演の中でも5指に入る感動的な演奏だった。
10日以上経った今も、その感動は薄れるどころか、ますますはっきりした形で私の心の中に刻み込まれている。

この日の席は、サントリーホールP席の最前列。
この席は演奏者の表情や息遣いがよく感じられるので、実演を聴く以上「ホールに入れば、聴衆と言う名のプレーヤー」のつもりでいる私にとって、大のお気に入りの席。
ただ、とくにピアノの演奏は、蓋の関係もあって総じて音が良くない。
しかし、私は自分の中でひとつの賭けをしていて、「確かに音は良くないかもしれない。しかし本物の名演奏であれば、そのハンデを超えて必ず自分の心に響くはずだ。今回のポリーニは絶対私の心に強く響くはず」と。
そして、その賭けは当たった。
それも、私の予想をはるかに超えて・・・。

しかし、この日は、申し訳なくなるほど聴衆の入りが悪かった。
安い方の席は大半が埋まっているが、高い席は1階中央部分を除いて閑散としていた。
全体で6割程度だろうか。

前半は、ジャック四重奏団のラッヘルマンの「クリド(叫び)」で始まった。
この曲のことはおろか、作曲者のラッヘルマンのことも全く知らなかったが、とても面白い曲。
弦楽器のフラジオレットの効果を活かした緊張感の高い作品で、ジャック四重奏団の超絶的な名演奏もあって楽しませてもらった。
およそメロディなんてものは存在しないが、音楽が十分に呼吸していて、それが興味深く聴けた原因かもしれない。
前座と言うには、あまりに失礼なくらい素敵な演奏だった。
その後ポリーニが登場して、ベートーヴェンの28番のソナタを弾いてくれたが、第三楽章の祈りのような表現以外、正直あまり印象に残っていない。
やはり、P席ではポリーニの素晴らしさを味わえないのかと、幕間は少し落胆していた。

そして、迎えた後半。
いよいよ、ポリーニのハンマークラヴィーアが始まった。
前半の28番のときとまったく違う。
冒頭のあの響きを聴くだけで、既に王者の風格が漂っていた。
ただならぬ気合いに満ちているにもかかわらず、決して空回りしない。
ベートーヴェンの音楽に対するポリーニの真摯な姿勢が、豊かで温かい響きとなってホールを満たしていった。
「ポリーニのピアノが豊かで温かい?」と驚かれる方もいらっしゃるかもしれない。
しかし、あのハンマークラヴィーアの演奏は、豊かで温かいとしか言いようがなかった。
「全てに亘って完璧。しかし音楽の温度はいささか低い。」という嘗てのポリーニのイメージが、既に過去のものであることを思い知らされる。
完璧を求め続けた不丗出の巨匠がたどり着いた世界は、信じられないくらい豊かで温かく、そこには真摯に音楽に向き合った人間だけが表現できる魂の叫びのようなものが存在していた。

圧倒的な技術も、経験も、研ぎ澄まされた感性も、そのすべてが真摯な気持ちとともに、ベートーヴェンの音楽にひたすら奉仕している。
こんな演奏を聴かされて感動しないわけがない。
第三楽章、アンダンテソステヌートの、ピュアで深い表現を私は決して忘れないだろう。
そして、終楽章。
天から舞い降りてきたかのような美しい「センプレ・ドルチェ・カンタービレ」の主題とその後のフガートの何と感銘深かったことか。
私は、いつまでもこの幸せな時間が続いてくれることを、祈らずにはいられなかった。
最後の和音を響かせて長大なハンマークラヴィーアが終わった後、私は涙が止まらなかった。

かつて同じサントリーホールでアバドが聴かせてくれたマーラーの6番を聴きながら、この日と同じような震えるような感動を味わったことを思い出す。
そのときのアバドたちの演奏も、恐ろしいほどの透明感を基本にしつつ、ヒューマンな温かさに満ちていた。
だから、マーラーの音楽が、いつも以上に生々しく聴き手の心を鷲掴みにした。
この日のポリーニのベートーヴェンは、そのときのアバドたちと比べても優るとも劣らない。
彼が奏でてくれたハンマークラヴィーアは、私たちの心の中で、ずっと生き続けることだろう。
そして、いつの日か「伝説の名演奏」と言われるに違いない。
聴衆は決して多くなかったけど、いつまでも鳴りやまない拍手と全員の熱いスタンディングオベーションが、何よりの証左だ。

生きてて良かった。
そして向こう何十年も、この日の感動で生きていける。
私は心からそう思った。

☆ポリーニ・パースペクティヴ 2012
<日時> 2012年11月7日(水)19:00開演
<会場>サントリーホール
<曲目>
■ラッヘンマン:弦楽四重奏曲第3番「グリド(叫び)」
■ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第28番 イ長調 op. 101
■ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第29番 変ロ長調 op. 106 「ハンマークラヴィーア」
<演奏>
■マウリツィオ・ポリーニ(ピアノ)
■ジャック四重奏団
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする