手元に「BIRDER バーダー」という雑誌がある。文字通り、鳥に関する雑誌である。
私に関していえば、それほどコアなウオッチャーではないが、片田舎に住んでいるせいもあって、鳥の鳴き声がするとふと足を止め、その所在や名前を確認できるまでその場を去りがたいぐらいの関心はもっている。
名前がわからないと、その大きさや色彩、鳴き声などの特徴を記憶し、帰ってからネットで検索したりもする。
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この雑誌、それほど鳥に興味のない人でも、見ているだけでも十分楽しいと思う。というのはグラビアがかなりの部分を占め、島もその写真がみなとても美しいのだ。とりわけ、飛翔している鳥の姿は素晴らしく、目の前に止まっている鳥さえうまく撮れない私にとっては垂涎の的のような画像が満載なのだ。
私が見ている最新号は「特集1」が「飛ぶ鳥の見かた、撮りかた」で、まさにそのものドンピシャリなのだ。なかには、羽ばたきが早くて、肉眼でもよくわからない飛翔の姿形が鮮明に捉えられているものがある。
例えば、このへんでも時折見かけるカワラヒワだが、止まっている時には比較的地味で、ただ少しだけみえる黄色い部分が羽を広げた折の容姿への興味を掻き立てる。実際のところ、飛んでいるところも何度か目撃しているが、その容姿をつまびらかに確認したことはない。しかし、この雑誌に載ったそれは、「う~ん」と思わず唸るような鮮やかさで、羽を広げた折のその黄色の鮮やかさを見せてくれた。
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この号の「特集2」は「カッコウ類観察ガイド」で、一口にカッコウといわれている類の区分から特色、分布、生態などがこと細かに美しい写真付きで紹介され、これを精読すれば誰しもカッコウ博士になれそうなほどである。
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実はここには、私の友人の娘さんが「啼いて血を吐くホトトギス」という一文を書いていて(ホトトギスはカッコウ類の代表的な鳥)、それが面白かった。彼女は、バーダーというより専門の調査員で、普段は山野を厭わず道無き道を踏み分けて(そのおかげで先般は足の骨折というアクシデントに見舞われたようだ)依頼された鳥の分布や生態を調査しているのだが、同時に古今の文芸にも通じ、双方の知識に裏打ちされたエッセイ風な読みものを書いている。
今回の「啼いて血を吐くホトトギス」というエッセイでは、徳富蘆花の小説「不如帰(ホトトギス)」の紹介から、「不如帰」という表記の古く中国での由来、正岡子規の主宰した雑誌「ホトトギス」の由来、ホトトギスの托卵(ほかの鳥の巣に自分の卵を産み付ける)の習性を万葉の歌人がどう表現したかなどが仔細に紹介されていてこの鳥のイメージの外延がうんと広がることとなる。
鳥や鳥の写真に興味のある方にとって、この雑誌は実に豊かだと思う。加えて上に述べたエッセイのような間口の広い記事も併せ読むと、人間と鳥とのいにしえよりの交流が偲ばれて、今までの鳥のイメージがぐんと広がることまちがいなしである。
*なお、上に紹介したエッセイはP40 「啼いて血を吐くホトトギス」(山下桐子さん)
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【おまけ】「啼いて血を吐くホトトギス」でもう一つ個人的な感慨として思い出すのは、新潟出身の村上幸子という演歌歌手のこと。
彼女は、「酒場すずめ」などの中ヒットがあったのだが、さほどビッグネームではなかった。なぜ私が彼女を知ったかというと、1980年代には深夜まで仕事をしていたため、その帰途、カーラジオから流れる文化放送のラジオ番組『走れ!歌謡曲』のパーソナリティをしていた彼女の明るい声にけっこう癒やされていたからだ。
その彼女が、1988年に勝負曲として世に問うたのが「不如帰」だった。しかし、この曲は放送禁止曲として電波に乗ることはなかった。ネットもない当時としては、ラジオやTVが歌の媒体としてはほとんど唯一のもので、そこから締め出されたらお手上げ。
で、その理由だが、その歌詞の中に「啼いて血を吐くホトトギス」という一節があり、それが当時重体であった昭和天皇の病状を連想させて好ましくないということだった。
こんな、ヤクザのイチャモンよりも理不尽な理由で放送という媒体から締め出された彼女の悲嘆がいかばかりだったかが偲ばれる。
それがあってか、彼女は翌年に病に侵されて入院し、その翌年、31歳の若さで早逝してしまった。以下がその歌。
https://www.youtube.com/watch?v=9Y-qpuT5MwA
私に関していえば、それほどコアなウオッチャーではないが、片田舎に住んでいるせいもあって、鳥の鳴き声がするとふと足を止め、その所在や名前を確認できるまでその場を去りがたいぐらいの関心はもっている。
名前がわからないと、その大きさや色彩、鳴き声などの特徴を記憶し、帰ってからネットで検索したりもする。
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この雑誌、それほど鳥に興味のない人でも、見ているだけでも十分楽しいと思う。というのはグラビアがかなりの部分を占め、島もその写真がみなとても美しいのだ。とりわけ、飛翔している鳥の姿は素晴らしく、目の前に止まっている鳥さえうまく撮れない私にとっては垂涎の的のような画像が満載なのだ。
私が見ている最新号は「特集1」が「飛ぶ鳥の見かた、撮りかた」で、まさにそのものドンピシャリなのだ。なかには、羽ばたきが早くて、肉眼でもよくわからない飛翔の姿形が鮮明に捉えられているものがある。
例えば、このへんでも時折見かけるカワラヒワだが、止まっている時には比較的地味で、ただ少しだけみえる黄色い部分が羽を広げた折の容姿への興味を掻き立てる。実際のところ、飛んでいるところも何度か目撃しているが、その容姿をつまびらかに確認したことはない。しかし、この雑誌に載ったそれは、「う~ん」と思わず唸るような鮮やかさで、羽を広げた折のその黄色の鮮やかさを見せてくれた。
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この号の「特集2」は「カッコウ類観察ガイド」で、一口にカッコウといわれている類の区分から特色、分布、生態などがこと細かに美しい写真付きで紹介され、これを精読すれば誰しもカッコウ博士になれそうなほどである。
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実はここには、私の友人の娘さんが「啼いて血を吐くホトトギス」という一文を書いていて(ホトトギスはカッコウ類の代表的な鳥)、それが面白かった。彼女は、バーダーというより専門の調査員で、普段は山野を厭わず道無き道を踏み分けて(そのおかげで先般は足の骨折というアクシデントに見舞われたようだ)依頼された鳥の分布や生態を調査しているのだが、同時に古今の文芸にも通じ、双方の知識に裏打ちされたエッセイ風な読みものを書いている。
今回の「啼いて血を吐くホトトギス」というエッセイでは、徳富蘆花の小説「不如帰(ホトトギス)」の紹介から、「不如帰」という表記の古く中国での由来、正岡子規の主宰した雑誌「ホトトギス」の由来、ホトトギスの托卵(ほかの鳥の巣に自分の卵を産み付ける)の習性を万葉の歌人がどう表現したかなどが仔細に紹介されていてこの鳥のイメージの外延がうんと広がることとなる。
鳥や鳥の写真に興味のある方にとって、この雑誌は実に豊かだと思う。加えて上に述べたエッセイのような間口の広い記事も併せ読むと、人間と鳥とのいにしえよりの交流が偲ばれて、今までの鳥のイメージがぐんと広がることまちがいなしである。
*なお、上に紹介したエッセイはP40 「啼いて血を吐くホトトギス」(山下桐子さん)
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【おまけ】「啼いて血を吐くホトトギス」でもう一つ個人的な感慨として思い出すのは、新潟出身の村上幸子という演歌歌手のこと。
彼女は、「酒場すずめ」などの中ヒットがあったのだが、さほどビッグネームではなかった。なぜ私が彼女を知ったかというと、1980年代には深夜まで仕事をしていたため、その帰途、カーラジオから流れる文化放送のラジオ番組『走れ!歌謡曲』のパーソナリティをしていた彼女の明るい声にけっこう癒やされていたからだ。
その彼女が、1988年に勝負曲として世に問うたのが「不如帰」だった。しかし、この曲は放送禁止曲として電波に乗ることはなかった。ネットもない当時としては、ラジオやTVが歌の媒体としてはほとんど唯一のもので、そこから締め出されたらお手上げ。
で、その理由だが、その歌詞の中に「啼いて血を吐くホトトギス」という一節があり、それが当時重体であった昭和天皇の病状を連想させて好ましくないということだった。
こんな、ヤクザのイチャモンよりも理不尽な理由で放送という媒体から締め出された彼女の悲嘆がいかばかりだったかが偲ばれる。
それがあってか、彼女は翌年に病に侵されて入院し、その翌年、31歳の若さで早逝してしまった。以下がその歌。
https://www.youtube.com/watch?v=9Y-qpuT5MwA
いま私の村では、うるさいくらいに郭公が鳴いています。
http://image.baidu.com/i?ct=201326592&cl=2&lm=-1&nc=1&ps=2&ie=utf-8&tn=baiduimage&pv=&fm=rs1&word=%E6%9D%9C%E9%B9%83%E9%B8%9F&ofr=%E6%9D%9C%E9%B9%83
ご紹介のページ、行ってきました。
ありがとうございました。
この方、すごいですね。ホトトギスのみではなく、ほかの野鳥に対しても「万葉集」などの古典文芸をひいてのエッセイをたくさん書いていらっしゃいますね。
とても内容豊かなブログなのに、08年3月31日をもって突然終了しているのが残念でちょっと気になります。
この雑誌、グラビアが多くてしかもそれらがとても美しいため、これまで知らなかった鳥をまずは眺めるという点でとても面白いと思います。
それと同時に、今号のように、ホトトギスやカッコウの仲間を特集したりしてくれますから、なんか急にその鳥に親近感を覚えたりします。
私にとっては、癒やしと教養を兼ね備えた雑誌です。
こうした規制措置が、どこかからの指令という形ではなく、それらの規制をを内面化していしまったギョーカイが、まるでカルテルを結んだかのように足並みを揃えて「自主規制」することが怖いですね。
そうしたなかで、「沖縄タイムズ」は個性的でいいですね。
自主規制は勝手ですが、その中にも各社によって温度差があってしかるべきなのに、それらが滅んどなくて横並びというのが気味が悪いです。
これでは、大本営発表にはとても逆らえないでしょうね。
「反日」云々といわれるのは構いません。何かを書くたびに、「反日」だとか「北朝鮮へ帰れ」などというコメントがやってくるのには慣れていますから。むしろ、彼らに共感や同意されたりする不名誉からは逃れたいものと思っています。
確かに、鳥自身はそれなりの艱難辛苦の世界にいるのでしょうが、まあ鳥自身はそれを苦難としては受容せず、極めて自然にその世界を生きているのでしょうね。
同様に、飛翔の自由も彼らにとっては与えられた自然で、別になにほどのこともないのでしょうが、やはり私たちから見ると自由の象徴ですね。
特定の大地に縛り付けられていること、強力な「引力」という関係性の網目に捉えられていること、などなどから鑑みるに、やはりそう見えてしまいますね。
「しのび音」起源考-ホトトギスのしのび音について⑴、と入力して検索しご覧になれば、いろいろ派生して面白い記事が沢山みられるようでした。僭越ながらご紹介させていただきました。
六文銭さんご紹介の雑誌も私にも興味深いです、というより「鳥・ことはじめ」にスズメ、カラスぐらいしかわからない私が興味をそそられたということです。
思い出します、当時の業界の自主規制。
多くのイベントが中止。
CMは明るいのダメ、かといって暗いのもダメ。
メディア関係者はXデーの表記を固唾をのんで見守っていました。
当日の新聞の見出しは一斉に「崩御」。
一般紙で「逝去」と書いたのは沖縄タイムズくらいだったのでは?
それまでメディアの自主規制は、主に人権を対象にしていたのが、
古くは「風流夢譚」や「セブンティーン」の事件、
さらにこの昭和天皇の死亡などを節目に、
実にあいまいな、しかも大規模なものになりましたね。
最近は沖縄タイムズが天皇皇后「ご夫妻」と書いただけでネットが炎上。
「両陛下」と書かないのは、不敬なサヨク新聞だそうです。
業界の自主規制に加え、ネットユーザーの監視も厳しくなりました(笑)。
こんな書き込みをすると、六文さんのブログ自体が
反日サヨクの拠点とみなされ、ご迷惑かもしれませんね(笑)。
有り難うございます。過分のお言葉、喜ぶことでしょう。
鳥に救われたような人生。鳥の不思議さには、私も魅了されます。何故、コンパスも地理も気象条件も知らないのに
渡りの時期を間違えないのかとか、いろいろ。
上昇気流に乗って、大きく翼を広げて飛翔する姿は、自由そのもの。厳しい現実も待っているでしょうが、いかにも自由に見えますね。