26日、呼吸器家の検査で市民病院へ。検査項目や問診によってあちこちへたらい回しにされ、それぞれの箇所で待たされる。本を持って行って正解だった。
持って行ったのはニーチェの全詩集。若いころの詩は、私が高校生の頃に書いていたものとさして変わらないが(何たる思いあがり!)、彼の思想が熟成するに従い、独自の境地に至る。それがスゴい!
写真は市民病院の2階で待たされている時に撮ったものだが、これらの配管、絶えざるメンテナンスによってちゃんと機能しているのだろうな。私の呼吸器もそうであるといいのだが。
結局この日は結論が出ず、2月5日に引き続きの検査となった。一審での結論が曖昧なまま、二審へ送付された被告の心情。
27日、市民病院を紹介してくれたクリニックへ報告方々いつももらっている薬の処方を依頼に行く。前回処方されたおままごとのような吸入器具を使った呼吸器への薬は、気のせいか効き目があるようで、息切れの回数が減ってきたように思う。
調合薬局で薬を受け取った後、まあまあ暖かかったのと、曇り空だったのに急に陽射しがあって夕刻前の風景を彩りはじめたので、少し散歩。
桜並木の川べりを歩く。
桜の老木に、眩しいような斜光がきらめいている。
冬の川べりは寂しいが所々で小魚たちの反転がキラリと光る。
映り込みの桜が綺麗だ。花の時期に、ここで映りこみの桜が撮れたら面白いだろうと思うが、きっとその頃にはもう忘れてしまっているだろう。
川から逸れて、菜園に差し掛かる。
冬の野菜はさほど種類が豊富ではない。
採り忘れた葉物がやたら大きくなっている。
鎮守様を抜けて家路へと思ったら、境内で中坊が二人、上着を脱いで白いシャツのまま組み合っている。
喧嘩ではない。
「なんの稽古だ」と訊いたら、「柔道です」との答えが。
部活だろうか、それとも武道の時間の復習だろうか。
いずれにしても、若いってことはいいなあと、60年前へと回想は飛躍する。
家路の方角に夕日が落ちようとしている。
帰ったら、わずかばかりの雑用を済ませ、それから夕餉の支度に取り掛かろうと思う。
持って行ったのはニーチェの全詩集。若いころの詩は、私が高校生の頃に書いていたものとさして変わらないが(何たる思いあがり!)、彼の思想が熟成するに従い、独自の境地に至る。それがスゴい!
写真は市民病院の2階で待たされている時に撮ったものだが、これらの配管、絶えざるメンテナンスによってちゃんと機能しているのだろうな。私の呼吸器もそうであるといいのだが。
結局この日は結論が出ず、2月5日に引き続きの検査となった。一審での結論が曖昧なまま、二審へ送付された被告の心情。
27日、市民病院を紹介してくれたクリニックへ報告方々いつももらっている薬の処方を依頼に行く。前回処方されたおままごとのような吸入器具を使った呼吸器への薬は、気のせいか効き目があるようで、息切れの回数が減ってきたように思う。
調合薬局で薬を受け取った後、まあまあ暖かかったのと、曇り空だったのに急に陽射しがあって夕刻前の風景を彩りはじめたので、少し散歩。
桜並木の川べりを歩く。
桜の老木に、眩しいような斜光がきらめいている。
冬の川べりは寂しいが所々で小魚たちの反転がキラリと光る。
映り込みの桜が綺麗だ。花の時期に、ここで映りこみの桜が撮れたら面白いだろうと思うが、きっとその頃にはもう忘れてしまっているだろう。
川から逸れて、菜園に差し掛かる。
冬の野菜はさほど種類が豊富ではない。
採り忘れた葉物がやたら大きくなっている。
鎮守様を抜けて家路へと思ったら、境内で中坊が二人、上着を脱いで白いシャツのまま組み合っている。
喧嘩ではない。
「なんの稽古だ」と訊いたら、「柔道です」との答えが。
部活だろうか、それとも武道の時間の復習だろうか。
いずれにしても、若いってことはいいなあと、60年前へと回想は飛躍する。
家路の方角に夕日が落ちようとしている。
帰ったら、わずかばかりの雑用を済ませ、それから夕餉の支度に取り掛かろうと思う。