一昨日、東条英機の孫、東條由布子さん(1939年5月20日~)が亡くなられたそうです。
実際には東條姓ではないにもかかわらず、祖父を敬愛するあまりその姓を名乗り続け、祖父の業績を正当化するために修正史観を広めるイデオローグとして機能し続けました。
そのありようは、彼女の父であり、英機の子息であった英隆氏が、その父に対してきわめて批判的であったのとは対照的でした。
しかし、彼女にも哀しい側面があり、小学生の頃、英機の孫であるというのみで黒板の前に立たされ、教師や同級生たちからいわれなき罵倒を受けたことがあったそうです。
もともと個別であるひとを、ある範疇へと還元し(例えば、右翼、左翼などなど)、これをいっぱひとからげに規定し、その上に立って抑圧や差別を加えるという日本人の習性が、幼い彼女をどれほど理不尽に傷つけたかと思うと不憫でなりません。
長じて彼女が喧伝して歩いた修正史観や旧体制賛美のイデオロギーには全くもって賛成はできませんでしたが、あの東条英機の孫に生まれ合わせたばかりに歴史の波間に揉まれ、戦後の激動期を(私などと)共に生きてきたひとりの人間として、彼女の死を悼みたいと思います。 合掌
<付記>私は国民学校一年生の折、「何になりたいか」という問いに「東条英機のような偉い大将になりたい」というと大人たちが「お前は偉い」と褒めてくれたことを覚えています。もちろん、敗戦前です。
小学一年生の子供がそんな発言(発想)をする。まわりの大人がそれをほめる。
その事だけをとってもあの時代の異常な空気感が伝わりますね。
やはり僕はそれをその空気感を恐れます。
その意味では一種の刷り込みみたいなものですね。
「立派な兵隊さんになってお国のために戦う」というのは当時の男の子のかなり平均的な答え方だったと思います。そういうように教育され仕向けられていたのですから。
また、戦場で「手柄」を立てた軍人の話があちこちで語られ、それが顕彰されるものですから、今の男の子がサッカー選手に憧れるように、そうした軍人に憧れたということもあるでしょう。