【若い人たちへ】いささか長文ですがこれは読んで下さい。
私のようにものごころついた頃は戦争で、疎開をしたり空襲で命からがら逃げ惑ったりした老人は、往時の経験がこびりついています。
敗戦時、国民学校一年生だった私は、校舎を焼かれ、お寺の本堂が学校で、教科書に墨を塗ったこともあります。もうこれで、空襲警報がないと知った時、はじめて恐怖感なしに青空を見上げることが出来たものでした。
ですから戦後になって、むかしへ逆戻りするような法案や制度には一貫して反対してきました。あの、周辺でバタバタ人が死んでいった戦時への逆戻りはもうコリゴリだからです。
そんな私のような者に対して、今は、政治、経済、軍事、外交など往時とはまったく条件が異なるのだから、戦争への懸念など杞憂にすぎない、ようするに「戦争が、戦争が」といいつのるのは、「狼が来た」の類だといわれてきました。
たしかに、世界各地でさまざまな戦争が勃発するなか、日本はそれへの「直接の」関与をかろうじて免れてきました。その意味では「狼は来なかった」のかもしれません。
しかし、ここに至って事態は一挙にきな臭くなってきました。
またかといわれるかもしれませんが、あの悲惨な戦前への回帰が加速しているように思えるのです。
そのひとつが、現在問題になっている「秘密保護法案」です。
公明党あたりが「知る権利」という文言を織り込むようにしたといっていますが、法案を見る限る「その他」という箇所が三十数箇所もあり、時の為政者によりどのようにも運用される余地があるのです。
これらはもちろん戦前にもありました。
改正軍機保護法(1937年)や軍用資源秘密保護法(1939年)、国防保安法(1941年)などがそれで、それらの拡大解釈はほとんどすべての情報を覆い尽くしていました。
私の父がくれた戦地からの軍事郵便には、何箇所か墨塗りの箇所があったのですが、地名、時刻、それに天候を知らせるものは全てアウトでした。ことほど左様に各所轄が管理する「秘密条項」は必ず拡大解釈され、私たちの得る情報は大幅に制限されるのです。
私もまた、このように戦争ごっこをした!
ついで問題は、昨今叫ばれている道徳教育の必須化とその徹底です。
私の頃は、それは「修身」でした。「教育勅語」をバックボーンとした少国民の育成は「死して国家=天皇陛下」のために身を捧げよでした。それがどれほどの洗脳力をもつかは、わずか6歳の幼い私が、大きくなったら軍人になり天皇のためにこの身を捧げるのだと思い込んでいたことでもわかります。
ついで、最近の新聞によれば、教科書の検定を強化し、歴史認識の一元化など実質上の国定教科書化への動きが現実の課題になりつつあります。
戦前の教科書には、日本は万世一系の神の国であり、危機になれば「神風」が吹くと書いてありました。ようするに「神州不滅」という根拠のない新興宗教に皆が陶酔し、為政者のリードするまま、あの無謀な戦争に突入していったのでした。
過ぐる戦争の末期、片道の燃料のみを積んで、戦艦に体当たりを試みた特攻隊は「神風」というカルト的な命名がされていたのです。そのほとんどは虚しく撃墜され、そうした無謀な人間爆弾の死者は6,000人に及びます。
秘密保護法、道徳教育の必須化、検定強化による国定教科書化の3点セットはまさに戦前回帰を思わせるに十分なのです。
国民に国の実態を知らせることなく、国のために死ぬよう洗脳し、それらに反する人たちを徹底して弾圧し排除したあの戦前が彷彿とするのです。
この国には、第一次大戦後の景気を背景に、「大正デモクラシー」という表面上は比較的開けた時代がありました。その後、昭和初期にはモガ・モボ(モダン・ガール&ボーイ)と言われた人たちが最新のファッションをまとい帝都を闊歩しました。
しかし、その背後で上記のような法案や教育制度を駆使しながら、戦時体制が着々と進行しつつあったのです。
当初は、宣戦布告なしの「事変」と呼ばれた実質上の戦争状態から、この国はズルズルと敗戦までの15年間を戦争に明け暮れるのですが、その折、ほんの一握りの人を除いてはもはや戦争に反対するひとはいませんでした。
その一握りのひとは、非国民とされ、後述する「治安維持法」などで検挙され、拷問の末に転向したり、それに屈しない場合は殺されたり、獄舎に繋がれたりしました。
そして、国内で戦争に批判的な勢力はもはや皆無という状況のなか、行くところまでいった結果が、日本人300万人、近隣諸国2,000万人という死者の山だったのです。
軍民問わず多くの犠牲者を出した沖縄での地上戦
「なんであんな戦争を」と今いうのは簡単なことです。
「私たちだったらそんな状況になったら反対するから戦争なんか起こりっこない」と思っている人も多いでしょう。
しかし、当時、大多数の人たちは戦争に浮かれ、ひとつひとつの戦勝に、まるでスポーツの大会で優勝したかのように提灯行列までして歓呼の声をあげていたのです。
なぜでしょうか。
戦前の人たちがとくに好戦的であったわけではありません。
しかし、戦争が必然であるかのように刷り込まれてしまっていたのです。
また彼らがとくに情報に疎かったわけではありません。
情報源が少ないなか、彼らは今の私たちより必死で新聞を読み、ラジオを聴きました。
しかしそこでは本当のことは何一つ伝えられなかったのです。
ボロボロに負けていても大本営は勝利を謳歌していました。
疑うことも許されませんでした。
「こんなに空襲があるというのは日本が負けているからではないか」と呟いただけで特高警察に連行され、半殺しの目にあって「背後関係」の自白を強要されたりしました。
沖縄で収集された遺骨たち
そうした事態に陥ったのは、先にみた軍機保護法や国防保全法などにより、軍事はもちろん、政治、経済、外交や国際情勢や国際世論などが全く国民の耳目には達していなかったからです。
更には徹底した軍国教育、忠実な兵士育成のための教育が教育勅語や修身による洗脳によって思想的、イデオロギー的に完膚なきまでに叩きこまれていたからです。
ですから、今回の秘密保護法、道徳教育の徹底化、教科書の国定化への動きを前にして、やはり「狼が来た」といわざるをえないのです。
戦前への回帰はあとほんの僅かで完成するのです。
ひとつは治安維持法とそれに基づく特別高等警察(特高)による思想信条の徹底した管理と取り締まり、それにもう一つは九条を放棄し、戦争条項を盛り込んだ憲法の制定です。
軍人や兵士たちの墓標
それでもなお、こうした言い分は「狼が来た」だといわれるかもしれません。
しかし、先の原発事故を考えてみて下さい。
あれだって、実際に起こるまではまさかということで「安全神話」は暗黙のうちに了承されていたのです。評論家の加藤典洋氏は率直に、自分もまた安全神話を信用していたことを認め、自分の新たな立脚点を求めると述べています(『ふたつの講演』岩波書店)。
情報は本来、国民全体のものです。
それらの一部を行政上の都合で公にできないこともあるでしょう。
しかしそれは必要最低限に絞り、一定期間が経過した後は公開するのが原則なのです。
今回のように「その他」を連発し、秘密事項を恣意的に増やすような法案は主権在民や民主主義に真っ向から挑戦するものです。
最後にもう一度いわせて下さい。
「狼は来ているのです!」
私のようにものごころついた頃は戦争で、疎開をしたり空襲で命からがら逃げ惑ったりした老人は、往時の経験がこびりついています。
敗戦時、国民学校一年生だった私は、校舎を焼かれ、お寺の本堂が学校で、教科書に墨を塗ったこともあります。もうこれで、空襲警報がないと知った時、はじめて恐怖感なしに青空を見上げることが出来たものでした。
ですから戦後になって、むかしへ逆戻りするような法案や制度には一貫して反対してきました。あの、周辺でバタバタ人が死んでいった戦時への逆戻りはもうコリゴリだからです。
そんな私のような者に対して、今は、政治、経済、軍事、外交など往時とはまったく条件が異なるのだから、戦争への懸念など杞憂にすぎない、ようするに「戦争が、戦争が」といいつのるのは、「狼が来た」の類だといわれてきました。
たしかに、世界各地でさまざまな戦争が勃発するなか、日本はそれへの「直接の」関与をかろうじて免れてきました。その意味では「狼は来なかった」のかもしれません。
しかし、ここに至って事態は一挙にきな臭くなってきました。
またかといわれるかもしれませんが、あの悲惨な戦前への回帰が加速しているように思えるのです。
そのひとつが、現在問題になっている「秘密保護法案」です。
公明党あたりが「知る権利」という文言を織り込むようにしたといっていますが、法案を見る限る「その他」という箇所が三十数箇所もあり、時の為政者によりどのようにも運用される余地があるのです。
これらはもちろん戦前にもありました。
改正軍機保護法(1937年)や軍用資源秘密保護法(1939年)、国防保安法(1941年)などがそれで、それらの拡大解釈はほとんどすべての情報を覆い尽くしていました。
私の父がくれた戦地からの軍事郵便には、何箇所か墨塗りの箇所があったのですが、地名、時刻、それに天候を知らせるものは全てアウトでした。ことほど左様に各所轄が管理する「秘密条項」は必ず拡大解釈され、私たちの得る情報は大幅に制限されるのです。
私もまた、このように戦争ごっこをした!
ついで問題は、昨今叫ばれている道徳教育の必須化とその徹底です。
私の頃は、それは「修身」でした。「教育勅語」をバックボーンとした少国民の育成は「死して国家=天皇陛下」のために身を捧げよでした。それがどれほどの洗脳力をもつかは、わずか6歳の幼い私が、大きくなったら軍人になり天皇のためにこの身を捧げるのだと思い込んでいたことでもわかります。
ついで、最近の新聞によれば、教科書の検定を強化し、歴史認識の一元化など実質上の国定教科書化への動きが現実の課題になりつつあります。
戦前の教科書には、日本は万世一系の神の国であり、危機になれば「神風」が吹くと書いてありました。ようするに「神州不滅」という根拠のない新興宗教に皆が陶酔し、為政者のリードするまま、あの無謀な戦争に突入していったのでした。
過ぐる戦争の末期、片道の燃料のみを積んで、戦艦に体当たりを試みた特攻隊は「神風」というカルト的な命名がされていたのです。そのほとんどは虚しく撃墜され、そうした無謀な人間爆弾の死者は6,000人に及びます。
秘密保護法、道徳教育の必須化、検定強化による国定教科書化の3点セットはまさに戦前回帰を思わせるに十分なのです。
国民に国の実態を知らせることなく、国のために死ぬよう洗脳し、それらに反する人たちを徹底して弾圧し排除したあの戦前が彷彿とするのです。
この国には、第一次大戦後の景気を背景に、「大正デモクラシー」という表面上は比較的開けた時代がありました。その後、昭和初期にはモガ・モボ(モダン・ガール&ボーイ)と言われた人たちが最新のファッションをまとい帝都を闊歩しました。
しかし、その背後で上記のような法案や教育制度を駆使しながら、戦時体制が着々と進行しつつあったのです。
当初は、宣戦布告なしの「事変」と呼ばれた実質上の戦争状態から、この国はズルズルと敗戦までの15年間を戦争に明け暮れるのですが、その折、ほんの一握りの人を除いてはもはや戦争に反対するひとはいませんでした。
その一握りのひとは、非国民とされ、後述する「治安維持法」などで検挙され、拷問の末に転向したり、それに屈しない場合は殺されたり、獄舎に繋がれたりしました。
そして、国内で戦争に批判的な勢力はもはや皆無という状況のなか、行くところまでいった結果が、日本人300万人、近隣諸国2,000万人という死者の山だったのです。
軍民問わず多くの犠牲者を出した沖縄での地上戦
「なんであんな戦争を」と今いうのは簡単なことです。
「私たちだったらそんな状況になったら反対するから戦争なんか起こりっこない」と思っている人も多いでしょう。
しかし、当時、大多数の人たちは戦争に浮かれ、ひとつひとつの戦勝に、まるでスポーツの大会で優勝したかのように提灯行列までして歓呼の声をあげていたのです。
なぜでしょうか。
戦前の人たちがとくに好戦的であったわけではありません。
しかし、戦争が必然であるかのように刷り込まれてしまっていたのです。
また彼らがとくに情報に疎かったわけではありません。
情報源が少ないなか、彼らは今の私たちより必死で新聞を読み、ラジオを聴きました。
しかしそこでは本当のことは何一つ伝えられなかったのです。
ボロボロに負けていても大本営は勝利を謳歌していました。
疑うことも許されませんでした。
「こんなに空襲があるというのは日本が負けているからではないか」と呟いただけで特高警察に連行され、半殺しの目にあって「背後関係」の自白を強要されたりしました。
沖縄で収集された遺骨たち
そうした事態に陥ったのは、先にみた軍機保護法や国防保全法などにより、軍事はもちろん、政治、経済、外交や国際情勢や国際世論などが全く国民の耳目には達していなかったからです。
更には徹底した軍国教育、忠実な兵士育成のための教育が教育勅語や修身による洗脳によって思想的、イデオロギー的に完膚なきまでに叩きこまれていたからです。
ですから、今回の秘密保護法、道徳教育の徹底化、教科書の国定化への動きを前にして、やはり「狼が来た」といわざるをえないのです。
戦前への回帰はあとほんの僅かで完成するのです。
ひとつは治安維持法とそれに基づく特別高等警察(特高)による思想信条の徹底した管理と取り締まり、それにもう一つは九条を放棄し、戦争条項を盛り込んだ憲法の制定です。
軍人や兵士たちの墓標
それでもなお、こうした言い分は「狼が来た」だといわれるかもしれません。
しかし、先の原発事故を考えてみて下さい。
あれだって、実際に起こるまではまさかということで「安全神話」は暗黙のうちに了承されていたのです。評論家の加藤典洋氏は率直に、自分もまた安全神話を信用していたことを認め、自分の新たな立脚点を求めると述べています(『ふたつの講演』岩波書店)。
情報は本来、国民全体のものです。
それらの一部を行政上の都合で公にできないこともあるでしょう。
しかしそれは必要最低限に絞り、一定期間が経過した後は公開するのが原則なのです。
今回のように「その他」を連発し、秘密事項を恣意的に増やすような法案は主権在民や民主主義に真っ向から挑戦するものです。
最後にもう一度いわせて下さい。
「狼は来ているのです!」
拙ブログをご紹介いただきありがとうございました。
ところで、春さんのブログってどこにあるのでしょう?
いろいろ検索してみたのですが、「春」というハンドル・ネームの方はとても多くて、違う方ばかりでした。
お差し支えなければ、ブログのアドレスなどご教示ください。
もし、全体への公開にお差支えがあるようでしたら、その旨をお書きになったコメントを頂けば、ここは承認制になっていますので、コメント欄には載せずに済ませます。
早速拙ブログにて紹介させていただいたのですが、もっと気の利いた紹介が出来なかったかと、あらためて自身の不甲斐なさに歯痒い思いです。
ようこそ!
若い人たちに一人でも多く読んでいただきたいと思っていますから、リンクは大歓迎です。
よろしくお願いいたします。
「狼は来ている!」
狼を見た事の無い僕ですら、そう思えてなりません。
此方の日記を僕のmixiの日記でリンクさせていただいても良いでしょうか?
若い人がそういうのも無理は無いかもしれませんね。
あの高市早苗も、「かつての戦争の折りには自分は生まれていないから何ら責任はない。近隣諸国への謝罪などもってのほか」といっているようです。
そのくせ、靖国へは毎年参拝していますから、「無関係」では決してないと思うのですが。
=たしかお前の中学時代、仲が良かった友だちは自衛隊に入ったと言ってたよね。
その友だちが「仲のよかった友人を挙げよ」という適正評価」調査に、お前の名前を挙げるかもしれないよね。
しかしその調査項目の中には、「飲酒はどの程度か」とか、借金があるかどうか調べるための「関係銀行名」とか、「レンタカーを使用するかどうか」といった項目まであるんだよ=