<承前>前回は60年代の高度成長期の模様を、私の給与を例に取りながら見て来ました。
今のような格差のない、ほぼ万遍ない所得の上昇、そして失業者が少ない就職難とは逆の求人難の時代、一見、けっこう毛だらけ猫灰だらけの時代にあって、長期的に見たら私たちはとんでもないものを食いつぶし、かつ生み出してきたのでした。
今回はそれについて述べましょう。
■ひとつは農山村の疲弊と過疎化です。
それ以前、農山村はそれなりにひとつの経済単位として自立していました。
しかし、高度成長の波は農山村を貨幣経済の荒波に晒し、その労働力を都会へと奪い去り、あっという間に山村の集落を過疎化し、もはや生活不能な地区にしてしまいました。
1970年代は、日本経済発展の頂点を極めたといわれていますが、その影で多くの村落がもはや存続不可能として離村を宣言し、村ごとなくなるという事態が起きました。私が先月訪れた長野県の大平村が集団離村決議をしたのは1975(昭和50)年でした。
私はその頃、渓流釣りに凝って、あちこちの谷川沿いに歩いていますが、そうした廃村跡を無数に目にしています。
こうした現象をまざまざと思い起こさせたのが一昨年に訪れた中国山西省の山村です。あとで調べたら、ここにとどまらず、内陸部の農山村から都市部への人口流出は膨大な数で、残されたのは老人と子どもたちだけという典型的な過疎化がドンドン進行しつつあるようです。
■もうひとつは環境破壊でした。水俣、四日市、川崎、神通川などなどで、人の命にまで及ぶ環境破壊が蔓延し、河川、海洋、そして大気の汚染は留まるところを知りませんでした。
サラリーマン時代、私はよく四日市へ行ったのですが、名古屋を出て桑名を過ぎた辺りでもう空気は異様な臭気を漂わせていました。
そのあまりのひどさと、実際に人命に関わる被害が続出するなかで、さすがに各種の規制や改善が実施されましたが、その余燼は今もなおくすぶり続けています。
■さらには、エネルギー政策の転換に伴う問題がありました。
1960年の三井三池の大争議で炭労を片付けた後、石油への転換がまっしぐらに行われました。それが、先に見た四日市や川崎の石油コンビナートによる公害の拡散に繋がって行ったことはいうまでもありません。
そればかりではありません。石油を外国に頼らざるを得ない事態から脱却すべく、63年に東海村に原子力発電所ができて以降、74年には原発を作るごとに交付金が支給される「電源三法」が成立し、この狭い国土に50基を越える原発が設置されるという恐ろしい事態もこの期間に端を発しているのです。そしてそれがフクシマの大惨事につながったことはあらためていうまでもないでしょう。
こうして一見、結構尽くめに見えた高度成長期は、同時に日本列島に回復不能な深い爪痕を残しました。
農山村の経済的な破壊とその抹消、自然に刻み込まれた鉄とコンクリートの侵略は、もはや半世紀前の日本の姿を遠い記憶の中へと追いやってしまいました。それに代わって現れたもっともグロテスクなものたちの象徴が、本来は風光明媚であった箇所に設置されたあの禍々しい原発群です。
これらに加えて、眼に見えない共同体のあり方やそこでの人びとのありよう、人の心の重心や矜持のありようの変化といったものにも触れるべきかもしれませんね。
現代は山林の中の地下茎(リゾーム)のようにすべてが複雑な関連で絡まり合っている時代です。
そこからあたかも都合のいい部分のみを切り取ることができるかのように叫ばれているのがアベノミクスと呼ばれる経済政策でしょう。この格差社会のなか、あるいは私のような老人が多いなか、収入は増えないのに負担のみが増加する事態はすでに始まりつつあるようです。
農業に見切りを付け、土建業に転じた経営者に話を聞いたことがあります。公共事業が減ったけれど従業員の雇用を維持したいから本業の傍ら農業を再開したと。でもいったん耕作を放棄した土地を生き返らすには、途方もない手間とカネがかかるそうです。10年やってみて採算が取れなきゃ、本業もろともバンザイだと言っていました。
そして、そういう道筋を、止めることのできなかった
私たちの怠慢?も、胸に痛いです。
私がやっと就職した高校は、農林高校の分校でしたが、
もはや、1961年の時代で、農業に従事する若者は居なくて、農業科は、廃止になり、団塊の世代と言われる子どもたちが、入る普通科が不足して、普通科が新設されたのでした。
元、陸軍所有の航空場であったところを、入植者を募集して、農業従事者に安く土地を払下げたのに、
その子どもたちは、自衛隊員や警察官になって、学校を去りました。
その土地も、今ではこじゃれた住宅が密集する地域となって、昔の面影はありません。
農業政策を、きちんとしなかったため、今や自給率は下がり、漂着者さんのおっしゃるような現状になっているのですね。まったく、唇をかむしかないのが悔しいです。
たしかにいったん耕作を放置した土地の再生は、その間の年数にもよりますが、なかなか大変でしょうね。
10年も放置した山間の田畑では、おそらく当初の開墾と同程度の負担が必要でしょうね。
まじめに働く人たちを振り回す「経済」というのは冷酷ですね。
一方ではその「経済政策」によって確実に利益を保証されている人達がいるだけに、その落差は目立ちます。
歴代の政治は、農業の脆弱な基盤を放置したまま、補助金や助成金のバラマキだけで票田としてつなぎとめてきました。
しかし、それらはもう限界で、今回のTPPで大打撃を受けるのではないでしょうか。
同時に、遺伝子組み換え作物などが大量に流入してくることでしょう。
これらは私たちが口にする動植物を作り替えてしまい、しかもその副作用はそれを摂取し続ける人の体内に蓄積され続けるとしたら、放射能同様の怖さがあるように思います。
とくにこれから育つ子どもたちにとっては…。
トヨタ市は、未だ市内に工場が残っているから大丈夫ということなのでしょうか。
株をもつということは大変なことですね。
お仲間として支持されてきた安倍さんの政治的気まぐれ(思惑)からのひと言で胃がキリキリ痛むような思いをしなければならないのですから。
私は、経済とは基本的には私事であり、政治は(それへの関係は否めないものの)基本的には経済の下僕たることから離れて、人間がともに生きてゆく(共生)ためのイメージを語り合うパブリックな場(ポリス)として機能すべきだと思っていますから、株価はひとつの指標として参照はするものの、まったくニュートラルな観察者であり続けることでしょう。
株を持つことで、リアルに現実と関わりあうという側面を否定するものではありませんが、しかし同時に、それがある種の客観性のようなものを損なっているように思います。利害に犯された視点の固着としてのイデオロギーとして。
資本主義の冷酷な面やシステムとしての欠陥をたくさん見て来ました。それと同時に社会主義の残酷さや欠陥も十分見て来ました。したがって私は、あなたが考えるほど単純な資本主義否定論者ではありません。
資本主義が最良で永遠な制度だとはいささかも思いませんが、それに変わるアルタナティヴなシステムについても明確なものは持ちあわせていません。
したがって、この現状のなかで発する不都合なものについて「NO!」を言う権利を留保しているのみです。それは、システムの成員の権利であり義務であり、その保証が民主主義かもしれないと思っています。
また、株式悪いとか、個人が株を保有することについて否定したことは一切ありません。私はたまたま機会に恵まれず、また賭け事があまり好きでないために参加いたしてはおりませんが、株を保有することの二面性については上でも申し上げているとおりです。
願わくば、自分の持っている株が上がるのが良い政治、下がるのが悪い政治という短絡をなさいませぬようにということです。
それはまさに、存在が意識を決定するというもっとも卑俗的な例としてのイデオロギーに屈することだと思います。
システムのより良い方向への改良が、同時にあなたの保有される株の価値を増すことを祈って・・・。