話は2月27日の夕刻にさかのぼります。
そぼ降る雨の中、帰宅した私は、夕闇迫る庭先で、何やら白いものがボンヤリ揺れているのに気付きました。
近づいてみると、まさかと思っていたその「まさか」でした。
そうなんです。桜の花が咲き、折りからの風雨に揺れていたのです。
28日、起きがけに写真を撮りました。
古い友人はご存知ですが、私の家の桜は、ソメイヨシノと違って、大粒の桜ん坊がとれるもので、例年、ソメイヨシノとは10日か2週間前に花を付けます。
ということは三月の中頃というのが平均値で、この30年間のうち、「オッ、早いな」と思った年でも、10日前後でした。
それがなんと、2月でもって開花とは・・。
花を見ることは嬉しいことです。
しかし、今回は何やら不安もあります。
温暖化がささやかれていることは私でも知っているからです。それがこんなに身近で経験させられるとは。
この温かさが、今年の特例であり、来年はまた寒い冬が来ればと思ってしまうのです。寒いのは苦手であるにもかかわらずです。
この暖かさは、人類に対する警鐘かも知れません。
もはや、さして生産や消費に関わることなく、少ないエネルギーで生活している身としては(数年前までは、一日70キロの距離を運転していましたが、今は一ヶ月でそれぐらいでしょうか)、これから生きる人たちが、地球とどのように向かい合うかが問われているのだと思います。
もちろん、これはいささか無責任な言い方で、例えこうした状況に積極的に加担しなかったとしても、それを阻止しえなかった責任は私たちにもあるに違いないからです。
ただし、こんな論議は咲いた花には失礼でしょうね。花は「なぜなし」に咲くからです。そこには、人間様のような欲望や自力のかけらもありません。
ですから、環境問題はそれとして意識に留めつつ、咲いた花に対しては、別の次元での自然の働きとして、敬意と称賛をもって見るべきでしょう。
ホラ、綺麗でしょう。今年は、花の数も多そうです。きっと桜ん坊も豊作でしょう。
自然の営みに感謝!そして、それをも歪めてしまう人間の欲望に対して、警戒を!
如月になにか不安な桜咲く 六
そぼ降る雨の中、帰宅した私は、夕闇迫る庭先で、何やら白いものがボンヤリ揺れているのに気付きました。
近づいてみると、まさかと思っていたその「まさか」でした。
そうなんです。桜の花が咲き、折りからの風雨に揺れていたのです。
28日、起きがけに写真を撮りました。
古い友人はご存知ですが、私の家の桜は、ソメイヨシノと違って、大粒の桜ん坊がとれるもので、例年、ソメイヨシノとは10日か2週間前に花を付けます。
ということは三月の中頃というのが平均値で、この30年間のうち、「オッ、早いな」と思った年でも、10日前後でした。
それがなんと、2月でもって開花とは・・。
花を見ることは嬉しいことです。
しかし、今回は何やら不安もあります。
温暖化がささやかれていることは私でも知っているからです。それがこんなに身近で経験させられるとは。
この温かさが、今年の特例であり、来年はまた寒い冬が来ればと思ってしまうのです。寒いのは苦手であるにもかかわらずです。
この暖かさは、人類に対する警鐘かも知れません。
もはや、さして生産や消費に関わることなく、少ないエネルギーで生活している身としては(数年前までは、一日70キロの距離を運転していましたが、今は一ヶ月でそれぐらいでしょうか)、これから生きる人たちが、地球とどのように向かい合うかが問われているのだと思います。
もちろん、これはいささか無責任な言い方で、例えこうした状況に積極的に加担しなかったとしても、それを阻止しえなかった責任は私たちにもあるに違いないからです。
ただし、こんな論議は咲いた花には失礼でしょうね。花は「なぜなし」に咲くからです。そこには、人間様のような欲望や自力のかけらもありません。
ですから、環境問題はそれとして意識に留めつつ、咲いた花に対しては、別の次元での自然の働きとして、敬意と称賛をもって見るべきでしょう。
ホラ、綺麗でしょう。今年は、花の数も多そうです。きっと桜ん坊も豊作でしょう。
自然の営みに感謝!そして、それをも歪めてしまう人間の欲望に対して、警戒を!
如月になにか不安な桜咲く 六