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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

「寅・虎・トラ」 七回を回想する

2010-01-01 02:53:08 | 想い出を掘り起こす
 写真は正月のお花です。とりわけ葉ボタンの多様な美しさをご堪能下さい。
 
 おめでとうございます。
 寅年、私の年です。
 生まれた年を含めると7回目の寅年です。
 回顧してみます。

 

1) 1938年
 生まれたとき。まだ小さかったのでよく覚えていません。
 あとで調べたら、戦時色が濃厚になり始める年でした。

  


2) 1950年 
 朝鮮戦争のまっただ中、日本は特需景気と金偏(かねへん)景気に湧いていました。まだ残っていた焼け跡の空き地のような所を漁って、屑鉄を拾い、業者の所に持ってゆくと、キャラメルが買えるぐらいになりました。
 一晩に数百メートルにわたって電線がなくなるというような事態が各地で発生。

 

3) 1962年
 青春を賭けた試みの挫折で悶々としながら過ごしていました。何も考えず、「優しく」生きようかなとも思っていました。

 

4) 1974年
 10年間のサラリーマン生活を経て、居酒屋の亭主になっていました。厭世的なな気分のうちにありながらも、少しずつものを読み始めた頃です。

 

5) 1986年 
 「ニューアカ」などの刺激もあり、自分の前半生を総括するつもりで、真剣にいわゆる思想書などと取り組むようになりました。

 

6) 1998年
 どのように居酒屋稼業に幕を引くかと将来を考え始めた頃ですが、その年末、脳梗塞(幸い軽微でしたが)で入院することとなり、閉店が現実的な課題になり始めました。1999年末に閉店。

 

7) 2010年
 その後は飲食店のコンサルタントを経由し(共同企画者の死亡で挫折)、フリーライターの真似事などしながら過ごしてきました。
 ライターの仕事はささやかながら堅調で、それに関連した講師のの要請などもあったりします。
 ゴーストライターもしています。
 あなたの自伝などお任せ下さい。この世に生を受けた実に希有な人として描いてみせます。成金などの「立志伝」大歓迎。「清和源氏」の血統書付きのサービスも致します。

 

8) 2022年
 多分、あちら側にいっていると思います。
 え? 正月そうそう縁起でもない? でも事実ですから致し方ありません。
 あなただって分かりませんよ。必ずしも年の順ではないのですから。

 今年も、長ったらしくウザイものを書き連ねる所存。
 読まれなくて当然、読んでいただければ僥倖。
 それでも読んで欲しい! 読んでね。

    

 とまあ、正月らしく花の写真で飾り立てたのですが、現実には雪の正月になってしまいました。
 以下は、新年を迎えた直後の時間、窓の外を撮したものです。


 
 
 
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6 コメント

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Unknown (N響大好き。)
2010-01-01 17:03:54
本年もよろしくお願いします。
簡単ですが・・・。
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Unknown (冠山)
2010-01-01 17:48:36
雪の年明けです。大晦日2時ころから降り始めた雪は暗くなって、牡丹雪は細かくなりましたが、容赦無く執念ぶかく続いています。これが旧村だったら屋根雪下ろしの心配をするのです。そんな心配をした昔日の自分を考える一日でした。揖斐川上流と一口にいっても、谷によって雪はさらさらしたり、じっとり重かったりしました。同じ村でも、奧山になるほど雪の俚言がこまかく分かれていました。
今年もよろしくお願いします。
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Unknown (只今)
2010-01-02 09:09:53
 新聞がないと、やはりなんとなく頼りなく、テレビを点けたら、箱根駅伝の関東平野は快晴。しかしこちらは曇天。いささか滅入ります。そんな中で先程、こんな報が入りました。記すのはどうかな、と思ったのですが、ある意味では羨ましいことと思っての伝言です。
 それは96歳の畑敏雄(東工大名誉教授)さんが大晦日の夜、〈本を手にしたまま逝去〉されたとの報です。
 畑さんは、第一回原水禁大会の国際部長で、その畑さんを助手として支えられたのが吉川勇一さん。
そのお二人は、その後、原水禁運動の統一に心を砕かれましたが、未だ統一ならず! 
 それはそれ、六文銭は新婚の息子さん夫婦と共にする正月ありと推察され、羨ましく、よかったですね。
 
 
返信する
Unknown (maotouying)
2010-01-02 11:44:02
明けましておめでとうございます。
といっても、当地は旧暦で祝いますので、昨日が1月1日であったことすら知らない人がほとんどです。
男たちは相変わらず陽だまりでバクチです。

昨年は私のブログにいろいろ貴重なコメントをたくさんいただき、ありがとうございました。私はひたすら状況を記録するだけで、後で六文銭さんのコメントを読んで、そうかそういうことだったのかと、納得することもしばしばでした。
今年もよろしくお願いいたします。

付記;おせちの写真は、私の眼には“毒”でした。
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Unknown (六文錢)
2010-01-02 20:38:08
>N響大好き。さん
 こちらこそよろしく。
 また、私とは違った視点でコメントを下さい。
 同一の「意見」より、「異見」の方が生産的である場合が多いのです。

>冠山さん
 かつて雪というと、亡父の里、石徹白川沿いの山村を思い浮かべたのですが、最近は加えて徳山を思います。
 「雪の俚言」の多様性につき、アイヌ語では雪という言葉がなく、その代わり、私たちがひと言で済ませてるもののなかに多様性を表現する豊かな言葉があるということを思い出しました。

>只今さん
 大往生ですね。
 まだ原水協しかなかった頃、そしてどこかの党派がソ連の核はきれいだといっていたとき、広島で「あらゆる国の」を掲げてデモを行ったのを思い出しました。
 機動隊にペチャンコにされました。

>maotouying さん
 雪の正月だったのですが、そちらに比べればなんのそのというところでしょうね。
 年末の「改改ばあちゃん」の一連の記事、しんみりと読ませていただきました。
 よく記録をしてくれましたね。

 私は当初、 maotouyingさんの仕事を、公の歴史を補完する意味でのオーラル・ヒストリーとして評価していましたが、最近は幾分違います。
 「公の補完」だけではなく、それ自身がとても価値あるものだと思うのです。人は死ぬために生まれてきたのではない以上、その人の軌跡をを見てそれを思いやるという行為は、その人に対するレクイエムに留まらず、私たちの生を反照する意味で必要なことだと思うに至りました。
 いろいろ考えさせられました。
 
 おせちの「拷問」の埋め合わせはまた致します。
 こちらへ帰られる機会がありましたら、また岐阜へお立ちより下さい。名古屋でもいいですよ。
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Unknown (六文錢)
2010-01-02 20:39:26
 当初、maotouyingさんへの敬称が抜けていたなど不具合がありましたので、リライト致しました。
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