※これは、連載の第二回に相当します。
はじめてお越しの方は、もしよろしければこの前の第一回もお読み下さい。
いわゆる「ドリフのズンドコ節」である。
1969年(昭和44年)11月にリリースされ、翌70年にかけて大ヒットした。
「8時だョ!全員集合」などのテレビ番組でよく唱われた青少年向きのコミックソングというのが一般的な見方であろうが、それがなかなかのくせ者で一筋縄では行かない内容を持っているのである。
「目立たないヒロイン」の登場という元歌以来の伝統を引き継いでいるのは前回に見た「きよし」のそれと同様であるが、いささかニュートラルな感がした「きよし」のもの以上に、まさにその時代の状況そのものを色濃く映し出しているといえよう。
というより、それは、作詞者により意識的に埋め込まれているのだが、その概要や作詞者名はあとに譲ろう。
音楽としてはテンポが速く軽快であり、数あるズンドコ節の中で最もノリがいいのではあるまいか。囃子言葉のリフレインも歌を盛り上げて行く上での要素となっている。
まずはその歌詞をみて行こう。
1.ズンズンズンズンズンズンドコ
ズンズンズンズンズンズンドコ
学校帰りの森影で
ぼくに駆けよりチューをした
セーラー服のおませな子
甘いキッスが
忘らりょか ソレ
2.(囃子言葉は1番と同様なので省略)
毎日通った学食の
赤いホッペの女の子
内緒でくれたラーメンの
ショッパイ味が懐しい
3.(囃子言葉は1番と同様なので省略)
入社早々一目惚れ
お尻をフリフリ歩いてた
社長の秘書のグラマな娘
でっかいヒップが
目に浮かぶソラ
4.(囃子言葉は1番と同様なので省略)
飲んでくだまきかみついて
つぶれた俺の耳もとで
体に毒よとささやいた
ノミ屋の娘が
いじらしい ソラ
5.(囃子言葉は1番と同様なので省略)
やって来ました倦怠期(けんたいき)
不貞くされ女房は家出して
スイジセンタク ゴハンタキ
新婚当時を思い出す ソレ
6.(囃子言葉は1番と同様なので省略)
汽車の窓から手をにぎり
送ってくれた人よりも
ホームのかげで泣いていた
可愛いあの子が忘らりよか
(長い囃子言葉のリフレイン、省略)
以下は、これらの歌詞をめぐっての考察である。
<1番>
これはある意味で衝撃的であった。
といってもそれは、「男女七才にして席を同じゅうすべからず」といった教育が残響として残っていた私のような年配者にとってであるが・・。
セーラー服と言うからには、女子高生か中学生であろう。その年代が好きな相手にキッスをする、それが堂々と唱われ、ブラウン管を通じて全国へ蔓延する、そんな時代の変遷を物語っていたといっていいだろう。
そうした若年層の愛情表現、というか性風俗は、やがて、キッスから妊娠に至るA・B・C・Dといったスラングを生み出し、H(性行為)の後にI(愛)がある(アルファベット順による洒落)といった逆転現象まで生み出すこととなった。
<2番>
これは元歌以来の伝統で、目立たないヒロインの純情と、そのおかげを被ってもててしまった男のお話である。
<3番>
当時映画などのシリーズではやったサラリーマン物のパロディである。
高度成長期の右肩上がりの時代、終身雇用と年功序列に守られたサラリーマンの時代の到来であった。
<4番>
これはまた、当時の演歌のパターンをパロったものであるが同時に、2番の状景とも重なる。
この逆パターンで女性が飲んでつぶれるのを男がたしなめるというのが小林幸子の「おもいで酒」であるが、そうした状況の出現は10年後であった。
<5番>
これは見やすいだろう。明らかにクレージーキャッツのパターンをなぞるものであり、それは充分意識されていたと思われる。
<6番>
これは元歌のズンドコ節の一番と同じものである。
ここへと回帰することにより、それまでの歌詞が、これをベースにしたバリエーション、あるいはパロディであることを如実に示している。
以上見てきたように、この「ドリフのズンドコ節」は青少年向けのコミックソングの枠を超えて、しっかりその時代を、しかも多面的に描いている。
この作詞者は、クラシックから演歌まで、また、作詞から小説まで、広い視野で知られるなかにし礼氏である。
※おまけのトリビア
このドリフターズは、昭和41年(1966年)6月日本武道館で行なわれたビートルズの来日公演の前座を勤めている。
この時の曲は「のっぽのサリー」で、歌は真面目に唱っているが、振りはコミカルで、最後は全員が舞台に倒れ、加藤茶の「ばっかみたい!」という科白で決めている。
<予告> 次回は「アキラのズンドコ節」
はじめてお越しの方は、もしよろしければこの前の第一回もお読み下さい。
いわゆる「ドリフのズンドコ節」である。
1969年(昭和44年)11月にリリースされ、翌70年にかけて大ヒットした。
「8時だョ!全員集合」などのテレビ番組でよく唱われた青少年向きのコミックソングというのが一般的な見方であろうが、それがなかなかのくせ者で一筋縄では行かない内容を持っているのである。
「目立たないヒロイン」の登場という元歌以来の伝統を引き継いでいるのは前回に見た「きよし」のそれと同様であるが、いささかニュートラルな感がした「きよし」のもの以上に、まさにその時代の状況そのものを色濃く映し出しているといえよう。
というより、それは、作詞者により意識的に埋め込まれているのだが、その概要や作詞者名はあとに譲ろう。
音楽としてはテンポが速く軽快であり、数あるズンドコ節の中で最もノリがいいのではあるまいか。囃子言葉のリフレインも歌を盛り上げて行く上での要素となっている。
まずはその歌詞をみて行こう。
1.ズンズンズンズンズンズンドコ
ズンズンズンズンズンズンドコ
学校帰りの森影で
ぼくに駆けよりチューをした
セーラー服のおませな子
甘いキッスが
忘らりょか ソレ
2.(囃子言葉は1番と同様なので省略)
毎日通った学食の
赤いホッペの女の子
内緒でくれたラーメンの
ショッパイ味が懐しい
3.(囃子言葉は1番と同様なので省略)
入社早々一目惚れ
お尻をフリフリ歩いてた
社長の秘書のグラマな娘
でっかいヒップが
目に浮かぶソラ
4.(囃子言葉は1番と同様なので省略)
飲んでくだまきかみついて
つぶれた俺の耳もとで
体に毒よとささやいた
ノミ屋の娘が
いじらしい ソラ
5.(囃子言葉は1番と同様なので省略)
やって来ました倦怠期(けんたいき)
不貞くされ女房は家出して
スイジセンタク ゴハンタキ
新婚当時を思い出す ソレ
6.(囃子言葉は1番と同様なので省略)
汽車の窓から手をにぎり
送ってくれた人よりも
ホームのかげで泣いていた
可愛いあの子が忘らりよか
(長い囃子言葉のリフレイン、省略)
以下は、これらの歌詞をめぐっての考察である。
<1番>
これはある意味で衝撃的であった。
といってもそれは、「男女七才にして席を同じゅうすべからず」といった教育が残響として残っていた私のような年配者にとってであるが・・。
セーラー服と言うからには、女子高生か中学生であろう。その年代が好きな相手にキッスをする、それが堂々と唱われ、ブラウン管を通じて全国へ蔓延する、そんな時代の変遷を物語っていたといっていいだろう。
そうした若年層の愛情表現、というか性風俗は、やがて、キッスから妊娠に至るA・B・C・Dといったスラングを生み出し、H(性行為)の後にI(愛)がある(アルファベット順による洒落)といった逆転現象まで生み出すこととなった。
<2番>
これは元歌以来の伝統で、目立たないヒロインの純情と、そのおかげを被ってもててしまった男のお話である。
<3番>
当時映画などのシリーズではやったサラリーマン物のパロディである。
高度成長期の右肩上がりの時代、終身雇用と年功序列に守られたサラリーマンの時代の到来であった。
<4番>
これはまた、当時の演歌のパターンをパロったものであるが同時に、2番の状景とも重なる。
この逆パターンで女性が飲んでつぶれるのを男がたしなめるというのが小林幸子の「おもいで酒」であるが、そうした状況の出現は10年後であった。
<5番>
これは見やすいだろう。明らかにクレージーキャッツのパターンをなぞるものであり、それは充分意識されていたと思われる。
<6番>
これは元歌のズンドコ節の一番と同じものである。
ここへと回帰することにより、それまでの歌詞が、これをベースにしたバリエーション、あるいはパロディであることを如実に示している。
以上見てきたように、この「ドリフのズンドコ節」は青少年向けのコミックソングの枠を超えて、しっかりその時代を、しかも多面的に描いている。
この作詞者は、クラシックから演歌まで、また、作詞から小説まで、広い視野で知られるなかにし礼氏である。
※おまけのトリビア
このドリフターズは、昭和41年(1966年)6月日本武道館で行なわれたビートルズの来日公演の前座を勤めている。
この時の曲は「のっぽのサリー」で、歌は真面目に唱っているが、振りはコミカルで、最後は全員が舞台に倒れ、加藤茶の「ばっかみたい!」という科白で決めている。
<予告> 次回は「アキラのズンドコ節」