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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

川端康成とのランチ

2010-06-09 03:28:10 | よしなしごと
 岐阜に住みながら、長良河畔でゆっくりとランチなどを楽しむ、そんな機会はそうあるものではありません。
 それが、あったのです。
 過日、若い人たちと仕事がらみでちょっとした集まりがありました。
 仕事がらみといってもさほど固いものではなく、和気藹々としたもので、それがランチと重なったわけです。

   
 
 会場は「ホテルパーク」というところ。
 金華山麓、長良橋の袂という絶好のロケーションです。

   

 ロビーの外側のテラスは長良川が一望できます。写真左上、橋の手前の赤い屋根は、鵜飼い観覧用の屋形船です。
 満を持して夕刻からの出番を待っているところです。
 ついでながらテラス前の木々は桜で、花の時期には絢爛豪華な花のカーテン越しに長良川を見ることができ、またこれからの夏の時期には、蝉のフルコーラスのステージともなります。

   

 いよいよランチタイムです。
 たまたま、その日から始まるミニ会席の初日でした。
 味については書きません。どう書いても私の筆力に余るからです。
 その代わり、この食事をした部屋のたたずまいを書きましょう。
 窓の外はむせかえるような新緑です。
 そして見上げれば、わが岐阜のシンボル金華山と岐阜城が・・・。

   

 ここで食事をしながら仕事の話もしたのですが、はっきり言って仕事の話はあまり覚えていません。
 前は清流、後は緑為す山、そしてそこにうまいものがあったら、「仕事? あっ、そう」といった感じです。

 それでも結構話が弾みました。
 そろそろ部屋を引き払って、チェックインする夕方からのお客に備えるというタイムリミットまで話し込みました。

   

 部屋を引き上げてふたたびロビー、今度は川端康成の特設コーナーを見物しました。何でここに川端康成が?とお思いでしょう。
 実は、川端康成が一緒になりたいと思うほど惚れ抜いた伊藤初代さん(小説の中ではみち子さん)は岐阜の人なのです。
 
 川端康成は、東京で出会った初代さんが岐阜へ帰ったのを追っかけて、大正10(1921)年に三度にわたり、プロポーズのために岐阜を訪れているのです。
 その折に宿泊したのが、当時「みなと館」と呼ばれていたこの「ホテルパーク」なのです。
 結果としてその恋は成就しなかったのですが、その経緯は康成の「篝火」、「非常」、「南方の火」などの作品に見ることができます。

   


 さてこの特設コーナー、いろいろゆかりの品や記録が展示されているのですが、私のお気に入りは川端康成の「自画像」でした。ひょうひょうとして幾分とぼけた味があるその小品は、私の書斎(そんなものはありません)を飾るにぴったりかと。

 あ、食い物やロケーションの話ばかりで付き合ってくれた若い人たちについて書くのを忘れていました。みんな、クリエイト系の仕事をしている人たちで、ひたすらな雰囲気がよく伝わってきました。
 私のようなもののお守り、ご苦労様でした。
 これからもよろしく。

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2 コメント

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Unknown (さんこ)
2010-06-10 09:42:03
清流と、ご馳走、若い人との交流、そしてあの川端を、袖にした娘さんのほのかな面影。

いいですね。自画像は、意外でした。もっと神経質な、自虐的なものかと思っていましたから。いくつぐらいの時のものでしょうね。

晩年は、あんな賞をもらったばっかりに、生きづらくなってしまったのでしょうか?
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Unknown (六文錢)
2010-06-10 15:35:00
 川端を振った伊藤初代さん、その真相は未だに謎のようですね。
 岐阜まで追っかけてきた川端に、「父の許しがでれば」と基本的に承諾の返事を与え、川端が友人ら4人とその父が勤める岩手県の小学校まで行ってその許しを得、さて結婚かというところで断りの手紙という次第。

 「私は今、あなた様におことわり致したいことがあるのです。私はあなた様と固いお約束を致しましたが、私にはある非常があるのです。それをどうしてもあなた様にお話しすることが出来ません。私今このようなことを申し上げればふしぎにお思いになるでしょう。あなた様はその非常を話してくれとおっしゃるでしょう。その非常を話すくらいなら、私は死んだ方がどんなに幸福でしょう。(中略)お別れいたします。さようなら」

 いわゆる「非常の手紙」といわれるものです。

 この初代さん、結局、別の人と結婚したのですが、27歳の折川端と再会しているようです。その折、その所帯やつれの激しさに川端が驚いたという記録があるそうです。

 東京---岐阜---岩手と一高生の恋を巡る旅、時代を感じますねぇ。
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