これは、私が昨年末書いた、『実録・連合赤軍』(若松孝二監督)に呼応するように寄せられた、私より二世代ほど若い人の文章への応答です。
彼女の許可を取っていませんので、全文の掲載は致しません。
>○○こさん
お書きになったタイトルに「狂信」とありましたので、「ン?」と思ったのですが、終わりの三行を読んで、安心(?)致しました。
「そんでも、これを、この状態を「狂気」と呼ぶのは危ない。「狂気」と呼んで自分から遠ざけるのは危ない。
これは、この状態は、多分人がみんな持ちあわせているものなんだろうなあ。」
そうなのです。あれを「狂気」として遠ざけることは出来ないのです。
なぜなら、あの閉塞された状況下で「狂気」とも思えるような形で起こる出来事は、より大きな視野から見れば、狂気の反対物とも思える近代「理性」の裏にべったり張り付いているものなのです。
近代理性は、意志の力により、事態を正しい方向へと動かそうとします。たとえば歴史のゆがみを正そうとします。その時、彼らの中には、歴史はこうした方向へ向かって進むべきだという「大きな物語」がはっきりと形をなしています。もちろん、自分はその側にいる、つまり、真理や正義は自分の側にあるという確信を持っているわけです。
従って、その真理や正義に忠実であろうと突き詰めれば突き詰めるほど、その「理性」は、反対物である「狂気」に似てきます。
例えば、ナチズムやスターリニズムは、今や単純に悪の体制であったとして片付けられていますが、あれとても、19世紀末の初期資本主義の野蛮な体制、そしてはじめての近代戦であった第一次世界大戦の悲惨な結果に対する理性の側からの応答であったわけです。少なくとも、その初期における動機については。
しかし、それが、数百万を越える野蛮で狂気ともいうべき殺戮へと至ったことは歴史の示すところです。
日本の戦時中の様相もそうです。19世紀末以来の悲惨を、西洋文明の限界(これはある意味で正しい)と捉え、日本を中心とした大東和共栄圏を築こうという「理性」的な試みとして、近隣諸国への侵略は開始されました。
それが南京大虐殺や、沖縄の民間人への自決の強要という悲惨に至ったことは周知の通りです。
国内で戦争に反対する人たちは、憲兵隊へ連行され、「大和魂を注入してやる」という名目でリンチを受け(連赤と一緒です)、裁判もなく多くの人が死亡しました。
女性たちも負けてはいませんでした。「大日本愛国婦人会」のたすきを掛けたおばさんたちは、化粧の濃い女性やパーマをかけた女性を発見し次第、「非国民」とののしり、顔に鍋墨を塗ったり、ハサミで頭髪を切ったりしました。
これらはすべて、歴史が進むべき道に忠実であらんとした真面目な「理性」の名において行われました。戦争に反対したり、戦時体制に従わないものの方が「狂気」だったのです。
連赤の事件は、少数の限られた範囲でのできごとでしたから、「狂気」で片付けられてしまいますが、同じ次元のできごとが、ベトナムでもカンボジアでもハンガリーやチェコでもあり、そして今日でもアフガンやイラクで起こっていることなのです。それぞれが「理性」の名において。
こんなたいそうな世界史的事件を持ち出すまでもなく、私たちは常に、虐めや差別、相手の抹殺という加害者たり得る局面に晒されています。「理性」という名の「狂気」において。
若松監督の意図は、二つあったように思います。
ひとつは、巷間、興味本位に描かれていた事態を歴史的文脈にちゃんと置いてみること(これはタイトルに付された「実録」にあらわれています)、そしてもう一つは、狂気としてそれを忌避するのではなく、人間のありようとして直視せよと言うことではないかと思うのです。
評論家風に生意気なことを書いていますが、私自身そうした「理性」=「狂気」のうちにあったことがあり、あの映画を「作品」として距離を置いて評価するとは出来ないのです。
彼女の許可を取っていませんので、全文の掲載は致しません。
>○○こさん
お書きになったタイトルに「狂信」とありましたので、「ン?」と思ったのですが、終わりの三行を読んで、安心(?)致しました。
「そんでも、これを、この状態を「狂気」と呼ぶのは危ない。「狂気」と呼んで自分から遠ざけるのは危ない。
これは、この状態は、多分人がみんな持ちあわせているものなんだろうなあ。」
そうなのです。あれを「狂気」として遠ざけることは出来ないのです。
なぜなら、あの閉塞された状況下で「狂気」とも思えるような形で起こる出来事は、より大きな視野から見れば、狂気の反対物とも思える近代「理性」の裏にべったり張り付いているものなのです。
近代理性は、意志の力により、事態を正しい方向へと動かそうとします。たとえば歴史のゆがみを正そうとします。その時、彼らの中には、歴史はこうした方向へ向かって進むべきだという「大きな物語」がはっきりと形をなしています。もちろん、自分はその側にいる、つまり、真理や正義は自分の側にあるという確信を持っているわけです。
従って、その真理や正義に忠実であろうと突き詰めれば突き詰めるほど、その「理性」は、反対物である「狂気」に似てきます。
例えば、ナチズムやスターリニズムは、今や単純に悪の体制であったとして片付けられていますが、あれとても、19世紀末の初期資本主義の野蛮な体制、そしてはじめての近代戦であった第一次世界大戦の悲惨な結果に対する理性の側からの応答であったわけです。少なくとも、その初期における動機については。
しかし、それが、数百万を越える野蛮で狂気ともいうべき殺戮へと至ったことは歴史の示すところです。
日本の戦時中の様相もそうです。19世紀末以来の悲惨を、西洋文明の限界(これはある意味で正しい)と捉え、日本を中心とした大東和共栄圏を築こうという「理性」的な試みとして、近隣諸国への侵略は開始されました。
それが南京大虐殺や、沖縄の民間人への自決の強要という悲惨に至ったことは周知の通りです。
国内で戦争に反対する人たちは、憲兵隊へ連行され、「大和魂を注入してやる」という名目でリンチを受け(連赤と一緒です)、裁判もなく多くの人が死亡しました。
女性たちも負けてはいませんでした。「大日本愛国婦人会」のたすきを掛けたおばさんたちは、化粧の濃い女性やパーマをかけた女性を発見し次第、「非国民」とののしり、顔に鍋墨を塗ったり、ハサミで頭髪を切ったりしました。
これらはすべて、歴史が進むべき道に忠実であらんとした真面目な「理性」の名において行われました。戦争に反対したり、戦時体制に従わないものの方が「狂気」だったのです。
連赤の事件は、少数の限られた範囲でのできごとでしたから、「狂気」で片付けられてしまいますが、同じ次元のできごとが、ベトナムでもカンボジアでもハンガリーやチェコでもあり、そして今日でもアフガンやイラクで起こっていることなのです。それぞれが「理性」の名において。
こんなたいそうな世界史的事件を持ち出すまでもなく、私たちは常に、虐めや差別、相手の抹殺という加害者たり得る局面に晒されています。「理性」という名の「狂気」において。
若松監督の意図は、二つあったように思います。
ひとつは、巷間、興味本位に描かれていた事態を歴史的文脈にちゃんと置いてみること(これはタイトルに付された「実録」にあらわれています)、そしてもう一つは、狂気としてそれを忌避するのではなく、人間のありようとして直視せよと言うことではないかと思うのです。
評論家風に生意気なことを書いていますが、私自身そうした「理性」=「狂気」のうちにあったことがあり、あの映画を「作品」として距離を置いて評価するとは出来ないのです。
理性=狂気、とてもほっとできるのです。が、それだけに危ういな、という思いも大きいものがあります。理性=狂気に甘えて、余計なものを背負い込んだり、あげくには幾人かの友人を失ってきたからです。
いま私は、できたらこんなことを呟いてみたい。 「断じて日本は終わる。未来はない」「しかし未来がないと思われた中でも」先人たちは色々やってきた。「それを考えると、やることは出来るでしょう。成功の保証はしない。だから、負ける闘いに賭けるということだな」。
『現代思想』12月臨時増刊号「戦後民衆精神史」の巻頭にあったあの方の発言です。
しかし、私たちは完全な世捨て人にでもならない限りそこから逃げ出すことは出来ません。
世捨て人ならぬ生身の私たちは、理性=狂気という狭間にあることを自覚しつつ、来るべき世界・未来へと身構えなければなりません。
ただし、その来るべきものを、従来の理性の狭小さのうちで迎えるなら、それは新たな抑圧、狂気から逃れることは出来ないでしょう。
その意味では、20世紀の全体主義(ナチズム、スターリニズム)、そして今進行しつつある全体化の運動への総括はまだまだ不十分だと思います。
ですから、来るべき未来、従来の理性に縛られない「出来事」の到来に私たちは開かれていなければならないと思います。
その基準は、とりあえずのところ単純に、人間的悲惨の減少(実際にはこの規定も難しいのですが)でいいと思います。
そしてそれが引用していらっしゃるあの方の言葉、「成功の保証はしない。だから、負ける闘いに賭けるということだな」に通じると思います。
コメントありがとうございます。
今年もいろいろなご意見をお聞かせ下さい。