
2020年の東京五輪が決まった。
これを待ち望んでいた人たちにはまたとない朗報であろう。
私も各種スポーツは嫌いではない。
競技経験は殆どないが観戦は好きである。
だが地方都市に住む私にとって、五輪観戦の機会はない。
ただ、同一の生活時間帯で行われるのでTV観戦は可能かもしれない。
ただし、無邪気に喜んでばかりはいられない事情もたくさんある。
まずは、東北の復興、原発事故の収拾などとの関連である。
推進の論理は、五輪招致によりこれらが進むという。
その辺がよくわからない。
五輪やその関連で使われる巨額な費用を考えると、それを直接被災地復興に振り向けたほうがと思うのだがどうだろう。五輪でしこたま稼いで、そのおすそ分けで復興ということなのだろうか。
原発事故との関連も不透明だ。
招致の際に、盛んにいわれた、「東京は大丈夫です」「200キロ以上も離れているのです」という口ぶりは明らかに被災地差別を含んでいた。
日本の国土全体にしても、東京を中心としたインフラの高度化などが進み、地方との格差が一層広がることだろうと懸念される。
それと関連して、どうもスポーツには余り関心のないような人たちが、それ以外の関心、ようするに利害、もっと率直にいえば「金儲け」のために手ぐすね引いているのが実状だろう。ニュースなどを見ていても、スポーツ関連の話よりも、何兆円単位の経済効果について嬉々として報じられるのが実状である。かつて長野五輪が開催されたとき、開催県の知事が、「スケート競技というのはミズスマシのようにクルクルまわっているのみでどこが面白いかわからない」とのたまわったことがる。
今回もまた、どうもそんなたぐいの人たちが鵜の目鷹の目で利権あさりをするのだろう。
五輪は平和の祭典だという。
そうあってほしいものだ。
しかし現実には、政治的駆け引きやテロルの場でもあった。
1972年のミュンヘン五輪では、五輪の場そのものがテロルによる血で染められたし、1968年のメキシコでは、黒人差別に抗議した選手のメダルが剥奪された。
その他冷戦期には、東西のそれぞれが他方の開催をボイコットするという二.五輪として行われたこともある。また、ナチス・ドイツが、聖火の通ってきた道を逆に進撃してヨーロッパ各地へ侵略したことも語りぐさになっている。
2020年、世界がどんな状況になっているのか予測はつかないが、冷戦体制後のかえって複雑さを増した国際情勢のなかで、果たして大国の意志のみに添うのではない、公正で平和な五輪が実現できるだろうか。
そうあって欲しいしそうでなければならない。
五輪に関してもうひとつ気をつけねばならないことがある。
それは各種規制や統制が強化されることである。
1964年の東京五輪の際は、諸外国に恥ずかしいからという、それ自身恥ずかしい理由から、屋台がすべて廃止された。世界中の都市で、屋台や路上の活用によって活気を生み出しているところが無数にあるなか、この国は、道路に看板が出ているだけで規制されるようになったのだ。
もちろん規制は屋台などの施設にとどまらない。
私たちの立ち居振る舞いまで規制の対象になる可能性がある。
警備に名を借りた情報収集や各種統制も強化されるであろう。
五輪がそうしたなかで行われることは覚えておいていいであろう。
その上でそれが、平和裏に世界の若者たちが集う場になればそれはそれで良いことだ。青少年たちにスポーツの素晴らしさを伝えるという五輪本来の目的外の雑音を排除しながら静かに見つめてゆきたい。
為政者たちは、原発事故の収拾を始め、東北の復興をそれまでに成し遂げると世界に約束したのだから、ぜひそれを守るべきだし、私たちもまた、それを五輪ほしさのリップサービスに終わらせないようしっかり監視しなければならない。
「新聞のヘッドラインでなく事実をみてください」と前置きして言った2点を糾弾したいと思います。
●【0、3平方㎞の範囲内は完全にブロックされ、確実にコントロールされています】という安倍首相の言。
↓
この場所で昨年12月に、口にしたら直ぐ死ぬ量の放射性セシウム濃度25万ベクレルをもったムライソという魚が捕獲されました。
●【福島の子どもは青空の下でサッカーボールを蹴っています】と、安倍首相は発言。
↓
調べてみました。すると
八月25日、JFA福島と鹿島のサッカーゲームが鳥見山陸上競技上で行なわれましたが、これは福島県内で開催される今年唯一の試合。
そしてこの福島チームは静岡県御殿場に疎開しているのです。
青空の下で遊べない福島の子どもは今夏も愛知、三重、岐阜に泳ぎに蝉取りに来ました。
↓
新聞に惑わされないように、と言われた新聞社の皆さんは、黙っているのですか?
フクシマの子どもたちが東海地方で林間・臨海学習をせざるをえないことは報道で知っていましたが、フクシマでのサッカーゲーム、またそこに所属するサッカーチームがそんな状況であることは知りませんでした。
汚染水の問題といい、サッカーにみられるフクシマの現状といい、メディアはこれまでそれらを適切に伝えてこなかったし、これからもしないでしょう。
五輪が確定し、その取り仕切りのおおもとの電通がメディアに及ぼす影響が決定的になったいま、各メディアの五輪への傾斜はますます強くなるではないかと懸念します。
これはまた、無邪気ともいうべき安倍首相の礼賛ですね。もしこれを彼が読んだら、お尻の穴がこそばゆくなることは必至です。
9日のNHKクローズアップ現代は、日本の「勝因」を、そのロビー活動の成功によるとしていました。ご承知のようにロビー活動とは、本会議場でのプレゼンスやディスカッションではなく、まさに場外で行われる活動です。
その番組でも、各国のIOC理事が、日本のロビー活動の凄まじさを証言していました。
ところで、この場外での活動を「ロビーでのお話し合い」が盛んに行われたのだと受け止めるナイーヴなひとは少ないと思います。
そこでは、各理事についての周辺の情報に基づき、その国やその理事の所属組織、あるいはその姻戚関係への利益供与の約束というギリギリの活動が展開されたのです。ですから、初回投票は日本の60~65票という日本側の見通しはどんぴしゃり当たっていたのでした(実際は62票)。
まあこれは、日本のみならずどこの国も行うことですから、その意味では日本の能力、弾の多さを誇るべきかもしれません。それをも安倍首相の能力といえば確かにそうかもしれません。
ただ、私が上に述べた一文が間違いではないことは、五輪誘致を手放しで喜ぶ 九条護。さんのコメントのなかに、スポーツの「ス」の字も出てこないという事実です。あなたもまた、スポーツの祭典としてではなく、五輪をビジネスチャンス、投機の資料としてしか見ていないことは明らかです。
ようするに五輪はもはやスポーツを離れて、経済競争の一要因、ないしは投資の対象でしかないことを示しています。
なお、最後にお書きになっている汚染水漏れの問題は、日本のメディアというより、むしろ海外のメディアが報じてしまったため日本のメディアがそれに追随したのであり、その重要度の認識も、海外メディアのほうが的を得ていたように思います。
「原ナマを使うことに躊躇することは判るとして、それに代わってすることがあるでしよう」と、
時の名古屋市長本山さんは
某機関の若造に嫌味を言われたそうです。
さて今回の東京は?
それは各種規制や統制が強化されることである。
←テロの危険があるんだから、必要なことはやってもらわないといけない。当然のことだ。最近は中国人による凶悪事件が続いているから、特に注意が必要だ。
中韓は不快なら、ボイコットしていただいて結構である。その方がさっぱりする。
本山さんは世間知らずで、しかも、「外交オンチ」だからやるべきことをやらなかった。外交というものはそういうものである。
中韓のような隣国に「ボイコットしていただいて結構である。その方がさっぱりする。」と決め付ける五輪というのはいったい何でしょう。
そうした排外主義こそオリンピックの理念と称するものにもっとも遠いものではないでしょうか。
なぜ、九条護。さんが東京五輪を熱烈に歓迎されるのかがますますわからなくなりました。
7年後、選手村のゲートの前で、日章旗や旭日旗を林立させて、「中韓は帰れ!」とシュプレヒコールをしている九条護。さんの姿が目に浮かぶようです。
なお、本山さんが「外交オンチ」(これは差別語ですね)であったかどうかは知りません。私は、彼が五輪招致などという波に飲み込まれた段階で方向を見失ったのだと思っていますし、それに対して激しく抗議した側にいました。
いっておきますが、右・左の論理は不要ですよ。その折は、自民党から共産党まで、既成の政党はすべて五輪招致で固まっていたのですから。
原発関連死者901人。福島県から現在も東海地方(9県)に避難を余儀なくされている人3085人
ということをどうとらえますか?
人間が油虫やめめぞと違うのは、想像力を有しているからで、これがないところでは映画を観ても音楽を聴いても、どっちらけ!
俗臭芬々のアナタの発言にあるのは、下種、下卑、陋劣……
あなたに染まって陋劣な物言いになってしまいました。
自民に担がれ知事になった仲谷さんが、各政党に等距離外交をとるようになり自民を敵に回し、三選が危ぶまれていた時期のスタンドプレーでした。県議会の五輪招致委員会の委員長が「なんで仲谷の三選に協力せないかんのだ」と露骨に不満を口にしていました。東京もそっぽを向いていました。
自殺直前の仲谷さんに会ったことがあります。招致に失敗し、憔悴し切って歩くのもやっとでした。当時20代だった若造に洗いざらいぶちまけました。人の裏切りも、カネの流れも、大手メディア社長のあっと驚くアドバイスも。
今度の東京開催、決まった以上いい五輪になってほしいですね。これを機に、安倍首相をはじめとする昨今の幼稚なナショナリズムが、多少なりとも緩和されるといいのですが。
お怒りはごもっとも。
でも、九条護。さんのコメントを呼んでいると、五輪招致がどのような動機で、そしてどんな人達に支えられて進んだのかがよく見えてきますね。
そこにはスポーツのスの字も出てきません。
支出される税を誰が懐へねじ込むかのゲームしか見えてきません。
名古屋五輪に関わるエピソード、興味深く読ませていただきました。
仲谷さんが現職の知事でご健在の頃、明道町にあったご自宅(在所)を訪れたことがあります。政治的な関連ではなく、ご実家のお仕事の関連でです。
その折、仲谷さんの書庫に通されたのですが、実に多方面な書があり、勉強家だなぁと感心したことがあります。おそらく、青雲の志をもってそれらの書を読まれたのでしょう。
地方自治の首長として、党派性を薄めようとされたことは十分考えられますね。それが様々な政治力学の結果として、あのような不幸な結果になったことが惜しまれます。
仲谷さんの話になると、あの書庫が思い出されます。
「〈愛知〉という名称でないから助成は無理、と部下が言ったそうですが、申し訳ない。名古屋市さん同様の援助をさせてもらいます。頑張ってください」。
←これは差別語ではないですよ。「あまちゃん」で毎回のように使われています。
そうですか。
私はあまりその言葉を使わないようにしているものですから。
「方向」、「科学」、「文学」などのいろいろな言葉の下に付けて、ようするにその面での正常な感覚を持たない人を意味し、しかも、それが先天的であるかのような響きをもっていると思うからです。
NHK的なセンスでは差別語ではないようなので、あなたのコメントに付したくだりは撤回しますが、上に述べたような理由で、私はこれからも使わないようにしたいと思います。