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雪に乗って飛んでいったクヌート 多和田葉子さんの小説を読む

2013-09-06 18:01:05 | 書評
            

 多和田葉子さんの小説『雪の練習生』(2011・1月 新潮社)を読んだ。
 ほかのことで忙しい折なので、その合間とか、不眠対策とかそんな読み方だったので、作者には失礼だがあまりいい読み方ではなかった。
 そのせいで感想もうまくまとまらないが、それはこうした私の読み方ばかりのせいではないかもしれない。

 これまでの多和田さんの小説には、アフォアリズム的なエピソードの積み重ねのようなものが多かったが、この小説は大河ドラマを思わせる親子三代の物語である。といって特別に長いわけではない。全体が250ページで収まっている。

 冒頭、これは動物の話だなということが分かる。同時に、「ん?」と思う。その動物自身の一人称で書かれているのだが、それがさらにその動物による地の語りとその動物が書いた手記とに分かれているからだ。ようするに、手記を書いている動物が、その過程を自ら物語っているのだ。
 先ほど、これは親子三代の話であるといったが、その三代とは何とサーカスや動物園で過ごしたホッキョクグマのことで、そのうち初代の「わたし」と三代目の「クヌート」については完全に一人称で書かれ、二代目の「トスカ」についても後半はこのトスカによる叙述ということになっている。

           

 とりわけ、初代の「わたし」は、自伝を書くクマとして自他ともに認められ、何と人間も同席する会議にまで出席することとなる。言葉も二度にわたる亡命などを通じて、ロシア語、英語、ドイツ語とマルチリンガルなクマなのである。
 この第一章には、とくに度肝を抜かれる。この「わたし」は完全に人間たちの間で生活し、すでにみたように、亡命を企て実行しさえするのだから。

 第二章からは人間とクマとの関係は安定する。人間の社会と動物の世界がそれなりに分離して叙述されるようになるからだ。
 第二章は、「わたし」の娘、トスカと名付けられたクマが登場するが、どちらかというと、そのトスカと名コンビを組む女性調教師、ウルズラの物語である。ほとんどがそのウルズラの一人称で語られるが、章の後半はやはりクマのトスカが語り手となる。

              

 第三章はその息子、クヌートの物語で語り手はクヌート自身である。もう第一章のような手記という周りくどい手法はとらず、その叙述としてストレートに進む。
 しかし、特定の人間や周りの動物たちとのコミュニケーションは登場する。クヌートの朝の散歩で出会うパンダはこんなふうに声をかける。
 「あんたもなかなか可愛いね。でも気を付けた方が良い。可愛いというのは絶滅の兆しかもしれない」
 
 またこの章には、親が育児を見放した動物(まさにクヌートがそうである)は、不自然な生涯を送らねばならないのだから安楽死させるべきではといった話が唐突に出てきたりするが後述するようにこれにも理由がある。
 この小説は、クヌートが折から降りだした雪を見つめながら、こんなふうに述べることで終わっている。
 「わたしは雪に乗って、地球の脳天に向かって全速力で飛んでいった。」

 その他、この小説には第一章でのソ連時代の抑圧の体制、第二章のベルリンの壁の存在、第三章のその残滓などといった時代背景もチラホラと出てくる。

 さて、以上がこの小説の極めて大雑把な枠組みだが、私が実に不明だったのは、この小説は多和田さんの創作によって紡ぎだされたものだとはいえ、その下敷きにはちゃんと実在のクマがいたことである。

             
 
 少なくとも、クヌートとその母トスカは実在したのであり、その有り様はこの小説に書かれた事柄とパラレルである。したがって、上に述べた「不自然な飼育」論争もドイツにおいて実際にあったものである。
 とりわけクヌートは、その可愛さによってドイツ全土の、あるいは国境を超えて世界中のアイドルになり、アメリカの雑誌の表紙を飾るほどであった。

 その人気のため、彼がいたベルリン動物園の入園者は急増し、それによりその株価は一躍倍増したという。
 また、09年には、クヌートの父、ラルスを貸し出したノイミュンスター動物園がその分け前を要求し、約43万ユーロ(約5600万円)を支払うことで和解が成立したというから驚きだ。

 さて、この小説の試みが成功したかどうかは問うまい。多和田さんの巧みな筆により、よどみなく読み進む事ができたことは事実である。疑問が残るとすれば第一章の叙述であるが、ただし、これを第二章以下と同じにしたら、この小説全体が平板になってしまったかもしれないとも思う。

 ここで、作者の多和田さんも知らなかった事実を述べねばならない。多和田さんがこの小説を上梓した2ヶ月後の2011年3月19日、クヌートは急死したのであった。
 多和田さんがその終章で述べたようにクヌートは「雪に乗って、地球の脳天に向かって全速力で飛んでいった」のであった。



このクヌートの死を、献身的に彼を育てた飼育係デルフライン(小説中ではマティアス)も知ることはなかった。これは小説でも書かれているが、彼もまた、その飼育の途上で急死していたからである。

なお、本の写真以外はすべてクヌートの実像。
 






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