古稀を過ぎてから最初の誕生日です。
その26日、最近出来たばかりの親族の方にご不幸があり、葬儀に出席いたしました。
もともと歳老いてからの誕生日であり、加えてそうしたご不幸の日とあって、浮かれるようなわけには行かないのですが、ただひとつだけ皆様にご報告旁々ご披露いたします。
誕生日にと息子夫妻くれたシャッツです。
見ていただければ分かりますので、詳しい説明は致しません。

これが前面です
問題はこれをどこへ着て行くかです。
いろいろ思い悩んでいます。
70過ぎてこんなの着て街を歩いていたら逮捕されるかも知れません。
オフィシャルな会合に着ていったら(例えば、M協会)、除名されるかも知れません。

これが背中側 こっちがどハデ
さてどうしたものでしょう。
これを読んでいる女性のみなさん、このシャツを着た爺さんとデイトをしてくれる勇気のある方(慈悲心のある方かな?)はいらっしゃいますか。
え? 時給はいくらくれるかですって? そんなもん払えません!

何はともあれ、面白い物をくれた息子夫妻に感謝。
(来年は現金でもいいですよ。)
その26日、最近出来たばかりの親族の方にご不幸があり、葬儀に出席いたしました。
もともと歳老いてからの誕生日であり、加えてそうしたご不幸の日とあって、浮かれるようなわけには行かないのですが、ただひとつだけ皆様にご報告旁々ご披露いたします。
誕生日にと息子夫妻くれたシャッツです。
見ていただければ分かりますので、詳しい説明は致しません。

これが前面です
問題はこれをどこへ着て行くかです。
いろいろ思い悩んでいます。
70過ぎてこんなの着て街を歩いていたら逮捕されるかも知れません。
オフィシャルな会合に着ていったら(例えば、M協会)、除名されるかも知れません。

これが背中側 こっちがどハデ
さてどうしたものでしょう。
これを読んでいる女性のみなさん、このシャツを着た爺さんとデイトをしてくれる勇気のある方(慈悲心のある方かな?)はいらっしゃいますか。
え? 時給はいくらくれるかですって? そんなもん払えません!

何はともあれ、面白い物をくれた息子夫妻に感謝。
(来年は現金でもいいですよ。)
「歴女」ブームというのは面白い現象ですね。
モードとしてそれを取り込む人と、中には、これを契機に本格的に歴史を学ぶ人もいるようですね。
「六文錢というのは、六道の衆生がすべからく救われますようにというシンボルマーク」などという言葉を若い(この際、若くなくてもいい)女性から聞けたら、卒倒しそうに嬉しいですね。
ご助言に従い、これを着て若い女性がたむろしそうな場所をウロウロしてみようかな。
M協会には着ていかれないほうがいいと思います。こうなると、解散したもう一つの「Mの会」をこのためにだけでも、「一度限り」と銘打って開かねばなどと思っています。そこには出来たら「私にはまだ六文銭がある」と呟いている人々にも来てほしいといった思いしきりですが、その人々が関心を持つこんなキヤッチフレーズの広告を、今日の新聞で見ました。
=『近代文学』『新日本文学』と並ぶ「戦後文学」のもう一つの起点『総合文化』の全号復刻!=
全三巻五万円で手が出ませんが、別冊は千円、その解説は、聞き取りに来名したあの鳥羽耕史さん。
鶴見俊輔さんに、こんな詩があります。
=真夜中に近付くと 老いたる小説家は 急に元気になって、「ぼくたちには 真田の六文銭があるから」と言った。=
老小説家とは埴谷雄高のことですが、この詩はこう終わっています。
=真田幸村は六文銭の旗をたてて かえらぬ旅へとたちさっていく=
井上光晴の通夜の夜、庭で焼香をして帰ろうとしたおばママ(智恵子)を呼び止めたのはこの埴谷雄高ですが、この雄高、俊輔さんにつらなる人は、皆々「六文銭」を胸に暖めながら、「ぼくたちには…」と、呼び交わし、「まだまだ」と…。
中学生の頃、学校の近くの貸本屋に立川文庫(少年向けか?)が数十冊揃っていて、戦国時代を中心とした英雄豪傑物が網羅されていました。
私はそれらを全巻読んだのですが、中でも真田幸村、真田十勇士、猿飛佐助、霧隠れ才蔵、三好青海入道などなどの真田物がもっとも印象に残っています。
少数でありながら智でもって強者を倒す、しかしながらおのれは決して権力者にはならないという設定が魅力的だったのだと思います。
同時に、これらの本を通じて、例えそれがエンターティメントとはいえ、書かれたものが人の心を揺さぶるという事実を体験したのでした。
一連のエピソードの繋がり、それを結ぶある種の精神的な芯のようなものを思わせて面白いですね。
これを読んでいて、加藤 泰が1963年に作った映画『真田風雲録』(原作は福田善之)を思い出しました。
これは加藤 泰さんが完全に60年安保を意識して作った映画で、いろいろな意味で敗北に打ちひしがれていた私にとって、「私にはまだ六文銭がある」と思わせるものでした。
真田十勇士のポップな描写も新鮮でしたが、千秋実扮する幸村の最期が印象的でした。
氏が亡くなられる前年ぐらいにシネマテークへ来られた折り、私の店にもお立ち寄りいただき、お話しをさせていただいたことがあります。懐かしい想い出です。