前項同様、犯罪事件を調べようとするわけではありません。
やはりこれも、単純に色彩の「白」と「黒」についてです。
今回は、前回の場所から道ひとつ隔てたところに出来た白い建物についてです。
なにやら南欧風の白い建物が出現しているのですが、はてさて、前にはここに何があったのかさっぱり思い出せないのです。まあ、それを思い出すことはこの際さして問題ではないのでスルーします(といって記憶力の減退をごまかす)。
この建物は結婚式場です。写真を撮りながら見ていると、黒い礼服や留め袖の参列者が三々五々やってきます。割合カラフルなのは新婦や新郎の女性の友人たちでしょう。
結婚式で白といえば昔から新婦の衣装と決まっているようです。
白無垢に綿帽子、または角隠し、これらは白です。洋風のウェディングドレスも白が基本のようです。
ようするに日本の結婚式は、白い新婦を黒い集団が取り囲むという形をとります。後で述べますように、今は少し様相は変わったようですが、かつては新郎も黒地に白い家紋を染め抜いた衣装に袴というのがスタンダードでした。
こうした新婦の白は純潔の白を表すとされますが、一方、どんな色にも染まる無地の白をも意味します。ようするに、どんな色にでもお好みの色に染めて下さいというサインなのです。
では、その白地を何色かに染め上げるのは誰でしょうか。一見、新郎のように思えますが、かつてはそれは家でした。ですから新郎は、家の権威を象徴する紋付きを着たのでした。そしてまた、新婦は家に付く女として「嫁」と呼ばれたのでした。
一方で女性は、「女三界に家なし」などといわれました。
この三界とは仏教用語で欲界、色界、無色界だとか、過去、現在、未来、などといわれますが、もっと俗世間的にいえば、幼くしては親に従い、嫁いでは夫に従い、老いては子に従え、などといわれたものです。ようするに、女性はその特有の世界を持ちえない、あるいは持ってはならないといわれたのです。
「三界に家なきをなぜ嫁という」というのは私の昔の川柳ですが、ようするに女性はこうした狭間で生きることを要請されたのです。
しかし、これは仏教や儒教の表向きの論理で、上流階級などではそうした窮屈な秩序がまかり通っていたかも知れませんが、家族総出で働く庶民の家庭では、夫と共に働き、なおかつ家事労働や育児までこなす女性は、逆に家族の礎ですらありました。「かかあ天下に空っ風」は何も上州の名物であったばかりではなく、働く家族の実態だったのでしょう。
むしろ、明治以降の近代的な労働過程の中で、男女の階層秩序が男尊女卑型に固定されたのではないでしょうか。そして、その是正のために今なお、均等雇用や共通賃金などの法的な措置が必要となっているのではないかと思うのです。
著しい脱線です。結婚式に話を戻します。
最近の新郎の衣装ですが、新婦同様、白いものが目立つようです。
これがまた、男性も純白で女性に向き合うということでしたら、それはそれでいいことですね。さらにいえば、白は「降伏」の色ですから、お互いに降伏し合うのはある種の平等化かも知れません(降伏=幸福って洒落を考えたのですが敢えて書きません・・・ってしっかり書いてますね)。
学生の制服にしろ礼服一般にしろ、権威はいつも黒く彩られてあるようです。その中で白いものやカラフルなものが幅を利かせることは、そうしたいわれなき権威を相対化し、無化することに連なるかも知れません。
モノクロの世界は二極的で分かりやすいのですが、その単純化の中で抑圧されているものがたくさんあるようにも思うのです。
やはりこれも、単純に色彩の「白」と「黒」についてです。
今回は、前回の場所から道ひとつ隔てたところに出来た白い建物についてです。
なにやら南欧風の白い建物が出現しているのですが、はてさて、前にはここに何があったのかさっぱり思い出せないのです。まあ、それを思い出すことはこの際さして問題ではないのでスルーします(といって記憶力の減退をごまかす)。
この建物は結婚式場です。写真を撮りながら見ていると、黒い礼服や留め袖の参列者が三々五々やってきます。割合カラフルなのは新婦や新郎の女性の友人たちでしょう。
結婚式で白といえば昔から新婦の衣装と決まっているようです。
白無垢に綿帽子、または角隠し、これらは白です。洋風のウェディングドレスも白が基本のようです。
ようするに日本の結婚式は、白い新婦を黒い集団が取り囲むという形をとります。後で述べますように、今は少し様相は変わったようですが、かつては新郎も黒地に白い家紋を染め抜いた衣装に袴というのがスタンダードでした。
こうした新婦の白は純潔の白を表すとされますが、一方、どんな色にも染まる無地の白をも意味します。ようするに、どんな色にでもお好みの色に染めて下さいというサインなのです。
では、その白地を何色かに染め上げるのは誰でしょうか。一見、新郎のように思えますが、かつてはそれは家でした。ですから新郎は、家の権威を象徴する紋付きを着たのでした。そしてまた、新婦は家に付く女として「嫁」と呼ばれたのでした。
一方で女性は、「女三界に家なし」などといわれました。
この三界とは仏教用語で欲界、色界、無色界だとか、過去、現在、未来、などといわれますが、もっと俗世間的にいえば、幼くしては親に従い、嫁いでは夫に従い、老いては子に従え、などといわれたものです。ようするに、女性はその特有の世界を持ちえない、あるいは持ってはならないといわれたのです。
「三界に家なきをなぜ嫁という」というのは私の昔の川柳ですが、ようするに女性はこうした狭間で生きることを要請されたのです。
しかし、これは仏教や儒教の表向きの論理で、上流階級などではそうした窮屈な秩序がまかり通っていたかも知れませんが、家族総出で働く庶民の家庭では、夫と共に働き、なおかつ家事労働や育児までこなす女性は、逆に家族の礎ですらありました。「かかあ天下に空っ風」は何も上州の名物であったばかりではなく、働く家族の実態だったのでしょう。
むしろ、明治以降の近代的な労働過程の中で、男女の階層秩序が男尊女卑型に固定されたのではないでしょうか。そして、その是正のために今なお、均等雇用や共通賃金などの法的な措置が必要となっているのではないかと思うのです。
著しい脱線です。結婚式に話を戻します。
最近の新郎の衣装ですが、新婦同様、白いものが目立つようです。
これがまた、男性も純白で女性に向き合うということでしたら、それはそれでいいことですね。さらにいえば、白は「降伏」の色ですから、お互いに降伏し合うのはある種の平等化かも知れません(降伏=幸福って洒落を考えたのですが敢えて書きません・・・ってしっかり書いてますね)。
学生の制服にしろ礼服一般にしろ、権威はいつも黒く彩られてあるようです。その中で白いものやカラフルなものが幅を利かせることは、そうしたいわれなき権威を相対化し、無化することに連なるかも知れません。
モノクロの世界は二極的で分かりやすいのですが、その単純化の中で抑圧されているものがたくさんあるようにも思うのです。
上の記事を書いたとき、黒い花嫁衣装というイメージがちらりとかすめたのですが、なるほど、そういう具体的事例があるわけですね。
節約や勤勉、欲望の抑圧と消費の先送り、それによる蓄積などはすべてきわめて資本主義的な生活スタイルです。したがって、それから逸れる者たちはすべて変人か奇人扱いですね。
それを分かっていながら、私なんぞは中途半端なところでウジウジしています。
それに比べ、コンスエロさんはやはり勇気のある人だったのでしょうね。
結婚式に、真っ黒な衣装で式に臨んで、彼の貴族の血統を鼻にかけている親族から、けちょんけちょんに、言われたというエピソードを、思い出します。
『星の王子様』の薔薇のモデルといわれるこの人、
コンスエロを、伝記作家は、みな悪く書いているけれど、私は美しく浪費家であったといわれるコンスエロを、面白い勇気のある人だと思い、可愛く思います。