仲間の人たちとともに「遊民」という同人誌を創刊した旨お伝えしたのは初夏の頃でした。
http://pub.ne.jp/rokumon/?search=8068&mode_find=word&keyword=%E9%81%8A%E6%B0%91
そして11月の晩秋、その二号が出ました。
主な内容は以下の通りです。
*小説 鹿に会う 山下智恵子
*私たちの時代、私の言葉の行方
-----情報の氾濫と果てしなき分散の中で------ 三 嶋 寛
*八歳の危険分子
-----なぜ校長室に呼ばれたのか------- 伊 藤 幹 彦
*怪人・加藤唐九郎伝説[Ⅱ]
-----ロマンを追いつづけた美の巨人------ 稲垣喜代志
*遊びをせんとや生まれけむ 斎 藤 孝
*多喜二の母を訪ねた
------セピア色の記憶------- 大牧冨士夫
(そのほかエッセイなど盛り沢山)
これにつき、朝日の東海版の夕刊(12月16日)、「東海の文芸」がとり上げてくれました。
文中にとり上げられたのは三嶋の評論ですが、いってみれば「ベタ褒め」で、おそらく三嶋は、続く第三号でそれを凌駕するものをどう書くかで頭が痛いことと思います。
全員にとって嬉しかったのは、上の文章の最後の方で、本年の東海の文芸活動にとって、記憶すべきトピックの2番目に、私たちの《「遊民」創刊とその充実》が挙げられていたことです。
いってみれば、団体で銀メダルですね。
この同人誌、一応編集会議はあるものの、誰が何を書くかの規制は一切なく、気がついたらそれぞれの部門で棲み分けが成立し、それが雑誌そのものの多様性となって現れています。
それがまた「機関誌」などとは全く違う自由な広場を形成しているのです。
ご希望の方は、アマゾン、または発売元の風媒社へご注文下さい。
ネットでの情報によれば、創刊号は既にして、定価以上でアマゾンに出品されているそうです。
http://pub.ne.jp/rokumon/?search=8068&mode_find=word&keyword=%E9%81%8A%E6%B0%91
そして11月の晩秋、その二号が出ました。
主な内容は以下の通りです。
*小説 鹿に会う 山下智恵子
*私たちの時代、私の言葉の行方
-----情報の氾濫と果てしなき分散の中で------ 三 嶋 寛
*八歳の危険分子
-----なぜ校長室に呼ばれたのか------- 伊 藤 幹 彦
*怪人・加藤唐九郎伝説[Ⅱ]
-----ロマンを追いつづけた美の巨人------ 稲垣喜代志
*遊びをせんとや生まれけむ 斎 藤 孝
*多喜二の母を訪ねた
------セピア色の記憶------- 大牧冨士夫
(そのほかエッセイなど盛り沢山)
これにつき、朝日の東海版の夕刊(12月16日)、「東海の文芸」がとり上げてくれました。
文中にとり上げられたのは三嶋の評論ですが、いってみれば「ベタ褒め」で、おそらく三嶋は、続く第三号でそれを凌駕するものをどう書くかで頭が痛いことと思います。
全員にとって嬉しかったのは、上の文章の最後の方で、本年の東海の文芸活動にとって、記憶すべきトピックの2番目に、私たちの《「遊民」創刊とその充実》が挙げられていたことです。
いってみれば、団体で銀メダルですね。
この同人誌、一応編集会議はあるものの、誰が何を書くかの規制は一切なく、気がついたらそれぞれの部門で棲み分けが成立し、それが雑誌そのものの多様性となって現れています。
それがまた「機関誌」などとは全く違う自由な広場を形成しているのです。
ご希望の方は、アマゾン、または発売元の風媒社へご注文下さい。
ネットでの情報によれば、創刊号は既にして、定価以上でアマゾンに出品されているそうです。
勉強や思索の成果が評価されたのですから、率直にいって嬉しいのですが、あまりにも「ベタ褒め」なので、次回は何を書いていいやら戸惑っています。
モーツアルトのように頭の中に既に楽想があって、それを五線譜に写すという才能や蓄積などないものですから、その都度テーマを決め、それから勉強したり考えたりしなければならず、かえって好評を貰ったのがプレッシャーです。
でも、惚け防止のためににも一層精進します。
いわゆる利便性とプライヴァシーの兼ね合いということでしょうね。似た問題は監視カメラなどのセキュリティの問題とプライヴァシーの問題にもありますね。
私は早晩不可避になるかも知れないとは思いますが、そのためには以下のような問題がクリアーされる必要があるように思います。
(1)それに携わる公務員等による個人情報の漏洩や不正利用をどう防ぐか
(2)ハッカーなどによる不正侵入で個人情報の流失や改ざんが起きるのをどう防ぐのか
(3)国家による国民の監視・管理や統制にりようされる可能性をどう防ぐのか
また、国民の側にも、一方で利便性やセキュリティを要求しながら、一方でプライヴァシーに固執するという自己矛盾があるように思います。
そうなると、ハード面では強固な防御体制が必要であり、その運用面では成熟した社会が必要なように思います。
その兼ね合いをどこで測りどう進めるのか、注目はして行くつもりですが、今のところ結論を述べるには至ってはいません。
ありがとうございます。
清水良典さんの評の中で、いちばんありがたく思ったくだりは「現代思想をひけらかすのではなく・・・」の部分です。
いわゆる「お哲学」の話にならないよう、もっとも心したところだったからです。
京都ではその記事、見られませんので、早速、彼等彼女たちに報せてやります。