暮れなずむ空港の写真をお届けしますがまずどうしてこんなことになったかというと・・。
名古屋鉄道の切符を往復分もらったのです。どこへでも行ける切符です。
名古屋へは所用で良く行くのですが、わずか1,000円前後の往復ではもったいないと思いました。
かといってここという所も・・。
光っているのは伊勢湾
で、ふと思いつきました。
そうだ、空港へ行こう、中部国際空港へ2000系電車「ミュースカイ」に乗って出かけよう。
好きな電車に乗り、飛行機を見ることが出来る、私の中で少年の残り火が小躍りし始めました。
実は私、この空港が出来て以来行ったことがないのです。愛知万博も行きませんでした。
井の中の蛙ですね。
スカイデッキの陽が傾き始めた
それで行きました。
寝坊助の私は出発が遅く午後から出かけたので、まずは飛行機の写真を撮ったり、空港内の売店などをお上りさんよろしくうろついたり、遠足気分で生ビールなど飲んで休息しているうちにどんどん時間が経ち、陽が傾き始めました。
これより大きくていい構図で撮ったつもりが尻尾だけだった
それではもう一度と、スカイデッキへ出て暮れゆく風景などをカメラに収めました。
結果として、明るいうちに撮ったものよりこの暮れ始めてからのものの方が面白いものが撮れました。
やはり光の陰影がくっきりしてくるのは面白いものです。
世紀の発明と騒がれたセグウエイ、警備員さんが乗っていた
残念なのは飛び立つ飛行機がなかなか巧く撮れなくて、回りの構図などから見て、「よしっ、これだ」とシャッターを押したものの、肝心の飛行機は尻尾しか写っていなかったりしたことです。
飛行機って、空中に止まってポーズをとってくれるなんてことが出来ないのですね。まことに不器っちょな奴です。
夜のとばりが迫る
秋の陽はつるべ落としといいますが、もう一度、もう一度、と飛行機の飛び立つのを待つ間に、だんだん陽が傾斜を深め、ついには海を挟んだ西側の伊勢志摩半島の向こう側にすっかり没してしまいました。
気がつけば空港はすっかり夜の気配、飛行機の轟音も気のせいか夜の響きを帯びてきたようです。
この後、夕陽がストンと落ちて急に暗くなった
帰途ももちろん電車。日暮れの電車は短距離はともかく、ある程度の時間が経過するとなんだか淋しいものがありますね。
あまり来ないところなので、本など読むのはやめて、遠足の子供のように窓に鼻をくっつけて沿線の夜景を見ていました。
通り過ぎる家々の灯りや街々のネオンが走馬燈のように流れるのを見ながら、その下にある人々の暮らしなどを連想していると、なんだか自分だけがそこから切り離されているかのように切なく思え、私のこの小旅行に幾分かの感傷を添えるのでした。
名古屋鉄道の切符を往復分もらったのです。どこへでも行ける切符です。
名古屋へは所用で良く行くのですが、わずか1,000円前後の往復ではもったいないと思いました。
かといってここという所も・・。
光っているのは伊勢湾
で、ふと思いつきました。
そうだ、空港へ行こう、中部国際空港へ2000系電車「ミュースカイ」に乗って出かけよう。
好きな電車に乗り、飛行機を見ることが出来る、私の中で少年の残り火が小躍りし始めました。
実は私、この空港が出来て以来行ったことがないのです。愛知万博も行きませんでした。
井の中の蛙ですね。
スカイデッキの陽が傾き始めた
それで行きました。
寝坊助の私は出発が遅く午後から出かけたので、まずは飛行機の写真を撮ったり、空港内の売店などをお上りさんよろしくうろついたり、遠足気分で生ビールなど飲んで休息しているうちにどんどん時間が経ち、陽が傾き始めました。
これより大きくていい構図で撮ったつもりが尻尾だけだった
それではもう一度と、スカイデッキへ出て暮れゆく風景などをカメラに収めました。
結果として、明るいうちに撮ったものよりこの暮れ始めてからのものの方が面白いものが撮れました。
やはり光の陰影がくっきりしてくるのは面白いものです。
世紀の発明と騒がれたセグウエイ、警備員さんが乗っていた
残念なのは飛び立つ飛行機がなかなか巧く撮れなくて、回りの構図などから見て、「よしっ、これだ」とシャッターを押したものの、肝心の飛行機は尻尾しか写っていなかったりしたことです。
飛行機って、空中に止まってポーズをとってくれるなんてことが出来ないのですね。まことに不器っちょな奴です。
夜のとばりが迫る
秋の陽はつるべ落としといいますが、もう一度、もう一度、と飛行機の飛び立つのを待つ間に、だんだん陽が傾斜を深め、ついには海を挟んだ西側の伊勢志摩半島の向こう側にすっかり没してしまいました。
気がつけば空港はすっかり夜の気配、飛行機の轟音も気のせいか夜の響きを帯びてきたようです。
この後、夕陽がストンと落ちて急に暗くなった
帰途ももちろん電車。日暮れの電車は短距離はともかく、ある程度の時間が経過するとなんだか淋しいものがありますね。
あまり来ないところなので、本など読むのはやめて、遠足の子供のように窓に鼻をくっつけて沿線の夜景を見ていました。
通り過ぎる家々の灯りや街々のネオンが走馬燈のように流れるのを見ながら、その下にある人々の暮らしなどを連想していると、なんだか自分だけがそこから切り離されているかのように切なく思え、私のこの小旅行に幾分かの感傷を添えるのでした。
私も時々、飛行機を見に行きます。