無趣味な私ですが、それでも週一で楽しみにしている新聞の欄があります。
それは、「朝日」が毎週月曜日に一ページを使って載せる「朝日歌壇」と「朝日俳壇」です。とはいえ、私は一度も投稿したことがなく、ただ読むだけです。
もう昨日になりましたが、7日は今年第一回の掲載日でした。
そして同時に、昨年一年間の入選作の中から、4人の選者が各一首を選んだ「朝日歌壇賞」の発表でもありました(俳壇賞の方は来週だそうです)。
それによれば以下の歌が選ばれたとのことです。
<高野公彦・選>
空語木語鳥語微風語噴水語すべて爽やか今日より五月
(新潟市 丸山 一)
<永田和宏・選>
あれしきの被曝で何を騒ぐかと言ってはならぬ我は被爆者
(アメリカ 大竹幾久子)
<馬場あき子・選>
一輪の青き薔薇咲く一通の内定通知子に届きたり
(ひたちなか市 猪狩直子)
<佐佐木幸綱・選>
ママが差す日傘の影にぴょんと入りそのまま影絵見ながら歩く
(富山市 松田わこ)
私がまず注目したのは、永田選の大竹さんの歌です。
彼女はアメリカ在住ですが、文字通り被曝者です。
この歌から想起するのは、原発推進派の中でもネット右翼に近い人たちが言う「放射脳(これは原発被害を気遣う人たちへの彼らの隠語的蔑称です)は反原発と騒ぐけれど、死者はひとりも出ていないではないか」という短絡した主張のことです。
この大竹さんの歌はそれらに対する厳しい叱責の声とすらいえます。
続いては、佐佐木選の「わこちゃん」の歌です。あえて「わこちゃん」といったのは彼女はまだ小学五年生だからです。この子と、そのお姉さんの梨子さん(中学生)とは、昨年の朝日歌壇を賑やかにした常連でした。
その波及効果は、その他の主として少女の詠み手を輩出させる結果となり、朝日歌壇は一挙に華やいだのでした。
なお、梨子さんは歌壇賞は取れませんでしたが、7日の佐佐木幸綱選では、選ばれて入選しています。以下は二人が互いに相手について詠んだ歌です。
「リコちゃんは変わってしまった」妹が涙ぐむ話せないこと増えて 梨子
捨てゼリフ残し飛び出すねえちゃんはけれどもドアを優しく閉める わこ
こうした短詩系のしかも、同好の投稿者の作品ですが、続けて読んでゆくといろいろなドラマに行き当たります。
昨年でいえば、上にみた松田わこ、梨子姉妹の活躍でしたし、もっと前にはオランダ在住のモーレンカンプふゆこさんの活躍がありました。
この人の歌や句は、やはりこの欄で知ったのですが、何年か前に直接お目にかかる機会があり、それ以来応援団の仲間に入れていただきました。
彼女についての記事は、このブログの12月20日、並びに31日に書きました。
http://">http://pub.ne.jp/rokumon/?daily_id=20121220
">http://pub.ne.jp/rokumon/?daily_id=20121231
アメリカの監獄に終身刑で収容されている郷隼人(ペンネーム)という人も常連でした。しかし、しばらく投稿が途絶えていたので心配していましたが、最近はまた復活したようで時々作品を目にします。
罪状は殺人罪のようで、もう20年以上獄中にいるようです。
繊細な歌を詠む人で、とてもそんな事件と関わりがあったとは思えないのですが、残念ながら事実のようです。人間にはいろいろなことがあるものですね。
一瞬に人を殺めし罪の手とうた詠むペンを持つ手は同じ 郷隼人
もう一人話題になったのはホームレス歌人の公田耕一(これもペンネーム)さんです。
毎回のごとく入選するのですが、住所はなく「ホームレス」とあるのみです。賞金などが渡せないというので「朝日」が異例の呼びかけをしたのですが、そのままでした。
柔らかい時計を持ちて炊き出しのカレーの列に二時間並ぶ
パンのみで生きるにあらず配給のパンのみみにて一日生きる
百均の赤いきつねと迷ひつつ月曜だけ買う朝日新聞
最後の歌は、この冒頭で書いたように、月曜日に朝日歌壇が載るからです。
ところでこの人、ほぼ10ヶ月の活躍の後、忽然と姿を消してしまいました。
どうしたのかいぶかる声が高かったのですが、どうやら横浜にいるらしいとのことで、三山 喬というルポライターが丹念に取材をし、ほぼその正体を突き止めたようなのです。(『ホームレス歌人のいた冬』三山 喬 東海教育研究所・刊)
それによると、彼の驚くべき経歴が明らかになったようです。
彼は、元首相の菅直人氏などとともに、故・市川房枝の選挙運動で活動し(1974年)、それが縁で、結婚の仲人も菅氏がつとめたといいます。
ところがその後、本人も選挙に出馬し落選、その時の資金の逼迫等で破産、そして離婚をして家を出、ホームレスになったというのです。
投稿をやめたのは、ホームレスを卒業し、職を得たからだそうで、3・11後は、被災地に支援物資を送る仕事に就いているようです。
ざっと見ただけで朝日歌壇にはこうしたドラマがあります。
もちろん、一、二度見ただけではこうしたドラマは見えて来ません。
だから毎週、月曜日を楽しみにしているのです。
それは、「朝日」が毎週月曜日に一ページを使って載せる「朝日歌壇」と「朝日俳壇」です。とはいえ、私は一度も投稿したことがなく、ただ読むだけです。
もう昨日になりましたが、7日は今年第一回の掲載日でした。
そして同時に、昨年一年間の入選作の中から、4人の選者が各一首を選んだ「朝日歌壇賞」の発表でもありました(俳壇賞の方は来週だそうです)。
それによれば以下の歌が選ばれたとのことです。
<高野公彦・選>
空語木語鳥語微風語噴水語すべて爽やか今日より五月
(新潟市 丸山 一)
<永田和宏・選>
あれしきの被曝で何を騒ぐかと言ってはならぬ我は被爆者
(アメリカ 大竹幾久子)
<馬場あき子・選>
一輪の青き薔薇咲く一通の内定通知子に届きたり
(ひたちなか市 猪狩直子)
<佐佐木幸綱・選>
ママが差す日傘の影にぴょんと入りそのまま影絵見ながら歩く
(富山市 松田わこ)
私がまず注目したのは、永田選の大竹さんの歌です。
彼女はアメリカ在住ですが、文字通り被曝者です。
この歌から想起するのは、原発推進派の中でもネット右翼に近い人たちが言う「放射脳(これは原発被害を気遣う人たちへの彼らの隠語的蔑称です)は反原発と騒ぐけれど、死者はひとりも出ていないではないか」という短絡した主張のことです。
この大竹さんの歌はそれらに対する厳しい叱責の声とすらいえます。
続いては、佐佐木選の「わこちゃん」の歌です。あえて「わこちゃん」といったのは彼女はまだ小学五年生だからです。この子と、そのお姉さんの梨子さん(中学生)とは、昨年の朝日歌壇を賑やかにした常連でした。
その波及効果は、その他の主として少女の詠み手を輩出させる結果となり、朝日歌壇は一挙に華やいだのでした。
なお、梨子さんは歌壇賞は取れませんでしたが、7日の佐佐木幸綱選では、選ばれて入選しています。以下は二人が互いに相手について詠んだ歌です。
「リコちゃんは変わってしまった」妹が涙ぐむ話せないこと増えて 梨子
捨てゼリフ残し飛び出すねえちゃんはけれどもドアを優しく閉める わこ
こうした短詩系のしかも、同好の投稿者の作品ですが、続けて読んでゆくといろいろなドラマに行き当たります。
昨年でいえば、上にみた松田わこ、梨子姉妹の活躍でしたし、もっと前にはオランダ在住のモーレンカンプふゆこさんの活躍がありました。
この人の歌や句は、やはりこの欄で知ったのですが、何年か前に直接お目にかかる機会があり、それ以来応援団の仲間に入れていただきました。
彼女についての記事は、このブログの12月20日、並びに31日に書きました。
http://">http://pub.ne.jp/rokumon/?daily_id=20121220
">http://pub.ne.jp/rokumon/?daily_id=20121231
アメリカの監獄に終身刑で収容されている郷隼人(ペンネーム)という人も常連でした。しかし、しばらく投稿が途絶えていたので心配していましたが、最近はまた復活したようで時々作品を目にします。
罪状は殺人罪のようで、もう20年以上獄中にいるようです。
繊細な歌を詠む人で、とてもそんな事件と関わりがあったとは思えないのですが、残念ながら事実のようです。人間にはいろいろなことがあるものですね。
一瞬に人を殺めし罪の手とうた詠むペンを持つ手は同じ 郷隼人
もう一人話題になったのはホームレス歌人の公田耕一(これもペンネーム)さんです。
毎回のごとく入選するのですが、住所はなく「ホームレス」とあるのみです。賞金などが渡せないというので「朝日」が異例の呼びかけをしたのですが、そのままでした。
柔らかい時計を持ちて炊き出しのカレーの列に二時間並ぶ
パンのみで生きるにあらず配給のパンのみみにて一日生きる
百均の赤いきつねと迷ひつつ月曜だけ買う朝日新聞
最後の歌は、この冒頭で書いたように、月曜日に朝日歌壇が載るからです。
ところでこの人、ほぼ10ヶ月の活躍の後、忽然と姿を消してしまいました。
どうしたのかいぶかる声が高かったのですが、どうやら横浜にいるらしいとのことで、三山 喬というルポライターが丹念に取材をし、ほぼその正体を突き止めたようなのです。(『ホームレス歌人のいた冬』三山 喬 東海教育研究所・刊)
それによると、彼の驚くべき経歴が明らかになったようです。
彼は、元首相の菅直人氏などとともに、故・市川房枝の選挙運動で活動し(1974年)、それが縁で、結婚の仲人も菅氏がつとめたといいます。
ところがその後、本人も選挙に出馬し落選、その時の資金の逼迫等で破産、そして離婚をして家を出、ホームレスになったというのです。
投稿をやめたのは、ホームレスを卒業し、職を得たからだそうで、3・11後は、被災地に支援物資を送る仕事に就いているようです。
ざっと見ただけで朝日歌壇にはこうしたドラマがあります。
もちろん、一、二度見ただけではこうしたドラマは見えて来ません。
だから毎週、月曜日を楽しみにしているのです。
「還暦は青春だったと今に思ふ
登りつめいる八十の坂 大谷とみ」
「八十を過ぎて想へば古希あたり
恃みしこともまだありしものを 林きみ」
しかしいずれも、何とも悲しく寂しく、そこで吉井勇の次の歌を口ずさむことにします。
「鉄齋は老いてすぐれし絵を描きぬ
年の初めに思ふことこれ」
先般、老人ホームへ父を預けている人のレポートに、ホームが催す老人たちのゲームやリクレーションに馴染めず(サヨクの高校教師だったとか)、次第に自分を閉ざす父の話が載っていて、身につまされるものがありました。
私も多分、そうした童心には返れないのだろうと思います。かと言ってその頃は書を読む気力が残っているかどうかも自信がなく・・・。
むすんでひらいての輪を抜け窓辺に佇めば
わが青山は雪に埋もれぬ