石原慎太郎脚本・総指揮の映画、『俺は、君のためにこそ死にに行く』を観た。
石原氏への既成観念で頭ごなしに決めつけるような「好戦映画」ではない。欧米に対する大東亜の戦いの強調や、特攻そのものを幾分美化するきらいはあるが、岸恵子の存在により、あたら若い男たちの理不尽な死がそれなりに描かれているといえる。
冒頭、軍幹部たちが敗戦を察知しながらも、その降伏条件を有利にするために特攻を決定するシーンは、あの5,000人にのぼる若者たちの死が、もとより虚しいものでしかなかったことを如実に示している。
それは完全に犬死の強要であった。
私は、「犬死」という言葉で、決して死者たちを鞭打っているのではない。
あたら若い生命を、根拠薄弱な作戦によって、消耗品として散らせた軍と、その頂点にあった者に対しての満腔の怒りをこめて、なおかつ、そういわざるを得ないのだ。そして、それが口惜しい。
むろんこの映画は、「反戦映画」とは言い難い面を持つ。しかし、上記のような視点を堅持して観るならば、戦争というものが、いかに野蛮で不合理な死を強要するものであり、そうした状況に至らぬことこそが肝要であることが分かる。
それから、石原氏が作ったからといって、全否定する評価もいかがなものかと思う。私も彼の言動は好きではない。むしろ嫌いである。
しかし、彼とて、戦争をすべきだとか、若い連中が無為に死んでもいいと思っているわけではなかろう。
むろん、彼の政治路線が、そうした危険性へと至ることは考えられるし、それは阻止すべきであろうが。
ただ、この作品に関する限り、「坊主憎くけりゃ」は通用しないだろう。
お勧めではないにしても、若い人達に、戦争というのはあんな理不尽な死を強要するものだということを改めて知らしめただけでもいいではないか。
石原氏に、当時の軍部やスメラミコトに対しての批判をもっと明確にせよなどというのは、まあ、ないものねだりであろう。
最後に、この題名はいかにも長く、しかもダサイ。
その上、間違っている。
『俺は、君のためにこそ死にに行く』ではなく、正確には、『俺は、天皇のためにこそ死にに行く』なのだ。あるいは「大君」としてもいい。
戦前、軍国教育を受けたものにとってはこれは常識であった。
むろん一人一人は、その理不尽さに耐えられず、自ら死すべき目標を、「君」や「家族」を守るためとしたりもしたであろう。
しかし、事実は天皇のためだった。「天皇のために死ぬ」は、私のような当時の小国民にとっても、当然の定めであった。
この映画がもし戦前上映されていたら、軍部の検閲によって、『俺は、君のためにこそ死にに行く』は青臭い軟弱なものであるとして、『俺は、天皇のためにこそ死にに行く』に改めさせられていたことは間違いない。
最後に、出撃した人たちは、私のひと世代上の、いわば兄ともいっていい人たちであった。改めてその無念の死に合掌したい。
*写真の花々は、内容とはなんの関連もないが、不本意な死を強要され、散らざるを得なかった御霊への献花としたい。
<今週の川柳もどき> 07.5.20
ふるさとは税を納めて思うもの
(ふるさと税に室生犀星の詠める)
不手際を重ね重ねて死者を出す
(立てこもりへの愛知県警)
(亡くなった警官には合掌)
高速船絶叫マシンに早変わり
(東京湾で事故)
六百億シュノーケルでは見つからぬ
(大西洋でお宝満載の沈没船発見)
コウノトリのヒナを運んだコウノトリ
(43年ぶりの自然放鳥がヒナを)
石原氏への既成観念で頭ごなしに決めつけるような「好戦映画」ではない。欧米に対する大東亜の戦いの強調や、特攻そのものを幾分美化するきらいはあるが、岸恵子の存在により、あたら若い男たちの理不尽な死がそれなりに描かれているといえる。
冒頭、軍幹部たちが敗戦を察知しながらも、その降伏条件を有利にするために特攻を決定するシーンは、あの5,000人にのぼる若者たちの死が、もとより虚しいものでしかなかったことを如実に示している。
それは完全に犬死の強要であった。
私は、「犬死」という言葉で、決して死者たちを鞭打っているのではない。
あたら若い生命を、根拠薄弱な作戦によって、消耗品として散らせた軍と、その頂点にあった者に対しての満腔の怒りをこめて、なおかつ、そういわざるを得ないのだ。そして、それが口惜しい。
むろんこの映画は、「反戦映画」とは言い難い面を持つ。しかし、上記のような視点を堅持して観るならば、戦争というものが、いかに野蛮で不合理な死を強要するものであり、そうした状況に至らぬことこそが肝要であることが分かる。
それから、石原氏が作ったからといって、全否定する評価もいかがなものかと思う。私も彼の言動は好きではない。むしろ嫌いである。
しかし、彼とて、戦争をすべきだとか、若い連中が無為に死んでもいいと思っているわけではなかろう。
むろん、彼の政治路線が、そうした危険性へと至ることは考えられるし、それは阻止すべきであろうが。
ただ、この作品に関する限り、「坊主憎くけりゃ」は通用しないだろう。
お勧めではないにしても、若い人達に、戦争というのはあんな理不尽な死を強要するものだということを改めて知らしめただけでもいいではないか。
石原氏に、当時の軍部やスメラミコトに対しての批判をもっと明確にせよなどというのは、まあ、ないものねだりであろう。
最後に、この題名はいかにも長く、しかもダサイ。
その上、間違っている。
『俺は、君のためにこそ死にに行く』ではなく、正確には、『俺は、天皇のためにこそ死にに行く』なのだ。あるいは「大君」としてもいい。
戦前、軍国教育を受けたものにとってはこれは常識であった。
むろん一人一人は、その理不尽さに耐えられず、自ら死すべき目標を、「君」や「家族」を守るためとしたりもしたであろう。
しかし、事実は天皇のためだった。「天皇のために死ぬ」は、私のような当時の小国民にとっても、当然の定めであった。
この映画がもし戦前上映されていたら、軍部の検閲によって、『俺は、君のためにこそ死にに行く』は青臭い軟弱なものであるとして、『俺は、天皇のためにこそ死にに行く』に改めさせられていたことは間違いない。
最後に、出撃した人たちは、私のひと世代上の、いわば兄ともいっていい人たちであった。改めてその無念の死に合掌したい。
*写真の花々は、内容とはなんの関連もないが、不本意な死を強要され、散らざるを得なかった御霊への献花としたい。
<今週の川柳もどき> 07.5.20
ふるさとは税を納めて思うもの
(ふるさと税に室生犀星の詠める)
不手際を重ね重ねて死者を出す
(立てこもりへの愛知県警)
(亡くなった警官には合掌)
高速船絶叫マシンに早変わり
(東京湾で事故)
六百億シュノーケルでは見つからぬ
(大西洋でお宝満載の沈没船発見)
コウノトリのヒナを運んだコウノトリ
(43年ぶりの自然放鳥がヒナを)
共通点は、どちらも評価にばらつきがあることです。
「どれどれ、では俺が」とでかけます。
私が公正に判断できるという意味ではありません。
野次馬根性が旺盛なのです。
いずれにしても、映画館でスクリーンと向き合っている時間は好きです。
バベルは難しそうですね。