南天の花が咲いた。
ここに住まいして半世紀近くになるが、わが家の南天の歴史は割合新しい。とはいえ、二十数年は経過している。
わが家に南天が渡来したのはほぼ同時、二つのルートからである。そのひとつは、亡父の家が部分的に改修を行った際、坪庭にあった、もうすっかり大きくなった南天をごっそり移植したものである。
もう一つの系列は、もう30年も前になるが、当時の飼い犬がお気に入りにしていたわが家のとある建物の隙間の、まさにその犬がいつも寝そべっていたあたりに自生してきたものである。
当時は片田舎のこと、半分放し飼いのような状態であったので、彼がどっかでくっつけてきた実が芽吹いたのだろうというのが私の推理である。
これが亡父から譲り受けたそれとは明らかに異なるのは、父からのものが赤い実なのに対し、犬がもたらしたそれはなんと白南天なのである。ついでながら、亡父からのものは、葉の形状が柳のように細長く、幾分よじれたような観があるので、料理などに添えたりは出来ない。
かくしてわが家には、「おやじの南天」と「寿限無(当時の飼い犬の名前)の南天」があるのだが、これがまた結構繁殖力が旺盛で、「来る者は拒まず」という私のずさんで怠慢な方針もあって、両者が繁殖した結果、猫の額のおような狭い庭に今や7本というか7箇所の南天の群落をみるに至った。
この年の早春、伸びすぎてその集落が周辺の水仙などを圧迫するのを見かねて、ついにそれらを伐採することにした。私の親指ほどの幹が数本固まって2mほどの高さに達しているのを根本から伐るのは忍びなかったが、ごめんよと詫びつつ実行した。
しかし、やはり南天の生命力は強い。幾ばくもしないうちにその切り株から新しい芽がわんさか伸びてきた。それもまた、「ごめんよ」といって刈り取った。
南天は毒消しになる。昔は、お重で赤飯などやりとりする際には必ずといってほど上に乗せたものだ。私もその真似をして、おせち料理を作った際には各お重に南天の葉を乗せることにしている。
毒消しどころか漢方の素材にもなるようで、とくに白は珍重されると聞く。うちでいえば、「寿限無の南天」のほうがそれだ。
ほかには、「難を転じる」ということから縁起担ぎにされることが多いが、うちのように無政府的にあちこちにあるようでは、難を「転じる」のではなく、かえって「呼び寄せている」のではあるまいかと思っている。
ちなみに、その花言葉は、「私の愛は増すばかり」だそうである。
*おまけに、葉の形状が好きなヒイラギナンテンを載せた。これは県立図書館の中庭でのもの。
ここに住まいして半世紀近くになるが、わが家の南天の歴史は割合新しい。とはいえ、二十数年は経過している。
わが家に南天が渡来したのはほぼ同時、二つのルートからである。そのひとつは、亡父の家が部分的に改修を行った際、坪庭にあった、もうすっかり大きくなった南天をごっそり移植したものである。
もう一つの系列は、もう30年も前になるが、当時の飼い犬がお気に入りにしていたわが家のとある建物の隙間の、まさにその犬がいつも寝そべっていたあたりに自生してきたものである。
当時は片田舎のこと、半分放し飼いのような状態であったので、彼がどっかでくっつけてきた実が芽吹いたのだろうというのが私の推理である。
これが亡父から譲り受けたそれとは明らかに異なるのは、父からのものが赤い実なのに対し、犬がもたらしたそれはなんと白南天なのである。ついでながら、亡父からのものは、葉の形状が柳のように細長く、幾分よじれたような観があるので、料理などに添えたりは出来ない。
かくしてわが家には、「おやじの南天」と「寿限無(当時の飼い犬の名前)の南天」があるのだが、これがまた結構繁殖力が旺盛で、「来る者は拒まず」という私のずさんで怠慢な方針もあって、両者が繁殖した結果、猫の額のおような狭い庭に今や7本というか7箇所の南天の群落をみるに至った。
この年の早春、伸びすぎてその集落が周辺の水仙などを圧迫するのを見かねて、ついにそれらを伐採することにした。私の親指ほどの幹が数本固まって2mほどの高さに達しているのを根本から伐るのは忍びなかったが、ごめんよと詫びつつ実行した。
しかし、やはり南天の生命力は強い。幾ばくもしないうちにその切り株から新しい芽がわんさか伸びてきた。それもまた、「ごめんよ」といって刈り取った。
南天は毒消しになる。昔は、お重で赤飯などやりとりする際には必ずといってほど上に乗せたものだ。私もその真似をして、おせち料理を作った際には各お重に南天の葉を乗せることにしている。
毒消しどころか漢方の素材にもなるようで、とくに白は珍重されると聞く。うちでいえば、「寿限無の南天」のほうがそれだ。
ほかには、「難を転じる」ということから縁起担ぎにされることが多いが、うちのように無政府的にあちこちにあるようでは、難を「転じる」のではなく、かえって「呼び寄せている」のではあるまいかと思っている。
ちなみに、その花言葉は、「私の愛は増すばかり」だそうである。
*おまけに、葉の形状が好きなヒイラギナンテンを載せた。これは県立図書館の中庭でのもの。
そうですか。南天の地味な白い花が、そんな素敵な花ことばだなんて、知りませんでした。
齢をとると、何でも減る方が多くて(髪の毛、歯、うるおいETC)、と思っていたのですが。
考え直してみると、愛はどうかわかりませんが、脂肪、死亡通知、妄想、ごみ、などはまさしく、「増すばかり」です。
ふざけたことを言ってごめんなさい。
時にはふざけないとやってられないこの世ですので。
今回もそれで、思わぬものに出くわした感があり、タイトルにしました。
いろいろ増えたり減ったりするものが多くなりましたが、「愛を増す」ことはできるのかもしれません。