国道156号線、ないしは東海北陸道を名古屋・岐阜方面から北上すると、当初は長良川に並行しその上流へと進むのだが、いつしか今度は、荘川の下流へと並行して進むことになる。
いわゆる分水嶺を越えるわけなのだが、その周辺がひるがの高原である。
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これは156号線を走るといたって分かりやすく、長良川を上流に並行して走っていたはずなのにそれが消え、すこし坂を登りつめると高原が開け、そこのスキー場を右手に見ながらしばらく走ると今度は下り坂になり、並行する川が北へ向かって流れるようになる。それが荘川の支流である。
こうした分水嶺をいたって分かりやすく、その縮図を目の当たりに見ることが出来るのがひるがの高原内にある分水嶺公園である。
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左は長良川経由で太平洋に 右は荘川経由で日本海へ
公園といってもさして広い場所ではない。上流から幅2メートルにも満たないせせらぎが流れてきて小さな池のような箇所に至る。その池からの出口で水たちは三角形の岩の頂点のような箇所で左右に別れる。
このささやかな別れが、実は、かたや荘川水系に合流し日本海へと至り、かたや長良川に吸収され太平洋へと注ぐ壮大な別れになるのだが、当の水たちはそれを知る由もない。
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その上流のせせらぎ どの水がどちらへ
それを目の当たりに見ることができるのがこの分水嶺公園の面白さである。私はこれで通算三度目だが、そのささやかでありながら壮大な別れの光景には飽きることはない。
ところで、私の野次馬根性はそれを観ただけで納まるものではない。
問題はこうして日本海側と太平洋側とに別れた水たちが再び出会う可能性があるのだろうかということである。
ようするに「瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末にあはんとぞ思う」(崇徳院 詞花和歌集 百人一首にも収録)の現代的追体験の試みである。「われても末に」逢えるか逢えないかということである。
海は繋がっているから逢えるだろうでは答えにならない。問題は日本近海でのその可能性である。
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水を分ける岩 左は日本海へ 右は太平洋へ
そこで日本近海の海流を調べてみた。
日本海側は対馬海流が北上している。したがって荘川から富山湾に注いだ水もそれに乗って北上するものと思われる。
また、太平洋側はいわゆる黒潮(日本海流)が北上していて、長良川から伊勢湾に至った水もその流れに乗るはずである。
だとすれば、この二つの海流が出会う日本の北部で分水嶺で別れた水は出逢えるはずである。
ところが、ところがである、北上する黒潮(日本海流)は北からやってくる親潮(千島海流)に割って入られ、その進路を大きく東の太平洋へと押しやられてしまうのだ。
ようするに、対馬海流はそのままオホーツク海に、そして黒潮(日本海流)は太平洋へと引き裂かれてしまうのである。
このままでは崇徳院の願いは虚しく「われても末に」は逢えないことになってしまう。
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しかし、またもやしかし、しかしである。
海流図を見ていると、日本海側を北上する対馬海流の一部が、本州と北海道の間の津軽海峡を通って太平洋側に至っているのだ。そしてそれは南下する親潮(千島海流)に伴って東北沿岸を南へと進み、銚子沖では黒潮(日本海流)と接することになる。
だとするとこの銚子沖で、ひるがの高原で南北に別れた水が再び出会う可能性があるわけだ。
くだらない想像と一蹴されそうだが、ほんとうにそうなら面白いと思う。
そこで一首。
「ひるが野で岩にせかれし水なれど銚子沖にて逢わんとぞ思う」(不徳院)
*おまけの分水嶺付近の写真です。
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いわゆる分水嶺を越えるわけなのだが、その周辺がひるがの高原である。
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これは156号線を走るといたって分かりやすく、長良川を上流に並行して走っていたはずなのにそれが消え、すこし坂を登りつめると高原が開け、そこのスキー場を右手に見ながらしばらく走ると今度は下り坂になり、並行する川が北へ向かって流れるようになる。それが荘川の支流である。
こうした分水嶺をいたって分かりやすく、その縮図を目の当たりに見ることが出来るのがひるがの高原内にある分水嶺公園である。
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左は長良川経由で太平洋に 右は荘川経由で日本海へ
公園といってもさして広い場所ではない。上流から幅2メートルにも満たないせせらぎが流れてきて小さな池のような箇所に至る。その池からの出口で水たちは三角形の岩の頂点のような箇所で左右に別れる。
このささやかな別れが、実は、かたや荘川水系に合流し日本海へと至り、かたや長良川に吸収され太平洋へと注ぐ壮大な別れになるのだが、当の水たちはそれを知る由もない。
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その上流のせせらぎ どの水がどちらへ
それを目の当たりに見ることができるのがこの分水嶺公園の面白さである。私はこれで通算三度目だが、そのささやかでありながら壮大な別れの光景には飽きることはない。
ところで、私の野次馬根性はそれを観ただけで納まるものではない。
問題はこうして日本海側と太平洋側とに別れた水たちが再び出会う可能性があるのだろうかということである。
ようするに「瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末にあはんとぞ思う」(崇徳院 詞花和歌集 百人一首にも収録)の現代的追体験の試みである。「われても末に」逢えるか逢えないかということである。
海は繋がっているから逢えるだろうでは答えにならない。問題は日本近海でのその可能性である。
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水を分ける岩 左は日本海へ 右は太平洋へ
そこで日本近海の海流を調べてみた。
日本海側は対馬海流が北上している。したがって荘川から富山湾に注いだ水もそれに乗って北上するものと思われる。
また、太平洋側はいわゆる黒潮(日本海流)が北上していて、長良川から伊勢湾に至った水もその流れに乗るはずである。
だとすれば、この二つの海流が出会う日本の北部で分水嶺で別れた水は出逢えるはずである。
ところが、ところがである、北上する黒潮(日本海流)は北からやってくる親潮(千島海流)に割って入られ、その進路を大きく東の太平洋へと押しやられてしまうのだ。
ようするに、対馬海流はそのままオホーツク海に、そして黒潮(日本海流)は太平洋へと引き裂かれてしまうのである。
このままでは崇徳院の願いは虚しく「われても末に」は逢えないことになってしまう。
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しかし、またもやしかし、しかしである。
海流図を見ていると、日本海側を北上する対馬海流の一部が、本州と北海道の間の津軽海峡を通って太平洋側に至っているのだ。そしてそれは南下する親潮(千島海流)に伴って東北沿岸を南へと進み、銚子沖では黒潮(日本海流)と接することになる。
だとするとこの銚子沖で、ひるがの高原で南北に別れた水が再び出会う可能性があるわけだ。
くだらない想像と一蹴されそうだが、ほんとうにそうなら面白いと思う。
そこで一首。
「ひるが野で岩にせかれし水なれど銚子沖にて逢わんとぞ思う」(不徳院)
*おまけの分水嶺付近の写真です。
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水が蒸発し、上空で出会う確率の方が高そうですね。