クーチミラン

根を、張るときと花の咲くとき

台風15号

2015年08月25日 | 古布
生きた心地がしなかった数十分間
 午前6時過ぎ頃からの、風がもたらす音には想像を絶するものがありました。家屋も何かの音を立てていました。以前の猛烈な台風で新築直後の、窓の中でも最も費用が嵩んだ窓が飛んできた瓦でやられたり、良かれと思って移動させた車まで直撃を受けたことがあった為、私の神経は超緊張しました。完全に締め切った部屋の中でさえそうでしたので屋外はどうだったのでしょうか。
 風が少し止んだときルーバーの窓を微かに開けましたら、それでもやはり、凄い音が飛び込んできました。
 その後、県北の荒尾に上陸したとのニュースがありあましたので台風が私達の地域を通り過ぎたことを知り、少しの安心感が湧いてきました。
 電気が僅かの時間止まりましたので、その機会を捉えて、怠っていた飲料水の溜め置きをし、次の停電に備えました。
 まだ、もう暫くしないと屋外の被害の確認は出来ません。

古布 その図柄


身についたものの修正
 耳で聴いて覚えた曲には1音符が抜けていたり、反対に余分な音符を加えていたり、また、音符の長さが違っていたりしていることが頻繁にあります。普通の演奏ではそのことはほとんど影響が感じられないことから、とくに違和感は発生しません。(伴奏としての演奏なら歌い手の方と食い違いが出ることがあるかも)
 しかし、入門以来、基本を覚える、という意味でハーモニカ演奏を楽譜で覚えてきている立場では、どうしても楽譜に拘ります。1音符でも正確に捉えたい姿勢が消えません。
 ところが、自分に都合が良いように身についたものはそう、簡単には身体から追い出すことが出来ませんので自分との戦いがここから始まります。
 ハーモニカでは「探り吹き」という言葉があり、それも曲の演奏を覚える為の1つの有効な手段ではある、と思いますが、そこから正確な演奏に繋ぐのが私には、なかなか、難しいです。最初から楽譜で覚えるケースと比べて遙かに大きなエネルギーを使うことになります。
 基本を習得した後なら、自分なりに少しの手を加えることは必ずしも悪いことではないのですが・・・。