怠慢主婦 ドイツで同居 

日本食を食べなくなり義両親のしもべと化し、すでに何年になるだろう。遠い目しながら今日も行き抜いてやるぞっ

意外となかなか言われないことなのではなかろうか

2021年02月07日 | 家族

ずっと前から気づいていたけれど、

人や書籍、ネット上ではほとんど見かけなかった言葉。

本当に難しい。

家族が介護するより、

介護業者に頼んだほうがうまくいくのも

この理由からだろうな。

家の外に出ると、途端に愛想のよくなる夫を

みていると、私はどうでもいい存在かい、

とか思ってしまう。

わたしも義両親に「思いやりを持って優しく微笑み忘れず」って・・・

うわー、本当に難しい。

コロナ籠りで、毎秒試されている。

この一瞬はできて、次の数秒ではムカッとするだろうな。

過ぎていく毎秒が人生修行。

 

 

 


雪が降ると張り切る義父

2021年01月03日 | 家族

雪が降った。

そんなに積もっていないが、

凍ってしまって

滑るのを恐れてせっせと雪かきをする義父。

家の内外の修理、電気・機械関係の故障、

力仕事などを担当する義父。

夫はまったく家事をしない。

ウチじゃあ、男女の仕事分担が

かなりはっきりしている。

若い世代は、こんなではやっていけない昨今だろう。

女子も家屋の修理、男子も料理・選択。

がんばってほしい。

 

 

 


結婚記念日

2020年03月07日 | 家族
3月7日は義両親の結婚記念日だ。
私はすっかり忘れていた。テーブルの上にはそのために買ったと思われる花とカードがあった。

子猫が寄り添うカード。中を見ると、義父が義母に宛てたものだった。
義父がこんなカードを選ぶなんて、ちょいと意外だ。どこに売っていたのかな、欲しいな~

義両親の世代でも、離婚していたり中の悪い夫婦は大勢いる。
義両親たちが仲良くこれまでやってこられているのは、かなり珍しい例かもしれない。
しかも、二人ともたいした病気をしないでいるし。
まあ、私からも祝わなければならないな。
おめでとう!





サボテンの花

2020年02月13日 | 家族
義父が、半世紀ほど前にスリランカから持ち帰ったサボテン。
花が咲いたので撮影をしておく。
当時は検疫などがうるさくなかったのだろうな、と感心。
スリランカよりずっと寒いここで、ずっと生きているこの植物の生命力。
私も見習わなくては。





M雄くん14歳も行きたい日本

2019年04月01日 | 家族
車窓から見えた景色を急いで撮影。これはソメイヨシノか?
この部分だけ見ると、一瞬東京かとも思ええる・・・・ああ、行きたいなあ。

甥のM雄くんの14歳の誕生日祝いだった。
ティーンエイジャーになってもこんな風に祖父母や親族が来て祝ってくれるドイツって凄いなぁ。ま、大人も激しく派手に祝っちゃうのだから当然か。娯楽の少ないドイツ、何かきっかけを見つけて集まるのがわずかな楽しみの一つなのかもしれない。

二種の義母ケーキ。数年前まではM雄くん、このケーキの半分ほどを平らげたものだが、ティーンになってからは食べなくなってきた。甘いものより蛋白系のものを欲しがる年代なのかもしれない。
もちろん、義母はがっかりしている。9、10歳頃の食べっぷりをもっと発揮して欲しいのだろうな。
日々成長して変化していく子供の成長を見守る態度を忘れてはならない。

私には朗報。

義姉とその子供たちはほぼ週一度寿司を手作りして食べているそうだ。以前、巻き寿司を作ってM雄くんに持っていくという意見を義両親に強引に却下された思い出がある。私はかなりのショックだった。M雄くんはすでにその頃から寿司好きだったのにねぇ。
義両親には聴こえないようそっと私に打ち明けたので、気を遣っているのだろうな。
外国文化より自国の文化を孫には継承させたいと思う気持ちもわかるけれどね。
何気に置かれていた使い込まれているしゃもじが、寿司好きの証明に感じた。

ソファの脇に置かれた物体。
おお、プレーステーション!
M雄くんだけが遊んでいるらしい。ドイツで見つけた最初のプレーステーション所持者。

さて、このM雄くんも日本旅行に興味があるらしい。
出会う人々の体感率6割が日本旅行や日本の物資、アニメ・映画などの作品に興味を持っているというこの現象。
親族も例外じゃあなかったか、とちょいと苦笑。
日本を舞台にした海外進出しているプレイステーション4用ゲームがたくさんあるようなので、では、機会があればM雄くんに贈ることにしよう。



余計なことを言うな

2019年03月11日 | 家族
先週、義両親の結婚記念日があった。
夫に何か小さい贈り物をするように言われていた。外出先で出会ったポーランド人知人に花束がいいと勧められたのでそうすることにした。
スーパーで一束2ユーロで売られていたチューリップ。二束購入し、りす部屋に戻ってからひとつにまとめて包装紙に包みなおした。

案の定、義母から言われた。
「そんな無駄遣いして」
義両親に贈り物をするたびに彼女にそういわれ続けているので、単なる挨拶だと割り切ることができるが、それでもそれで気分がよくなるわけじゃあない。
おい、たったの4ユーロだぞ?4€×31日としても124ユーロだ。インゴルシュタット周辺の家賃の高さや、田舎であるとはいえ驚異的な居住空間を提供してくれている彼らにはゴミみたいな金額だ。私にとって4ユーロは凄まじい出費だから、まあ、義母が私を思ってくれていると思えばいいのだけれど、でも気分はよくない。

二束分のチューリップは二つに分けられて飾られた。
庭にはまだ飾るような花が咲いていないので、花を贈るいい時期だとも思った。
義父はこう言った。
「アフリカから、わわざわざ輸入されている反エコ商品」
はいはい・・・・
アフリカの自然を破壊しながら栽培されているらしいこの安い花々。知ってはいるが、この安さと品質の良さは止められない。
私は日常的に花を買っていない。せいぜい一年に1度程度だ。それくらい許してくれよ、お義父さん!
贈り主にとやかく言えるのは、身内という親しい間柄の特権だろうが、あまりそれを使ってはならぬぞっ
と、むかむかしながらも仕方ないと諦め気分だ。

さて、数日後の夜。
夫が後ろ手に何かを隠しながら近づいてきた。こうした行動は、何か私が喜ぶものを持って来た、という彼のやりかただ。
ちょいと期待して、出された品を見て、花束で学んでいることを忘れた。

「ゲームソフトは買わないでくださいって、言ったでしょう!?」
去年のクリスマスプレゼントにゲーム機をもらってから、かなりゲームに入れ込んでいる私だ。これ以上のソフト所有は火に油を注ぐようなものだ。いったい、何を考えているんだ!
・・・・・と一瞬のうちにそんな思考をめぐらせた次の瞬間、やっちまった、と気づいた。
私は義両親たちを非難できない。
ああ、彼らに言われ続けてやるさ、「そんな無駄遣いして!」。
だが、私自身は夫にそれを言ってはならない。義両親と夫では、関係性が違うからだ。もちろん、夫を優先して大事にするのは今のところ私の人生の大きな課題だ。
ああ、間違った発言撤回不能。いや、すぐに大喜びした態度を取ったけれど・・・
うううう・・・
この作品を調べたら、初めの部分は横須賀が舞台になっているとか。
同じ神奈川県だったが、私の住まいだったところから横須賀はかなり遠かったのでどんな場所なのかほとんど知らない。
では、このゲームで知ってやろうか・・・・のめりこむのがちょいと怖い。




同居する家族はそういうもの、という理解と諦め

2019年02月21日 | 家族
義父のここ数ヶ月の変化で、ちょいと気になることがある。
食事をすするように食べるようになったんだ。日本で麺類を食べるような音がするんだ。
以前はまったくそのようなことがなかったので、老化でそのような食べ方になっていっているのだろう。

欧州人との生活で楽な部分のひとつは、同席する人々の食べ方が不快でないことだ。
身体を前のめりにしなくてもいい高さに置かれた皿から、ナイフ・フォーク・スプーンで料理を口に運ぶ方法は比較的見た目を美しく保てる方法だと思う。
日本の食卓マナーはかなり意識をしないと、あまり様にならない。
ここでも中国人たちと食事をすると、あっと驚くやり方で食べてくれるので、どきどきしてしまう。
夫の箸の使い方がちょいと危なっかしいけれど、成人してから身につけた箸使いだ。仕方がない。

義父が次第に衰えていっているのは、我々家族が静かに見守らなければならない。
「お義父さん、その吸い込むような音をさせないでください」
などと言ってはいけない。
だけど、気になって仕方がない私。いや、義母だって、夫だって気になっているだろう。
でも、だれもそれを義父に指摘しないのは、みな、老齢による仕方がないものだと認めているからだろう。

義父がこの状態で家族以外と食事を共にすれば、多少周囲を不快にさせるかもしれない。
ただ、家族以外もやはり高齢であることを気遣って、気づかないフリをしてくれる人がほとんどだろうと予想する。
若者がすするように食べたら、すぐに親やきょうだいに言われちゃうだろうな。

食事の仕方に老化を発見したのは、ちょいと私も驚きだ。
いろいろなところに衰えが出るものだな。義父が衰えないのはそのおしゃべり振りで、私も夫も彼に捕まって長々と説教されないように気をつけている。
食べ方が少々変化しただけで、生活能力のほとんどは彼の同世代より長けていることを喜ばなくてはならない。


紅茶のスパイスを買いに行ったトルコスーパーでもらった日めくりカレンダー。
もしかしたら、先月辺りまでは販売されていたのかもしれない。
トルコ語で書かれているし、紙質も製本の質もひどく悪いのでトルコ国内市場向けと思った。
よく見ると、ドイツ各地の都市の名前が印刷されている。あれ?ドイツ国内に住むトルコ人向けの品だ。
場所によって日の出、日没の時間が違うから、それによってかわってくる祈祷の時間が細かく印刷されていると理解した。
ドイツに住むトルコ人の多さを実感できるカレンダーだ。
ドイツ語がほとんど書かれていないので、日付くらいしか判別できない。二月は「SUBAT」なのだろうか。

街を歩けば、周囲の人々が交わす会話は体感90パーセントがドイツ語以外の言語だ。
トルコ語のドイツお祈り時間入りカレンダーの存在くらい、普通のことだろうなぁ。
















同居ヨメ仲間

2019年02月12日 | 家族
こんなコメントをいただいた。



明確には記されていないが、おそらくドイツ在住の方だろう。ドイツ以外の欧州、または高い可能性は中南米在住ということもありうる。南米各国は古くから各国からの移民を受け入れていて、私が在住したときもドイツ語訛りのスペイン語をときどき聞いたものだ。

「もう諦めました」
ってところに爆笑。その気持ち、よくわかるんだ。

ドイツでも二世帯住宅は数多くある。どこの国でも、住居費は生活のうえで大きな負担になることを知ってほしい。
以前は同じドイツ在住日本人仲間に「親との同居などありえない」という批判のような意見をいただいたものだ。
夫や私の経済力のなさをなじられても、それをきっかけにガンガン働いて同居解消、ってことにはなりにくい。夫はいつでもガンガン働いてきたし、私も一時期いろいろ応募しまくったが面接にまでこぎつけることがほとんどできなかった。

コメントくださったこの方も、好んで同居を選んでいるわけではなく、何らかの事情でそうなってしまったのだろう。
私の気持ちは単純に応援したくなる。
生きるうえで、さまざまな人間関係に接していくことは魂の成長を促すと思っている。
世界中の同居ヨメのみんなを励ましたい。

家事のすべては義母の支配下にあるので私はまったく覚えなくてよろしいいいご身分

2019年02月07日 | 家族
ドイツ語で簡単な日本紹介の記事を書け、と頼まれている。
すでに一週間が過ぎたが一言も書けていない。日本語だったらすぐさま書き終える自信はあるぞ。
毎日ブログで日本語文章を鍛えているものね。
ああ、どうしよう、また今日も書けない・・・無為な一日を過ごしてしまった。

外は雪景色。

こんな日にわざわざ洗濯する必要ないと思うのだが、義母の家事スケジュールに反論することは許されず。

義両親たちの古い知人の病気見舞いに持参するケーキを焼いていた。
少々焼きすぎで上の部分が香ばしくなってしまったのを粉砂糖で隠していた。

私はケーキではなくて、クッキーを食べたい、とリクエストしていた。
義母は粉を混ぜる手前まで準備して、私を呼んだ。
捏ねて、伸ばして型どり、オーブンに並べる作業を手伝わされた。
一人でやるなら楽勝のこの仕事、義母の手伝いとなると、大変だ。
捏ねる手つきや、伸ばす生地の厚さ、くっつかないよう台に振り掛ける粉の量までこまかく数十秒ごとに注意するものだからたまらない。
次回は、義母にリクエストせず、自分で全部焼こう、と決心はしてみるものの、きっと義母はしゃしゃり出てあれこれ言うだろうな・・・と思うと、買ったほうがいいっ!ってなってしまう・・・

この100年前の、義母のおばあさんから伝わるレシピのクッキー、単純で非常においしい。

ああ、ドイツ語原稿、めんどうくさい・・・
果たして、本当に書けるのだろうか・・・金をもらえる仕事じゃあないし。
ううう、どうして私はこんなに怠惰なんだ。
家事は任せっぱなし、頼まれた仕事もなかなか出来上がらない・・・



夫も義姉も早起きが苦手だから、早起きは迷惑行為の我家

2019年01月29日 | 家族
雪が降り続いている。
ウチ周辺はそんなに積もらないのが幸いかな。日常生活は普通に送ることができる。
義母は雪が降らないと昔との気候の違いに心配し、雪が続くとそれを嘆いている。まあ、単に会話の材料に天候を無意識に使っているだけと理解して聞いてやっている。

庭には猫の足跡が。

近所の飼い猫が毎日ウチの庭を探索していくんだ。その猫の縄張りなのだろう。

どちらかというと私は早起きが得意で、今でもウチで一番早く起床する。
5時に起き上がって、台所で一人でいるのは気分がいい。
上では他の三人が寝ているので完全に家の中で一人ではない。自室で一人でいるのとは違い、台所を一人で使っている快感はなかなかよろしいものだ。

義母はこの早起きの私をときどきなじるんだ。
「どうしてそんなに早く起きるのですか」
義母の息子も娘も早起きが苦手である。義姉が泊まりにくると、翌朝の彼女の起床時間が昼近くなのでいつも驚かされる。きょうだい揃って午前中に長々と眠れるのがちょいとうらやましい。
もしかしたら、私ががざがざと作業しているのがうるさいのかもしれない。寄生生活の私たち夫婦だ、この台所の支配者は義母。ああ、よくわかっているさ。

「22時に横になっても1時に目が覚めてしばらく眠れなくて、うとうとしていたら4時にまた目が覚めて布団中でじっとしていました」
と、義母はしばしば不眠に悩むことを私に説明する。
わたしにも、早く目が覚めたら布団の中で静かにしてもらいたいのか。

早起きする自由もない義両親同居生活。
まあ、仕方がない。
いろいろ言われながら今日も早起き、一人で味わう早朝のコーヒー。(最近は紅茶だけど)





そんなのもったいない。せっかく目が覚めたのだから、一人で台所にいる自由を味わいたいものだ。
わかってくれないだろうな・・・。







学歴コンプレックスは一生続く可能性が高いのを義父の言葉で確認

2019年01月08日 | 家族
高齢なのが原因とも思われる。義父との会話がなかなか難しくなってきた。
認知症が始まったとか、そういうわけではなく、私との話題を見つけにくい様子が伺われるのだ。
ときどき思い出したように「携帯電話の練習をする」と私に協力を求めるのだが、彼のやり方はまず、取扱説明書を熟読することなのでなかなか先に進まない。

私の助言など絶対に聞き入れない。「電源をずっと入れっぱなしにして、こちらから電話したり、相手からの通話を待ちましょう」
説明書を片手に、電話機を操作練習、終わるときちんと電源を切る義父。
ごくたまに、私を相手に通話の練習をするだけだ。外出時に携帯電話を持って行くことなどしない。
私も勧めない。万一、運転中に携帯電話が鳴ったら、義父は出ないにしてもひどく慌てて事故に繋がるのではないかと想像できるからだ。(電源を入れておく可能性は低いだろうが!)
このまま何もできないまま人生を終わっても大丈夫ではないか。義両親たちは携帯電話がなくても全く差しさわりがなく生活できている。
夫は携帯電話嫌いで、日本で言うLINEに相当する無料通話サービスを使っていなかった。事務所の仲間がその不便さに根を上げ、やっと1年ほど前に夫は頻繁に携帯電話を使い始めた。
使わなくては生活が成り立たない現役世代と義両親たちの年代の差だな。

何か家の備品が壊れたりしたときには義父は大活躍だ。
嬉しそうに問題解決に励む。そうした機会を与えるために、私もあちこち見回して問題点を探すのだけれど、そうしばしば壊れるものがあるわけではない。

他に、何か義父と会話できる物事は・・・と探しているうちにあっという間に数日が過ぎ、数日ろくに会話をしない状態が続いてしまう。
おしゃべりな義父の勝手なおしゃべりを聴くのも家賃と心得てはいるのだけれど、それはなるべく避けたい。

義父の設置した鳥のエサ台。

数週間前に置いたエサがそのままだ。鳥は全くやってこない。一体どうなっているのか?
雪など降っていると、すぐにエサがなくなってしまったものだが。
以前よりグレードアップして、クリスマス仕様にしたのは義父のアイデア。
いつもより熱心にやったのに、まったく鳥の役になっていない。義父を意気消沈させるできごとだろうな。

ここまで書いて気づいた。
書こうとしていたテーマが別だったってことを。

おととい、義父が嘆いていた。
「母は私の子供の頃の教育に全く興味がなかった」
と、言ったんだ。
義父の母親は教育熱心ではなかったのが残念だ、ということなのだろう。
学歴コンプレックスは一生続く。
大学へ行くことの無意味さを説く人々は今も昔も(この「昔」は先進国において戦後しばらくしてから、という昔)いるものだ。
私は単純に、大学へ通える能力と経済力があれば卒業しておいたほうがいい、と義父のように嘆く人々をみるといつも思う。

義父の子供の頃の時代は、世界の多くの家庭で「子供は家庭の労働力、老後の保障」だった。
義母など、小学生時代は家事を済ませてから学校へ行っていたそうだ。家畜の世話だったそうで、真っ黒になった爪を教師に叱られ、今でも恨みに思っているらしい。
「あなたの国は奨学金が充実していたから、西側より良かったはずよ」
と、義母は義父に言った。
ここの昔はギムナジウム進学さえ、交通手段がなかったので寮生活をしなくてはならず、そのための費用を工面できる家庭は少なかったそうな。
それと比較すると、旧東側に育った義父はほとんど無料でさまざまな学校へ行けたらしい。
とはいえ、子供の学力や進学に関しては親の意識に大きく影響していることは私も否定できない。
義父が嘆いている気持ちもわからないでもない。

義両親たちはお互い子供の頃の貧しい生活をときどき思い出しては語り合っている。
私も交えることが多い。負けじと、日本の過去の状況を伝える。
私と義両親とは世代が違うのでその貧乏経験の質は違うけれどね。
日独貧乏話合戦も面白いぞ。











クリスマスツリーは23日に飾りつけるウチ

2018年12月25日 | 家族
23日日曜日。
日曜なので、昼食はいつもより品数が多くなる。多くなるといっても日本の一般的な夕食の風景より貧しげだろう。
出来合いの冷凍物の魚棒。子供向けの商品だと思っていたら堂々大人も真面目に食べている。

質素は身を守る、というのは私も同意できる。豪勢な食事を続けるのは身体によくない。

義父が「なぜ手伝わないのか」と言ってきたので仕方なく手伝った。

クリスマスツリーの飾りつけ。

要するに義母の僕として動かなくてはならないので面白くないんだ。自主性など求められない。

下半分が取れてしまった品。

写真になるときれいだが、実物は藁のゴミをちょいと結んだだけと思われる飾り。

飾り付けの材料を観察していると、植物のようなものが多い。
プラスチック材料などなかったころはそうしたものを好んで飾ったのだろう。昔の貧しい時代でも普及し易かったのではないのだろうか。
日本の五月人形、雛人形などは一部の特権階級だけのものだったことと比較すると明らかだ。
ウチでさえ、毎年クリスマスツリーを飾ることができるのだから!





いよいよ12月、義母は出だしをちょいとしくじったっ♪

2018年12月01日 | 家族
11月28日にクリスマスマーケットが始まった。12月23日までの催し物だ。

真昼間のクリスマスマーケットの様子はなんとなく間抜けた印象だ。
暗いところに電灯が点っているところにクリスマスらしい風情がある。
または雪が降っているとか、曇天とか、冬らしい天気が似つかわしい。

街中で一番古いケーキ屋のショウウインドウ。華々しく飾られている。

クリスマスクッキー。値段の表示が無いけれど、これがまた凄まじく高い。

左はシュトーレン。これも高いのだろうな。右は普段にも売られているマフィン。
この店の菓子類はおいしいのでお勧め。

さて。下の画像の右側は、毎年りすブログを読んでいるあなたにはすぐわかるアレ。レープクーヘンだ。
日本の日本人には苦手な香辛料入りソフトクッキー、と解説していいだろうか。

義母、軽くクリスマスクッキー作りスイッチが入った。レープクーヘン作成中。
数日前、材料揃えにスーパーへ行ったところ、すでに大方売り切れていたのだとか。意気消沈しながらも、去年余った材料を使っていた。

毎日深夜帰りの夫。
私は早く就寝して早朝起床の真逆生活だ。会話は携帯電話のメッセージだけ状態が数日続いている。
さっき起床したら、りす部屋にこれが置かれていた。夫からだ。

アドベントカレンダー。外観からは化粧品入りと想像できる。

早速、一日部分を開けてみた。ボディークリームだ。
毎年、数百円の子供用チョコレート入りアドベントカレンダーを使っていた私、今年は一気にグレードアップ。嬉しいぞ。

今日も私は午前中の予定があり、夫の起床前に外出予定だ。
枕元に「Arigato」の紙片を置いていくことにしようか。

ここ10年で集まったクリスマス関連品・・・いや、リスは違うか。
本格的な飾りつけはウチではまだだ。じわじわと進んでいく。義母主導でね!



欧州版墓参りの日

2018年11月02日 | 家族
10月31日と11月1日はキリスト教関係の行事が欧州をはじめ、その移民がもたらした地域で行われているようだ。
私の住んでいる地域では11月1日には墓参りをする。
その墓地に埋葬された家族や親族が一斉に集まり、神父の説教を聴いたり讃美歌を歌ったりする。
昨今の11月1日は比較的天気がいいことが多いが、雪が降っているときにこれをやることもあるのだそう。
私が出席したのは二回目だ。
この日に墓地に他界した死者の意識や霊やそういったものがうようよ集結しているとは到底考えられないが、こうした機会に婚姻関係や子供の関係で縁のあるものたちが一同に集まるのはいいことだと思う。
近隣の人たちと軽く挨拶する義母の様子を見ていると、彼女がここで古い家の一人であることを改めて認識する。義父は「新参者」なんだ。
義両親たちの所有する墓には二人の名前が入っていて、一人は全く姓も違う人物、もう一人は義父の母親だ。父親はどういう具合か遠くに埋葬されているらしい。
周囲の墓石に刻まれた名前を見ても、姓が違うのは普通だ。
日本のような姓が一緒という観念にとらわれないのはすでに長い歴史があるのかもしれない。

さて、墓参り礼拝が終わると、毎年恒例で義母のきょうだいの家でケーキとコーヒーをいただく。
その家の前に到着したら、新たな物資が庭にそびえていた。

オーブンだ。

これでパンを焼くそうだ。
バーベキュー用具が庭に備わっているのは意味がわかるが、パンを外で焼いて何が楽しいのか、と思わず思ってしまった。
こうした伝統的な器具で焼きたいのでそうしたのだろうが、いささか凝りすぎなのでは、と感じてしまう。
きっと、激しく旨いのだろう。ああ、食べてみたーい!

テーブルの上のケーキを撮影したかったのだけれど、他家ではなかなかやりにくい。
義母が隣に座っているので、きっと「止めなさいっ」と言うだろうし。そういうわけで、テーブルの下を撮影。
義母の弟の妻が焼いたケーキは見た目がとてもきれいだった。
義母ももう少し丁寧に作業すればいいのに、と思うのだがこれも性格だろうから言ってはいけないだろう。
味は、この家のは少々激しかった。
使われていたさくらんぼは酸味が強い品種で、それを抑えるためにか砂糖を多く使っているようだった。
添えられたホイップクリームがおいしかった。ウチのようなスーパーの普及品とは違う品を使っているのだろうな、と予想。

親族8名で歓談。
驚いたことに、義母世代だけでなくティーンエイジャーからその親までバリバリのバイエルン方言で話していた。
私の夫が方言で話しているのを聞いたことはない。義姉と彼女の子供たちもだ。姪と甥はおそらく聞き取ることはできるがバイエルン方言を話せないと思う。

方言が失われている危機を新聞で報じていたけれど、ちゃんとティーンエイジャーも使っている現場を見てちょいとほっとしたり、いや、全然わからなくて疎外感を感じたりして複雑な心境。



決死の高速道路上でのタイヤ交換

2018年10月01日 | 家族
義姉宅にて、ベッド下に引き出しを作る作業をする三人。

14歳の甥、M雄の部屋だ。

シングルベッドはこの大きさが基本だ、と義母が言っていた。
ウチにある古いシングルベッドは日本のと同じ幅だ。昔と今ではベッドのサイズも違ってきているのだろうか。

こういった作業中、だんだん義父は気分が高じて怒鳴るような話し方になってくる。
それに対抗して義母も彼らの娘もガンガン言い合うものだからたまらない。
ほうきとちりとりを持ってドアの影で盗撮・・・じゃあない、待機している私は青くなるばかり。

姪のP子ちゃんの誕生日祝いに義両親と義姉宅を訪れたのだが、こうした仕事を嬉々としてやっている義両親。
P子ちゃんの誕生日プレゼント希望の品はこれだったようだ。

無印良品の品。

パッケージは日本語のみ。日本語が日本以外のどこかの国の公用語になる可能性は限りなくゼロな現在だよな、と気づかされる。

早速作動させたP子ちゃん。アロマオイルはすでにたくさん持っていた。
義父がやって来て「フン、こんな人工的な香り!」と私にしか聞こえない小声でばかにしていた。

さて、その帰り道。
義父の作業興奮が収まりきっていない状態で運転を始めたせいなのか、少々操作を誤り、前輪左側を道路真ん中の縁石か何かにぶつけたようだ。
その後数キロはなんとも無かったのだが、高速道路に入る直前に「何かおかしい」と義母が訴え始め、義父がしばらくそれを運転しながら確かめ「止まってみてみよう」と結論付けたときには高速道路に入って数キロ走っていた。
おい・・・
路肩に止めて、義父が降りて確認。
パンク。
車がすぐ左を凄まじいスピードで後ろから通り過ぎていく。
「りすは降りてはいけません」
と言われ、義母は車を下り、義父を手伝った。
またしても怒鳴りあい。
すでに日没から一時間が過ぎて真っ暗。ドイツの高速道路には一般的に照明はまったくない。
真っ暗な中、ハザードランプとあの三角の置物(なんていうんだっけ?)だけで後ろから来る車に注意を促すのは怖すぎる。
こんなときにも義両親たちは携帯電話を使うという発想は全く無く、自分たちで修理する、という考えしかない恐ろしさ!!

私が手伝ったのは、自分の携帯電話の懐中電灯機能を使って必要物資を取り出すときに照らしたり、後続車に注意を促すため点灯した携帯電話を振り回すことだった。
車が私たちめがけて突っ込んでくる可能性は低いとみた。義両親が何かの拍子に左側に倒れたら彼らの人生お終いだ。

およそ20分くらいだっただろうか。
無事にスペアタイヤ交換が終了し、再び出発した・・・。

この記事を書くために、パンクについて日本語で検索したら、どこに連絡するかというサイトばかりで笑ってしまった。
ネットのサイトは広告が基本的な発想だろうから、自然な流れであることは理解できる。
義両親たちのように、日没後の真っ暗な高速道路路肩で自分たちで作業するなんてのは、想定外だろうな。
他のドイツ人一般がどうなのかはわからない。
一般的な状況でのパンクだったら、やはり、軽々自分で直してしまうのではなかろうか。

さて翌日。
義両親たちは、前日に残した義姉宅での別の作業が気になって仕方がなかったらしく、昼近くまで眠っていた義姉を電話でたたき起こして「これから行く」と言い渡した。
おいおい。車のタイヤはまだスペアタイヤだけれど大丈夫?
まったく、義両親たちの物直しの情熱には驚かされるばかりだ。