飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

急流中底之柱即是大丈夫之心

2023年11月15日 07時37分50秒 | 歴史
幕末の志士に関係する本などを読むとふと思い出す風景がある。
その一つが、もう10年前になるが福井県を訪れた際に見た古い書箱である。
その桐製の書箱の蓋に墨で書かれている言葉が標題の言葉である。
中国古代の歴史書『書経』にある言葉をもじったものだとされている。

「急流中底之柱即是大丈夫之心」

(急流の中に立っていても流されない柱のように、激動の時代に生きようとも動揺せずに確固たる信念や生きざまを示すのが立派な人である)
これは、左内が少年時代に使っていた桐製の書箱しょそうのフタに彼が墨書きしていた言葉です。

この言葉が福井藩藩士橋本左内のものだ。
橋本 左内は、江戸時代末期(幕末)の志士、思想家、越前国福井藩藩士。
著書に15歳の時に志を記した『啓発録』(1848年)がある。
有名な話では、親友の西郷隆盛は、なくなる際にも橋本左内の手紙を肌身離さず大切に持っていたのは有名な逸話である。

橋本左内は幕末の偉人のひとりであることは間違いない。
若くして国事に奔走して、西郷隆盛からは「先輩では藤田東湖、同輩では橋本左内、このふたりだけには学問でも、考えでもとてもとても及ばない。」といわしめたほど大人物だった。
しかし、橋本左内は安政の大獄によって捉えられ26歳という若さで命を落とすこととなった。

その橋本左内先生が15歳の時に立派な人になるにはと次の五つの事柄を本気で実行しなけらばならないと考え啓発録を書いた。
その啓発録に納められている五つの事柄が次の言葉である。

1.去稚心(稚心を去る)
子どもじみた甘えを脱却せよ。
 遊びにばかり熱中し、甘いものをむさぼり食い、毎日怠けて安楽に流れる。
それも幼い子供のうちは強いて責めるほどのこともないが、学を志す十三、四にも なって、そんな気持ちが微塵でも残っていたなら、何をしても決して上達することはない。
まして天下一流の大人物になることなど程遠い。

1.振気(気を振るう)
 恥辱を知って、人に負けまいと強く決意せよ。
 気とは、負けじ魂と、恥を知り、それをくやしく思う気象のことである。
常にそうした心を持ち、その精神を奮い立たせ、緊張をゆるめず油断のないように努力しなければならない。

1.志を立つ(立志)
 自分の目標を揺ぎなく定め、ひたすら精進せよ。
 志とは自分の心が向う目標である。
 一度決心したからには、真直ぐにその方向を目指し、迷わず進まなければならない。
 聖賢豪傑になろうと決意したら、聖賢豪傑らしからぬところを日一日取り去っていけば、どんなに才能が足らず、学識の乏しい者でも、最後には聖賢豪傑の地位に到達できるはずである。
 また、志を立てる近道は、聖賢の考え方や歴史の書物を読んで、その中から深く心に響いた部分を抜書きし、壁に貼り付けたり、常用の扇にしたためておくなど、常に目に触れるところにおき、自分を省みることである。

1.学に勉む(勉学)
 優れた人物の立派な行いを見習い、実行せよ。
 学とは、本を読んで知識を吸収することだと思われがちだが、それは間違いだ。
 学問とは、優れた先人の立派な行いに習い、自分も負けるものかと努力することであり、忠義の精神を養うことである。
 どのような立場になろうとも、私心を捨て、公のために貢献しなければならない。
 次に勉とは、自己の力を出し尽くし、目的を達成するまではどこまでも続けるという意味である。
 何事によらず、強い意志を継続し、努力を続けなければ、事は成らない。

1.交友を択ぶ(択交友)
 自分の向上につながる友を択(えら)べ。
 自分と交際してくれる友人は、皆大切にしなければならない。
 しかし、飲み食いや歓楽を共にするために付き合い、馴れ合うことはよいことではない。
 学問の 講究、武芸の練習、志や精神の研究などの上で交わりを深めるべきである。
 堕落につながる交際を求める友人がいたら、正しい方向へ導くべきである。
 また、自分の過ちを遠慮なく指摘してくれる友は、時に厄介(やっかい)なものではあるが、とても大切だ。
 厳格で意志が強く正しい。
 温和で人情厚く誠実である。
 勇気があって果断である。
 才知が冴え渡っている。
 小事にとらわれず度量が広い。
 この五点を目安に友人を見定めればよい。
 小人は、他人にへつらい媚び、小利口で落ち着きがなく、軽々しくいい加減なものであるが、すぐに心安くなれるので、世間では人柄がほめられたりするものである。
 しかし、聖賢を目指そうと志す者は、彼らとは違った厳しい目を持たねばならない。

現代の15歳の子供がここまで考えるだろうかと想像すると、橋本左内の秀才ぶりがうかがえる言葉だ。
しかも、言葉だけではなくこれを実行したから大人物になれたのだ。

橋本左内は、安政の大獄により江戸幕府の将軍継嗣けいし問題に介入した件で取調べを受け、26歳の短い生涯を斬首という形で終えた。
彼の無念の思いがその辞世に残されている。

二十六年、夢の如く過ぐ
平昔(へいせき)を顧思(こし)すれば感滋(ますます)多し
天祥(てんしょう)の大節、嘗(かつて)心折(しんせつ)す
土室(どしつ)なほ吟ず、正気(せいき)の歌

(26年の私の生涯が夢のように過ぎていった。
昔のことを思い返せば、感慨深いものがある。
かつて文天祥ぶんてんしょうの大節に敬服したものであるが、
私も彼と同じように土牢の中にあって、正気せいきの歌を詠うのだ)

文天祥とは、忠節を守って敵方の勧誘を断り、刑死した中国の南宋時代末期の軍人・政治家。
牢の中で忠義を貫く心を詠った「正気の歌」で知られる。

この辞世には、死罪に処せられる彼の無念さと誇り高い生きざまが表れている。
左内は入獄から5日後の1859年10月7日に、江戸伝馬町の牢屋敷で処刑された。

saitani


 

この記事についてブログを書く
« 説明文の読解 抽象と具体 | トップ | 本当にやめた方がいいこと7選 »

歴史」カテゴリの最新記事