飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

権利至上主義 たかだか……

2024年08月08日 05時58分49秒 | 人生論
様々な文書を読んでいて、モヤモヤが晴れるときがある。
普段、なんとなく相手の言っていることがもっとものような気がするものの、納得できない。
それで本当に世の中はよくなるのだろうかと疑問に思うのである。

学校という組織も社会の価値観が変化すると共に対応の難しさが際立ってきた。
以前は、これは当然のことだから、常識だからととくに問題にもならなかったことが権利を振りかざすあまり、大きな出来事に発展することがある。
子どもを注意すること、服装や髪型、宿題の出し方、時間外の対応等、10年前とは相当様変わりしている。

ある本に次のように書かれている。

以下引用。

電車の乗る姿勢もそうである。
ふんぞり返って足を伸ばし、ゲームをやっている若者を見ると、ピンポイントでこの若者の頭の上にボーリングの玉が落ちてこないものかと思ったりする。
若者と書いたが、私が電車などで見かける彼らは実は十分、大人の男なのである。
金は払ってるんだから、と言う輩がいる。
実際、電車の中で注意して、そう言われたことがある。
私は言った。
「金を払ったから何だと君は言うんだね。」
「金を払ってるんだから、ここでどうしようとかまわんじゃないのか」
「たかだか金を払ったくらいで、好き勝手ができる場所が社会のどこにあるんだ。」
好き勝手したいなら、この車両ごと切符を買ってやれ。
いや通り抜けるおまえのような奴を目にするのは気分が悪いから列車ごと買い切ってやれ」
私は逆上すると見境がなくなる。
金で買えないものはないと堂々と言い、それを信じているバカがいる。
私に言わせると、金で買えるようなものは碌なものではあるまい、となるが、そう言っても理解できます。

「風の中に立てー伊集院静のことばー大人の流儀名言集」

「たかだか金を払ったくらいで、好き勝手ができる場所が社会のどこにあるんだ。」
金さえ払えば何もしてもいいと多くの人間が思っている。
だから、飲食店での理不尽なクレームや暴言を平気ではく。
些細なミスをとりあげて、必要以上の謝罪を要求する。
そんなことが日常茶飯事でおきている。

そんな感情や考え方で、学校に理不尽な要求をし、謝罪をしてもいつまでも納得しないケースが増えている。
今までのやり方が通用しなくなったことの要因もここにある。

「たかだか……」この言葉は自分のもやもや感を払拭してくれる言葉だ。

saitani