飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」「万里一空」「雲外蒼天」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

友達

2008年11月23日 17時03分21秒 | 授業論
「最近の子どもたちは昔と違いますか?」
こんな質問をよくされる。
「子ども自体は今も昔も変わらないと思います。
 ただ、昔と今とは前提が根本的に違います。
 環境に左右されるのが人間ですから、当然、環境によって良くも悪しくも影響を受ける子どもたちは変化します。
 そういう点では違うと言うべきかもしれません。」
私は、こんな風に答える。

子どもたちは自己中心的になっています。
全員ではありませんが、割合の問題で増えていることは事実です。
他人よりもまず自分です。
物事の善悪もきちんと躾けられていないことも事実です。
子どもたちは何度も言うように育てたように成長します。
すべては大人の責任です。

友達に対する考え方も変化しています。
以前、道徳の授業で「友達」という詩を扱いました。
こんな風に表現されています。

「困った時、助けてくれたり 、自分の事のように心配して、相談に乗ってくれる、そんな友人が欲しい」
みんなもそんな友達を作りましょう。
見つけましょう。
そんな感じで授業を終えることも可能でした。
しかし、今はそのあとにこんな風に我が身を振りかえさせる必要があるように思う。
これはビートたけしさんの言葉だそうだが。

「馬鹿野郎、友達が欲しかったら、困った時助けてやり、相談に乗り、心配してやる事だ。
 そして相手に何も期待しない事。
 それが友人を作る秘訣だ」

授業の展開も時代とともに変化させる必要があるのかもしれない。

saitaini


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教師の価値観

2008年11月09日 17時00分02秒 | 教育論
教育界には、常識といわれるものや当たり前と考えられている前提が存在する。
もちろん正しいものをあるが、誤解されているものもある。
例えば、「子どもたちに価値観を押しつけてはならない」という方針である。
もし、この方針をきちんと守ったら学級の指導は成り立たなくなってしうのではないだろうか。
人の教えや考え方を学ばずして成長はあるのだろうか。

ただ、歴史上、師はもたなかったと言われる人物もいる。

それは生涯、剣の道において師をもたなかったと言われる宮本武蔵くらいだろう。
ただ、宮本武蔵も自分以外は皆師と考えて、自然界に存在する様々なことがらから多くの学んだという。

北京オリンピックで金メダル2個を獲得した北島康介選手。
かれには中学校時代から指導を受けた平井コーチがいた。

平井伯昌コーチの言葉。
「康介が大勢の中からぬきんでていたのは『素直さ』だ。
 康介はコーチの言うことをよく聞いた。
 個性や応用力は基礎があってこそ育つ。
 子ども時代の才能がつぶれるのは、多くの場合、応用から入って基礎のもどらないからだ。
 一流選手の素質は『素直さ』、コーチの資質は『素直好き』に尽きる」

栄光を勝ち取った選手に共通するのは、師と価値観を共有し、ひたすら毎日の努力を惜しまなかったことである。

今の教育の中で常識となっていることがらにも疑問を感じることが多くある。
それは自分が肌で感じてきた子どもたちの成長と照らし合わせてみるとどうしても矛盾が生じてしまうのである。

教育の方法は様々でいい。
しかし、大事なのは子どもの事実である。
「子どもに価値観を押しつけない」で大きく子どもたちが成長した学級を私はみたことがない。
私の見識の狭さが原因なのかもしれないが。
子どもの自主性を育てるという最終的な目的のためには前段階としてどうしても価値観の押しつけが必要となる段階があるというのが私の実感ある。
ようするに基礎力の上に応用力や発展して課題が存在するいうことである。

全ての場面での価値観の押しつけは私も反対だが、指導や教育には「子どもたちに価値観を押しつけない」という考え方はそぐわない気がする。

今、教育では「教えるべきことは教える」という考えや「教えて考えさせる」という方針が見直されてきている。
「教える」ことや「自らの価値観」を子どもたちにぶつけて問うことに躊躇してはいけない時代だと思う。

saitani

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