高校野球も県決勝が行われ、甲子園へとこまを進める高校が決定した。
その試合を見ていて気がついたことがある。
それは選手に笑顔が多く、非常にリラックスしているように思えることだ。
この笑顔は、緊張感のないよどんだ空気を生み出すような表情ではなく、心の底から野球を楽しんでいるという心が伝わってくるような表情に見える。
一昔前までは、試合中に笑うと言うことは許されなかった。
どんな理由であれ、笑うという行為は緊張感のない不真面目な行動とされた。
しかし、今は違う。
むしろ緊張はほぐすためには意識して笑顔になった方がいいとも言われている。
「勝利への旅立ち」という映画がある。
原題はフージャーズ(HOOSIERS)という名前がついている。
これはインディアナ州の住人の俗称だそうだ。
内容は、田舎町のバスケット・チームが州選手権の決勝まで勝ち進むというサクセスストーリーだ。
この映画のシーンにさまざま指導者として選手に対してどうあるべきか考えさせられる場面がある。
例えば、地元の狭い体育館で練習を積んできた選手たちが、決勝試合の行われるスタジアムに最初に入ったときに、ジーン・ハックマン扮するノーマンコーチが、メジャーで選手たちにゴールポストまでの距離と高さを測らせるというエピソードがでてくる。
当然、その値はいつもの体育館のものと変わらないわけだが、初めての大スタジアムに圧倒され、自分達を小さく感じがちの選手たちに、いつもの自分達のまま臨めばいいことを無言で伝えるシーンである。
選手に「緊張するな。いつも通りにやれ。」と言っても全く意味のない指示である。
指導者ならば、具体的行動で選手に自分の意図を伝えなければならない。
理念や目的をそのまま言葉だけで伝えようとする指導者はアマである。
試合前のロッカールーム。
コーチは、選手にこの数ヶ月自分についてきてくれたことを感謝した。
そして、「何か言いたいことは?」と選手に問う。
ある選手は、地方高のプライドをかけて戦うと言った。
また、ある選手は「父親のために戦う。」と答えた。
そして、全員一致した考えはコーチのために戦うという気持ちだった。
州大会決勝ラストゲーム。
試合のこり時間はあと19秒。
マイボールの場面。
コーチは、作戦を告げる。
それまで得点のほとんどを入れてきたビリーをダミーにして、他の選手に決めのシュートを打たせるというものだ。
これは作戦としては正しいだろう。
しかし、それまで素直にコーチの指示にしたがってきた選手達は返事をしない。
その表情は反抗的なものではなく、何かをコーチに訴えかけているようだった。
最後の大事な場面では自分たちに判断をまかせてほしい。
ビリーに最後のシュートは打たせたいと誰もが考えていた。
ビリーも自ら「自分がやります。」と言った。
自分たちで決めて、自分たちで責任をとる。
そういうチームになったからこそ、在校生64名の高校が、2800名もいる高校に勝つことができたのだと私は思う。
教えるべきことを教えた後は、選手に任せる。
そういうチームこそ本当の強さを発揮する。
(saitani)