飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

ただマイヨジョーヌのためでなく 5 end

2024年02月29日 13時05分59秒 | 自転車
ガンからの再生で学んだのは、絶望の叫びが終わり、自暴自棄と危機が去り、病気の事実を受け入れ、健康が戻ってきたことを祝った後には、以前と変わらぬ日常と習慣があるがあるということだ。
朝、目的を持って髭を剃り、仕事に行き、妻を愛し、子供を育てる。
こうしたことは日々をつなく糸であり、「生活」と言う語に相応しい。



人生は長いー
願わくはそうあってほしい。
しかし、「長い」というのは相対的な概念だ。
上り坂を一足一足、ペダルを漕いで上っている時には、1分が1ヶ月にも思える。
だからツールドフランスほど、長いものはないように思える。
どれくらい長いかって?
はるか彼方まで続く道路のガードレールは、かすかに揺らめく、陽炎とも見紛い、乾き切った夏の牧草地は柵もなく見渡す限り続き、ピレネー山脈の氷で覆われた鋸の歯のような頂からは、三つの国が眼下に望める。
ツールドフランスの道はそれほど長く、遠い。



僕は表彰台に導かれた。
トロフィーが渡された後、僕はそれを高く上げた。
それ以上は自分を抑えていられず、台から飛び降りてスダンなどに駆け寄り、キークを抱きしめた。
カメラマンが僕を取り囲んだ。
「母さんはどこ?」
群衆が分かれ、母が見えた。
僕は母を強く抱いた。
記者が母の周りに群れ集まり、誰かが、息子さんに勝ち目があると思っていましたか、と訊いた。
「ランスの人生はいつも、勝ち目のない戦いを戦うことでした」。
母は答えた。


最後にフィニッシュラインの所に戻り、僕は涙を懸命に堪えながら、記者たちに話した。
「信じられない。
 本当に。
 すごいショックです。
 僕が言いたいことはただ一つ。
 もし人生で二度目のチャンスを与えられたら、徹底的にやり抜くことです。」


僕たちはメッス以来初めて、シャンパンのグラスを手に持ち、僕はチームメイトのために乾杯の音頭をとった。
「僕はマイヨ・ジョーヌを着ました。
 でもあのジャージの中で僕のものはファスナーだけだと思います。
 ジャージの中の本の小さな部分です。
 残りはチームメイトのものです。
 袖も前見頃も後ろ見頃も」




本当の話、ツールドフランスでの優勝とガンのどちらを選ぶか、と訊かれたら、僕はガンを選ぶ。
奇妙に聞こえるかもしれないが、僕はツールドフランス優勝者と言われるよりは、ガン生還者の肩書きの方を選ぶ。
それは、ガンが、人間として、男として、夫として、息子として、父親としての僕に、かけがえのないものを与えてくれたからだ。




小さな酸素マスクが息子の顔に当てられ、酸素吸入が行われていた。
泣いてくれ。
お願いだ。
お願いだ。
泣いてくれ。
僕は全身が硬くなった。
あの瞬間、僕は赤ん坊の鳴き声を聞くためなら、なんでもしただろう。
どんなことでも。
それまで僕の知っていた恐怖など、あの分娩室での恐怖に比べれば何でもなかった。
ガンの診断を受けた時、僕は恐怖を感じた。
そして、治療の最中も怖かった。
でも赤ん坊が連れ去られたあの時とでは、比較にならなかった。
自分が本当に無力だと感じた。
なぜなら今病気なのは、僕以外の人間ー僕の息子なのだ。



もし子供達が、治癒率といった数字にとらわれない能力を持っているなら、きっと僕たちはみんな、子供から学ぶことができるだろう。
そう考えれば、勇気を持ち、希望を持って闘う以外に道はない。
僕たちは医学的にも精神的にも、二つの選択肢がある。
諦めるか、死にもの狂いで闘うか。


もしも負けたら?
もし再発し、ガンが戻ってきたらどうなのか?
それでも闘う中で、きっと得るものはあると思う。
なぜなら残された時間の中で、僕はより完全で思いやりがあり、知的な人間を目指して努力することで、もっと生き生きと生きられるだろうからだ。
病気が僕に教えてくれたことの中で、確信を持って言えることがある。
それは、僕たちは自分が思っているより、ずっと素晴らしい人間だと言うことだ。
危機に陥らなければ現れないような、自分でも意識していないような能力があるのだ。
それは僕の運動選手としての経験でも得られなかったものだ。
だから、もし、ガンのような苦痛に満ちた体験に目的があるとしたら、こういうことだと思う。
それは僕たちを向上させるtがめのものなのだ。


僕はガンは死の一つの形ではないと確信を持って言える。
それは生きることの一部なのだ。
寛解の時期にあったある午後、ガンは戻ってくるだろうか、とぼんやり考えていた時、僕はがん(cancer)の頭文字で標語を作ってみた。
勇気 courage
心構え attitude
諦めない never give up
治癒は可能 durability
知識を深める enlightenment
仲間の患者を忘れない remembrance of my fellow patients



あるときニコルズ医師に、なぜがん科医の道を選んだのか、と聞いたことがある。
困難でひどく辛いことが多い仕事だろうに。
「多分君と同じ理由からだよ」
彼はある意味ではガンは病気のツールドフランスなのだと言った。
「ガンの重荷はあまりに大きい。
 けれど他にこれほど挑戦のしがいのあるものがあるだろうか。
 ガンが希望を失わせるものであり、悲しむべきものであることは確かだ。
 それでも、力及ば治すことができなくても、助けて上げることはできる。
 最終的に回復には至らなくても、少なくても病気をコントロールするのを助けることはできる。
 人と繋がっていられるんだ。
 どんな仕事よりも、ガン科医には人間らしい瞬間がある。
 慣れることは決してないだろうけど、でも、病気と闘う人たちを心から受け入れ、人の強さを心から素晴らしいと思えるようになるんだ。」



「君はまだわからないだろうけど、僕たちは幸運な人間なんだ。」
ガン患者が前に僕に書いてきた言葉だ。


未来に希望が見出せず、憂鬱な気分に沈む時、人間の本質が浅ましく思える時、僕は運転免許証を取り出し、その写真を見る。
そして、ラトリーヌ・ヘイリー、スコット・シャピロ、クレイグ・ニコルズ、ローレンス・アインホーン、シリアルの形に興味があったあの小さい男の子のことを思う。
そして、僕の息子、僕の第二の人生の目に見える姿、僕に自己以外の目的を与えてくれた息子のことを思う。


今年のツールでの総合優勝をほぼ手中に収めた時、一人の記者が訊いた。
「もうガンについては話し飽きたんじゃないですか?」
これに対し、アームストロングはこう答えている。
「全然。
 僕の人生にとって、ガンは家族と同じくらい意味のあるものなんだ。
 自転車はその次さ。」
彼は、これからも走り続けるだろう。
苦しみと闘い、困難な上り坂を
上っていくことが自分の人生なのだ、と思い定めて。
そして、「ガンこそ自分の人生に与えられた最良のものだ」と言うメッセージを伝えるために。



Saitani













ただ、マイヨジョーヌのためでなく 4

2024年02月26日 14時18分20秒 | 自転車
僕は写真に撮っておきたかったんだ。
良くなっても病気だった時の事を決して忘れないようにね。
闘わなきゃだめだ。


僕はウルフに自分の感じている事を話した。
彼は「あなたはこのタイプの病気にかかることを、運命付けられていたのだと思いますよ。」といった。
「一つには、きっとあなたがそれを克服することができるから。
 もう一つは、あなたの人間としての可能性は、ただの自転車選手でいるよりはもっと大きいものだからです。」


病気だった時、僕は自分に言い聞かせた。
二度と悪態はつくまい。
二度と酒は飲むまい。
二度と短期は起こすまい。
人から是非とも会いたいと思われるような、素晴らしい人物になろう。
しかし、人生は切れ目なく続いている。
物事は失せる。
そのうちに酒も飲めば、悪態もつくようになる。


どうやって再び、日常生活の世界に戻るのか。
ガン以後、それは僕にとって大きな問題だった。
そして古くからの格言「一日1日を最後の日だと思って過ごしなさい。」
という言葉は、何の役にも立たなかった。
言いたいことはわかるが、実際にはそうは行かない。
もし、「今」しか生きられないのだったら、僕は愛想はいいけど無責任はいつも無精髭を生やしているような、だらしない男になっていただろう。


棄権しようと決めたのは、体調とは何の関係もなかった。
体は元気だった。
ただあそこにいたくなかったのだ。
僕はあんな寒さと苦痛の中を自転車で走ることが、果たして残された人生で自分がしたいことなのかどうか、わからなかった。


登り続けていく間に、僕には自分の人生の全体が見えた。
僕のこれまでの生き様と僕に与えられて賜物、そしてその目的も。
それは単純なことだった。
「僕の人生は長く辛い上り坂を上るためにある」



僕はこの山でも残りの日々を、美しく静かで気高さに満ちた山々に対する、崇敬にも似た感情を抱いて過ごした。
自転車に乗ることは過酷で単調だったが、自転車への純粋な愛を感じ、ついにはブーンは僕にとっての聖地のような気がしてきた。
僕はここに巡礼の旅をしにきたのだ。
僕がまた再び深刻な問題を抱えた時には、ブーンに戻れば答えが見つかるだろう。
僕はここで自転車に乗ることにより、僕に人生を取り戻したのだ。


Saitani

ただマイヨジョーヌのためでなく 3

2024年02月23日 09時38分32秒 | 自転車
がんだというのに、どうして自転車に乗ったのだろう。
自転車に乗ることはとてもハードでその苦しさたるや言葉では言えない。
しかしだからこそ、全てを洗い清めてくれるのだ。
出発する時には両肩にずっしり重荷を負っていても、5時間も苦痛の限界まで走り続ければ気持ちが安らかになる。
苦痛があまりに深く強いため、遮断幕が脳に降りてくるのだ。
そして少なくともしばらくの間は、自分の問題をクヨクヨ考える必要がなくなる。
肉体的苦闘とその後の疲労が極限に達すると、他の一方は締め出されてしまう。



過酷であればあるほど、考える余裕はなくなる。
考えないことの単純さがある。
だから「世界的運動選手は皆何かから逃げている」というい説には幾分の真理があるのだろう。
ある時、「自転車にそれほど長く乗ることに、どんな楽しみがあるのですか」と聞かれたことがある。
僕は答えた。
「楽しみ?質問の意味がわからないよ」。
僕は楽しみのために自転車に乗っているのではない。
苦しむために乗っているのだ。

脳手術の晩、僕は死について考えた。
僕は自分のいちばん重要な価値観とは何かを探り、自分に問うてみた。
もし死ぬのであれば、徹底抗戦してして死ぬのか、それとも静かに降伏するのか。
自分のどんな面を人に見せて死にたいのか。
自分に満足しているのか。
これまで人生で何をしてきたのか。
僕は本質的には良い人間だと思う。
もちろんもっと良くもなれたが。
でもそれと同時に、がんはどそんなことをまったく気にしないこともわかっていた。


僕は信念と科学の間の、どこに線を引けばいいのかわからない。
でもこれくらいはわかっている。
僕は信じることを信じる。
そのすばらしさゆえに。
どこを見渡しても希望のかけらも見えないときに、あらゆる証拠が自分に不利なときに、信じること、明らかな悲劇的終末を無すること
それ以外にどんな選択があるというのか。
僕たちは毎日信じることで生きている。
僕たちは自分で考えているよりずっと強いのだ。
そして信じることこそ、もっとも雄雄しい、人類が太古からもっていた、人としての特質なのでだ。
人間は、この人生の短さを救う良薬にはないし、死ぬべき運命に対する根本的な治療法もないのを知っている。
そんなとき、信じることは勇気一つの形だ。


自分自身を信じ続けること、医師を信じること、治療を信じること、自分が信じると決めたことを信じること、これが一番大切なことなのだ。
そうなのだ。
信じることがなければ、僕たちは毎日、圧倒されるような運命の中に、素手で置き去りにされているようなものだ。
そうなれば運命を僕たちは打ち砕くだろう。
世にはびこる負の力に対し、僕たちはどうやって闘うのか、じわじわと忍び寄る、冷笑的態度シニシズムに、毎日どうやって立ち向かうのか。

saitani





心震わす ピカソの30秒

2024年01月13日 12時32分23秒 | 自転車
「心震わす」ピカソの30秒という逸話がある。
これは創作のお話だが、ある意味大切な教訓を語っている。
このようなエピソードだ。

ある日、ピカソが市場を歩いていると一枚の紙をもった見知らぬ女性が話しかけてきた。
彼女は「私はあなたの大ファンなんです。
    この紙に一つ絵を描いてくれませんか?」
と言った。
ピカソは微笑みたった30秒ほどで、小さいながらも美しい絵を描き上げた。
婦人は喜び、いくらなら絵を譲ってもらえるか尋ねた。ピカソはこう言った。
「この絵の価格は100万ドルです。」
婦人は驚き、高すぎると言った。
たった30秒で描いた絵が、どうして100万ドルもするのか尋ねた。
するとピカソは微笑みながらこう答えた。
「30秒で描いたこの絵には、30年磨き続けた技術と感性が宿っているんだよ。
 30秒で読める文章は、30秒では書けない。
 5分で聴ける曲は5分でつくれない。
 3分で食べられるもの 3分で作れない。
 一瞬で見れる絵画は一瞬では描けないことを忘れてはならない。
 一流の人が楽々とこなした仕事は彼らの日々の努力と経験の上に成り立っているということを忘れてはならないのだ。」

ある作品や技術、着眼点、見識には多くの時間とコストと努力がその裏にあることを忘れてならない。
その想像力のない人間は、不遜な態度をとり、失礼な言動を平気でするようになる。
そして、相手の意図に思いを巡らすことなく、「何も教えてくれない」「態度がおうへい」なんてことを言い出す。
考えが足りないのは自分にもかかわらず。

ある野球選手は、若手が「カーブの投げ方を教えてください」とお願いすると「金をもってこい」と言ったそうだ。
言い方は乱暴だが、その選手がカーブを習得するまでには、多くの時間と労力がかかっているのだ。
それを無視して教えてくださいというのはあまりに非常識とも言える。

教育界は、子どものためになることは共有財産として広めていくという不文律がある。
だから、多くの研究会で優れた方法や先進的な技術が公開される。
それは医学の世界と一緒だ。
優れた術式を確立した医師は、その技術によって多くの患者を救おうとする。
そのために全世界を飛び回り、その技術を公開し伝えようとする。
しかし、その裏には寝食を忘れ、多くのことを犠牲にしてきた過程がある事を忘れてはならない。
その気持ちをあれば、自然と謙虚になり、人に教えを請うとはどういうことで、どういう態度でなければならないかが自然と理解できる。
だから、成長できる教師は、誰から教えられなくても謙虚で素直になるのである。

saitani