菜根譚(洪自誠)の言葉。
山林泉石の間に徜徉(しょうよう)して、塵心漸く息み、詩書図画の内に夷猶して、俗気潜かに消ゆ。
故に君子は物を玩びて志を喪わずと雖も、亦た常に境を借りて心を調う。(後集四五)
意味は次の通り。
山や林、泉や石といった自然の中を散歩して、世俗の塵にまみれた心はようやく消え去り、一方で、詩書や絵画といった趣味の中にゆったりと遊んで、世俗の気質も消えていく。
だから、君子たるものは、外物に気を取られて心を失ってはならないが、一方では、常に外境を借りて心を調える必要がある。
最近は、空前のキャンプばやりである。
アウトドア商品は売れ、You Tubeでもキャンプ動画は人気である。
人は何故、キャンプをするのだろう。
この言葉にあたったときに一つの考え方が浮かんだ。
人が旅行やキャンプいくときにはその多くは非日常性を求める事が多い。
そこには日常の人間関係の煩わしさもなく、時間的なしばりも誰からから呼び出されることもない。
こういった中で、精神が開放され、世俗の塵も僅かではあるが落とせると感じるのではないだろうか。
saitani
山林泉石の間に徜徉(しょうよう)して、塵心漸く息み、詩書図画の内に夷猶して、俗気潜かに消ゆ。
故に君子は物を玩びて志を喪わずと雖も、亦た常に境を借りて心を調う。(後集四五)
意味は次の通り。
山や林、泉や石といった自然の中を散歩して、世俗の塵にまみれた心はようやく消え去り、一方で、詩書や絵画といった趣味の中にゆったりと遊んで、世俗の気質も消えていく。
だから、君子たるものは、外物に気を取られて心を失ってはならないが、一方では、常に外境を借りて心を調える必要がある。
最近は、空前のキャンプばやりである。
アウトドア商品は売れ、You Tubeでもキャンプ動画は人気である。
人は何故、キャンプをするのだろう。
この言葉にあたったときに一つの考え方が浮かんだ。
人が旅行やキャンプいくときにはその多くは非日常性を求める事が多い。
そこには日常の人間関係の煩わしさもなく、時間的なしばりも誰からから呼び出されることもない。
こういった中で、精神が開放され、世俗の塵も僅かではあるが落とせると感じるのではないだろうか。
saitani