飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

FOOTPRINT

2013年07月28日 16時43分50秒 | 教育論
学校も夏休みに入った。
久しぶりに図書館へ行くと、様々な人たちが読書をしたり、勉強したりしている。
夏休みも後半を過ぎると自習するスペースも朝からいっぱいという感じになるのだろうが、まだ、学生も余裕なのだろう。

学生と社会人の資格取得の勉強と半分くらいである。

自分もじっくりと読書や思考をまとめたいときには図書室は最適な場所だ。
コーヒーショップやマクドナルドで勉強したり、仕事をしている人を東京ではよく見かける。
どうも今のところ、私は落ち使い感じがする。

さて、少し余裕があるのでこれまでのブログの更新記録について振り返ってみたいと思う。

このブログを始めたのは、8年前の「2005年4月16日」である。
足掛け8年目である。
途中、だいぶ更新をさぼってしまった時期もあるが、なんとか続いている。
まあ、自分の備忘録みたいなものなので、マイペースで続けていくつもりだ。

更新回数は385件。
まもなく400件になる。

あせらず、弛まず、怠らず、今後も継続していく。

saitani

プレゼンテーション スライド作りの基本1

2013年07月28日 16時16分24秒 | ICT
仕事柄、パワーポイントを使って、プレゼンテーションや授業の資料、教材を作ることが多い。
ある程度、回数を重ねてくると基本的なルールみたいなものがわかってくる。
その多くは人に指摘されたり、自分が他の人のプレゼンをみていて気づいたりすることが多い。

しかし、改めて基本は何?と聞かれると少し困ってしまう。
改めて、ここで整理してみようと思う。

1 1枚のスライドに入れる行数は最大6行
 
 プレゼンのスライドを見ていると、字が小さくて読めないことが多い。
 プレゼンターは、親切心でわかりやすくと考えてのことだと思うが、聞く側からすると、情報は最小限度にと思う。
 配布資料でなければ、意味がわからず、画面をみずに資料だけをみているということも多々ある。
 
2 スライドに使う文字の種類中太のゴシック系フォント

3 スライドに使う文字の大きさは20~30ポイント程度

saitani

思いつきとひらめき

2013年07月28日 11時41分22秒 | 教育論
思いつきとひらめき、この言葉は似ているようで似ていない。
思いつきは、考えに経験や知識と言った根がなく、薄っぺらなハリボテのようなもので、ちょっと揺すったり、押したりすると壊れたり倒れたりするもの。
それに対して、ひらめきは、思考の奥深く無意識の連続した中から出てきるアイディアである。
その証拠に、思いつきは実現不可能だが、ひらめきは革新的で、実現可能な考えである。

意識の植えで、経験と知識を総動員して、考えて、考えて、考え抜いて、無意識の中までもアイディアを醸成させ、再び意識の中に出てくる。
これがひらめきである。

saitani

熊沢蕃山の言葉

2013年07月27日 12時44分47秒 | 歴史
人の誣(し)うる逆らわず、己が信ならざるを思え
(人からありもしないことを言われようとも、反論などをせず、自分にまだ信用がないことを反省せよ)

人は咎むとも咎めじ、人は怒るとも怒らじ、怒りと欲を捨ててこそ常に心は楽しめ
(人がうらんでも自分はうらむまい。ひとが怒ろうとも、自分は怒るまい。怒りと欲を捨ててしまうことで、常に心は、平穏で楽しめるものだ)

saitani

武士道 死生観

2013年07月27日 11時58分06秒 | 歴史
あらゆる危険を冒し、自らの命を投げ出して、死ぬようなことが勇気と勘違いすることがある。
このような無謀な行為が不当に賞賛されるときもあった。
しかし、武士道においては、死に値しないことで死ぬことは「犬死に」と軽蔑された。

徳川光圀も言っている、
戦場に飛び込み死ぬのは簡単であって誰でもできることだ。
生きるべきときに生き、死ぬべきときに死ぬのが、真の勇なのである。

蛤御門の変で、幕府軍に追いつめられ、鷹司邸で自刃した長州藩士久坂玄瑞も、死に際に、これは犬死になのかと述懐している。
行動の規範が武士道にあったのではないか。

プラトンの言葉。
恐るべきことと、恐るべきではないことを判別できること。

これが勇気。

この考え方は、吉田松陰の死生観に非常に良く似ている。
日本の歴史の中で培われてきた武士道の考え方は、不変のものがあることを実感する。

saitani

健康の三原則

2013年07月20日 14時33分01秒 | 教育論
安岡正篤師の言葉。

一 心中常に喜神を含む どんなことにあっても心の奥深いところにいつも喜ぶ心をもつ
二 心中絶えず感謝の念を含む
三 常に陰徳を志す

その生を楽しみその寿を保つ

ドイツの大文豪ゲーテ 処世のおきて

済んだことをくよくよせぬこと
滅多なことに腹を立てぬこと
いつも現在を楽しむこと
とりわけ人を憎まぬこと
未来を神にまかせること

saitani

ワールドカフェ方式

2013年07月20日 06時16分57秒 | 授業論
先日の研修で「ワールドカフェ」という方式を初めて知った。
慣れるまでは、躊躇してしまう感じもするが、授業の展開の中で活用できる。

例えば、算数での展開。
問題解決の場面で。


  1 どのようにすれば解けるか見通しを立てる。
  2 グループで意見交換し,画用紙にまとめる。
  3 各グループに説明係を1名残し,他の子は自由に全体を見て回る。
   ・新しい発見(自分たちとちがう解き方)を探す。
   ・よくわからないところは質問する。
   ・説明係は質問に答える。
  4 席にもどり,説明係はどんな質問があり,どのように答えたかを報告する。
    また,他のグループを見て回った子は新しい発見を報告する。 
  5 4をもとに問題を解く。

このワールドカフェの成り立ちの調べてみると次のようだった。 

ワールド・カフェとは,Juanita Brown(アニータ・ブラウン)とDavid Isaacs(デイビ
ッド・アイザックス)によって,1995年に開発・提唱された。
きっかけとなったのは,彼らが当時,世界的に関心が高まっていた知的資本経営に関する
リーダーたちを自宅に招き,話し合いの場作りを行ったことにある。
集まったゲストがリラックスしてオープンな話し合いを行えるよう『カフェ』のような空
間を演出した。
その結果,想像できないほど多くの知識や洞察が生まれたことに感銘を受けた2人が,そ
の経験から主体性と創造性を高める話し合いのエッセンスを抽出してまとめたのがワール
ド・カフェである。

ワールド・カフェでは,リラックスした雰囲気の中,少人数に分けたテーブルで自由な対
話を行い,ときどき他のテーブルのメンバーとシャッフルして対話を続けながら,参加する
全員の意見や知識を集めることのできる会議手法の一つである。

<ワールドカフェの効果>
1.発言しやすい
  ワールド・カフェは,少人数での対話なので,発言しやすく,ひとりの発言の機会も多く与えられる
2.参加者全員の意見が集まる
  ラウンドごとにシャッフルすることにより,大人数でも多くの人との意見や知識の共有ができる
3.共感が生まれる
  ワールド・カフェの参加者の中に,共通性を見出したり共感が生まれたりする。これにより,親しみや信頼を生み出すこともできる
<ワールドカフェのやり方>
1.準備
 ・4~5人でグループを作り,テーブルに座る
 ・テーブルの上にはテーブルクロスに見立てた模造紙と各自1本ずつのペン
2.カフェトーク・ラウンド
 ・1ラウンドおおよそ20分で,トピックにそってカフェ的にリラックスした会話を楽しむ
 ・会話しながら,出たアイデアとか言葉をそれぞれが自由に模造紙に書く
 ・1ラウンドが終わるころにテーブルに残る人(ホスト)を決め,その場に残し,それ以外の参加者は別のテーブルへ移動
 ・残ったホストが自分のテーブルで話された内容を新しいメンバーに説明。さらに会話を深める
 ・ラウンドを2~3ラウンド繰り返す
3.最終ラウンド
 ・最終ラウンドで,全員が最初のテーブルへもどる
 ・別のテーブルで得られた気付きや理解を交換し,さらに全体でもシェアをする

試してみると面白い。
新しい話し合いの一方法になるかもしれない。

saitani

名言集

2013年07月08日 18時45分34秒 | 教育論
名言

人生、どうなるかなんて誰にも分からない。
絶望の状況にあっても人間、諦めないことです

あなたが人生に絶望しても、人生はあなたに絶望していない

人生は四季を巡る

2013年07月06日 16時21分09秒 | 教育論
吉田松陰の留魂録にある言葉。

もうすぐこの世を去るというのに、
こんなにおだやかな気持ちでいられるのは、
春夏秋冬、四季の移り変わりのことを考えていたからです。

春に種をまいて、夏に苗を植え、
秋に刈り取り、冬がくれば貯蔵する。
春と夏にがんばった分、
秋がくるとの農民は酒をつくって、
なんなら甘酒なんかもつくって、
収穫を祝い、どの村でも歓喜の声があふれます。
収穫期がやってきて、
きつい仕事がようやく終わった。
そんあときに、悲しみ人なんていないでしょう。

私は三十歳で人生を終えようとしています。
いまだ、なにひとつできたことはありません。
このまま死ぬのは惜しいです。
がんばって働いたけれど、
なにも花を咲かせず、実をつけなかった。

ですが、私自身のことを考えれば、
やっぱり実りを迎える時期がきたと思うんです。

農業は1年で一回りしますが、
人の寿命というものは決まっていません。
その人にふさわしい春夏秋冬みたいなものが、
あるような気がするんです。
百歳で死ぬ人は百歳なりの四季が、
三十歳で死ぬ人は三十歳なりの四季があるということ。
つまり、三十歳で短すぎるというなら、
夏の蝉と比べて、ご神木寿命が長すぎる
というのと似たようなものじゃないかと思います。

私は三十歳で、四季を終えました。
私の実りが熟れた実なのか、
モミガラなのかはわかりません。
ですが、もしあなたたちの中に、
私のささやかな志を受け継いでやろう
という気概のある方がいたら、
これほどうれしいことはありません。
いつか皆で収穫を祝いましょう。

その光景を夢に見ながら、私はもういくことにします。

吉田松陰の死生観がよく表れている言葉である。



達人の言葉

2013年07月05日 23時43分10秒 | 教育論
ドイツの文豪ゲーテの言葉である。
人生を楽しみ、天命を全うするための秘訣。
処世のおきてと題し、気持ちのよい生活を作ろうと思うならと前置きをして、残した言葉。

済んだことをくよくよせぬこと
滅多なことで腹を立てぬこと
いつも現在を楽しむこと
とりわけ人を憎まぬこと
未来を神にまかせること

言葉はシンプルだが、非常に奥が深い。

saitani