飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

本田宗一郎の言葉

2014年06月29日 10時34分39秒 | 人生論
CMでも有名になった言葉である。

「負けるもんか」
がんばっていれば、いつか報われる。
持ち続ければ、夢はかなう。
そんなの幻想だ。
たいてい、努力は報われない。
たいてい、正義は勝てやしない。
たいてい、夢はかなわない。
そんなこと、
現実の世の中ではよくあることだ。
けれど、それがどうした?
スタートはそこからだ。
新しいことをやれば、必ずしくじる。
腹が立つ。
だから、寝る時間、食う時間を惜しんで、
何度でもやる。
さあ、きのうまでの自分を超えろ。
きのうまでのホンダを超えろ。

「枠にはまるな」
自分の限界を、
自分で決めていないか。
過去の常識にしばられていないか。
本来、人間は自由な存在だ。
自由であるはずの人間が、
自ら自由を手放してどうする。
しょせん限界も常識も過去のもの。
自由な想像を邪魔する過去など、
忘れてしまおう。
新しい知識で困難に立ち向かえ。
時代の先をゆけ。
今までの枠の中に、
未来はないのだから。
そう、僕たちは、なんにでもなれる。
僕たちは、どこへでもゆける。

saitani

負け方でその人物の器がわかる

2014年06月28日 20時58分19秒 | 人生論
「勝ち負けというものは、上手に勝てればそれに越したことはないが、上手に勝てなければ、むしろ上手に負ける方が良い。
 勝ち負けの順序をつけてみるなら、第一が上手に勝つ、次が情に負ける。
 下手に負けるのも仕方ないが、いちばんつまらぬのが、下手に勝つことだと思う。」
電力の鬼と言われた実業家の松永安左エ門翁の言葉

私もよくミニバスのコーチ時代に、子供たちに言った。
「一生懸命にやった負けは意味がある。
 一番怖いのは、いい加減にやって勝つことだ」と。

saitani

負け方でその人物の器がわかる

2014年06月28日 20時58分19秒 | 人生論
「勝ち負けというものは、上手に勝てればそれに越したことはないが、上手に勝てなければ、むしろ上手に負ける方が良い。
 勝ち負けの順序をつけてみるなら、第一が上手に勝つ、次が情に負ける。
 下手に負けるのも仕方ないが、いちばんつまらぬのが、下手に勝つことだと思う。」
電力の鬼と言われた実業家の松永安左エ門翁の言葉

私もよくミニバスのコーチ時代に、子供たちに言った。
「一生懸命にやった負けは意味がある。
 一番怖いのは、いい加減にやって勝つことだ」と。

saitani

わざわひは無礼よりおこる

2014年06月28日 19時54分17秒 | 学級経営
現在の学校の多くは、学級経営に課題を抱えている。
どこの学校も少なからず学級崩壊という課題に直面している。
では、なぜ学級崩壊はおこるのか。
それは、複合的な要因で起こる。

一番に考えられることは、教師の技量の問題である。
技量の低い教師が担任すれば少なからず隠れていた問題が顕在化してくる。
問題の集合体である学級は、誰が担任しても問題がないことはありえない。
ただ、力ある教師がもては、ベクトルが良い方向に向いて、表面化してこないだけである。
その点では、この学年は安心だということはありえない。

2つ目は、子供たちの価値観の低下。
礼儀という価値観が絶対的な権威をもって教えこまれてこないことに原因がある。
たとえ相手がどんな教師であろうと、目の上の者にさからうことは許されない。
教師に口ごたえするなど問題外である。
しかし、これもつきつめればが家庭教育の大人の問題である。
本来、子供を教育すべき大人が礼儀をわきまえていない。
もちろん8割の大人は常識的である。
だから、なんとか世の中の秩序は保たれているし、学校も通常の活動ができているのである。

礼儀作法は一朝一夕にできるものではない。
そこには、長い伝統文化ともいうべき歴史がある。
その連綿と続く伝統が礼儀作法なのである。
礼儀作法は、自分とは関係ないと思っている人が多く、その価値観の中で子供たちも育っていることも大きな要因である。

まず、大人が範を示し、絶対的な礼儀作法を教えこむことが、重要である。

saitani