飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

学年集団の協調

2006年03月30日 00時43分42秒 | 授業論
学年には調和が必要である。
誤解がないように言っておくが、調和というのはただ単に足並みをそろえることとは違う。
教育の世界では、「共通理解のもとに同一歩調で行う」といういい方をよくする。
これはこれで正しいのだが、高いレベルをめざして、同一歩調をとろうするところには創造的で、革新的な実践が生まれるが、低いレベルの同一歩調は、画一的で、保守的な実践しか生まれない。
世の中や人類の文化は常に発展と進歩の連続で、ここまで前進を続けてきた。
その中核をなすものが教育である以上、昨年よりも来年、さらにはその上をめざすような実践を積まなければ、結果的には退歩になる。
同じ学年を受け持つと昨年と同じようにすればいいと安心する人もいるようだが、根本的に教育に対する構えが違うように気がする。

学年の中には、協調や調和が必要である。
それは学級経営が重要なように、学年で子どもたちを育てるという視点も大事だからである。
例えば、低学年で考えてみよう。
低学年であれば、最初は合同体育である。
夏のプールならば、全学年合同で指導を行うであろう。
そのとき、教師の役割分担をどうなっているだろうか。
一番、よくないのは誰か一人に指導を任せてしまうケース。
体育指導に優れた教師が一人で、すべてを指導をして、その他の教師はみているだけという場面があるが、これでは個々の教師の協調は生まれない。
少なくとも、一人の教師が前で指導にあたるならば、もう一人は器具の準備をする、もう一人は放送設備等の準備をするくらいの配慮は最低限必要だろ合う。
それが何の事前の打ち合わせなしにできることが、学年団の調和というものになる。

さらに遠足や校外学習の場面。
通常学年主任が、昼食に様々な注意事項の指示を出す。
「いってもいい場所は、あの木のところから、あの建物の所までです。
 あそこは危険だから行ってはいけません。」
このとき危険箇所については具体性が必要になる。
そこで「○○先生が立っているところには行ってはいけません。」
という具体的な指示が必要になるのである。
こういった役割分担、自然に決まる。そういう集団になることが子どもたちを育てることにもつながっていく。

さらに教師に必要な資質は、一つ先に述べた呼応して動ける技量があること。
もう一つは、仕事のことなら黙って実行する意識があること。
これをもった教師集団であるなら、学年全体の教育力は期待できる。

SCENE166(saitani)

権威を成り立たせる条件

2006年03月21日 23時22分52秒 | 授業論
先週の公式戦で、指導しているミニバスの今年度の日程はすべて終了した。
6年生には最後の大会となったこのリーグ戦も全勝で、有終の美を飾ることができた。
決勝リーグでは、チームのみならず、保護者も一丸となって試合に臨み、最高の結果を残すことができた。
昨年の春、チームを任されて以来、ずっと子どもたちのこと、チームのことを考えてきた。
考えてみれば当たり前のことだが、最初に気がついたのは、自分ができることとそれを人に教えることとはまったく別の次元のことであるということだった。
バスケットにおける技術的なことは一応自分ではできるし、説明もできる。
しかし、それを出来ない子に教えるとなるとどのようなスモールステップで、どのような指示を出せばいいのか。
また、テクニカルポイントは何で、どのような練習設定をすれば、進歩するのか、毎日考えていた。
コーチとしては、一から勉強し直した。

バスケットの指導は、学級における指導よりも容易にできる部分がある。
それは目的意識が一元化されており、物事に対する価値判断にゆれが生じない点である。
リーダーが、きちんとした指導技術をもち、将来のチーム戦略に関する明確なビジョンをもってさえいれば、比較的スケジュール通りに、練習は進んでいく。
ただし、子どもたちの進歩は計画通りにはいかないが。

予想以上に、ワンサイドゲームとなった最終戦。
子どもたちものびのびと自分のプレーをして、満足していた。
そして、この1年間、黙々とチームを支えてきてくれた保護者のみなさんも満足のいく試合結果だった。
プレー中も試合後も笑顔で一杯の子どもたちだった。
保護者の中には、涙を流している方もいらっしゃた。
「これはすべてコーチのおかげ。」
と保護者は言ってくれた。
子どもたちも、深々と頭をさげ、感謝の言葉を言ってくれた。
しかし、すべては子どもたちの頑張りの結果である。

負けても悔しい表情ひとつせず、反省もしなかった子どもたち。
負けることが当たり前だった。
それが自分たちのチームにプライドをもてるようになり、プレイを自主的に反省するようにもなった。

チームプレイを大切にして、仲間同士支え合い、助け合ってきた。
ある保護者が試合を見ていて、
「うちのチームの試合をみているとサッカーの試合をみているようです。
 うちのチームは、組織的に統率がとれているヨーロッパのチーム。
 相手チームは、エースがドリブル突破していくような、ブラジルサッカーのようです。」
一人一人の身体能力では他チームに及ばない点はあるが、組織力では秀でていると私も思う。

私の指導は、厳しかったと思う。
それは、子どもたちに負けてはいけないと考えていたからだ。
選手に負けるということは、指導者の権威がくずれるからである。
指導者の権威がくずれることが敗因の重要な要因となる。

権威を成り立たせる条件には、四つの条件がある。
一つめは、能力。
判断力、指導力、組織力等優れた能力が必要である。
二つめは、信頼。
正直さ、誠実さ、謙虚さを持った人間が信頼を勝ちえることができる。
三つ目は、知恵。
豊富な知識と知恵をもとに選手に助言し、成長させる指導者は信頼され、その言葉は権威をもつようになる。
四つめは、優しさ。
厳しさの中にある、優しさが必要である。
選手に迎合したり、甘やかすこととは次元が異なる。

これらすべて信念に基づく、日々の積み重ねの中から育まれるものである。
たとえ恐れられようとも、好かれなくとも、信頼だけは得たい、そう考えてこの1年間指導をしてきた。
今、自分の技量のつたなさを感じると共に、リーダーの力量以上には組織は伸びないと言うことを改めて実感している。
まだまだ、勉強がたりないと反省した1年だった。

ルールとモラル

2006年03月20日 21時09分40秒 | 授業論
新しい学級がスタートする。
教師は、集団を統率するという断固たる決意が必要だ。
自主性が育ち、ある程度教師の意図を理解するようになれば、まとめる程度の表現でもいいが、スタートは違う。
教師は、学級を統率するのである。

統率とは二つの概念を含んでいる。
統率することと指揮することである。
統率とは意欲を起こさせることであり、指揮とは意欲を具現化させる行為である。
1年間を見通し、全体のバランスに注意しながら、指導していくのが教師である。
統率者の責任は極めて重い。

統率者としてまずしなければならないのは、集団のモラルを形成すること。
学級の子どもたちが同じモラルや倫理観を共有し、それが常識やマナーなどと呼ばれるものになっていくからである。
ルールでない以上は、強制されるものではなく、ルールとルールでないものは明確に区別されるものである。
両者が曖昧になると、二つの問題が生じる。
一つは、守るべきルール遵守がおろそかになる。
もう一つは、ルールがない部分についての責任もおろそかになる。

民主的な集団意思形成によって作られたルールが機能するためには、当事者間合意による契約を含め、ルールによる義務や禁止がない部分についての自由が、明確な責任を伴ってつかいこなさなければならない。

では、子どもたちの中にモラルが形成されている状態とはどんな状態を言うのだろう。
ルール感覚があるとは次のような状態を言う。

反対者は必ずいて、対立は起こる。
ルールは対立があることを前提として、多数決で決められる。
ルールが決められたら、反対していた人もそれに従わなければならない。
ルールは変更できるが、それには変更関するルールに従った手続きが必要。
ルールが変わるまで、改正前のルールに従わなければならない。

このような基本的な集団における意識や規範を身に付けることも重要だろう。

(saitani)

合図の仕方

2006年03月17日 23時56分48秒 | 授業論
学級の中には、多くの約束事が存在する。
この約束事が、互いの意思疎通を基本として機能するとき、統率のとれた学級集団の基礎ができあがる。
集団行動を例にあげれば、よく理解できる。
子どもたちに対する合図を明確にだし、徹底できる指導者は集団を成長させる。

運動会シーズンになると教師が大声でどなるすがたを目にする。
自分自身も反省しなければならない点が多くあるが、本当に力のあるプロ教師は決してどならない。
どならないで指導できる教師は、技量は高く、子どもたちを大きく変化させることができる。
ここで重要なのは、子どもたちはきちんと指導すれば統率のとれた行動ができるということである。
統率のとれた集団では、教師の熱心な指導に答えて、子どもたちの演技は目に見えて成長していく。
そんな教師は、子どもをいつもほめ、励まし、讃え、自信と希望を育んでいく。

怒鳴る教師は、一生そのままの姿をとり続ける。
反省することを忘れ、問題の原因を自らに求めず、学ぼうとすることを捨てた教師の姿はむなしさを感じる。

SCENE167(saitani)

学級のサブテーマ

2006年03月14日 23時39分09秒 | 学級経営
学級には「学級目標」がある。
その学級目標を具現化するために日々の授業があり、系統性をもった学級経営がある。
それぞれ違った価値観をもった人間が、同じ方向性をもつことは簡単ではない。
指導者の意図的、計画的な投げかけと長期、短期におけるビジョンとムーブメントが不可欠だ。

時にはスローガン的なキーワードも必要だろう。
キーワードを子どもたちに提示するときには、必ず短くてもいいので、授業の形をとりたい。
なぜなら、授業こそが、子どもたちを変える最大の要因だからである。
こんな言葉がある。

苦労という種をまき、
努力という肥料を与えれば、
感動という花が咲く。

特に高学年であれば、感動の花とはどんな花なのか、1年後にわかるような学級経営をすべきだと思う。

(saitani)


教生七則

2006年03月12日 22時03分47秒 | 授業論
芦田恵之助には三人の子どもがいたが、三人とも教師とは異なる道を選んだ。
芦田自身は、三人のうち一人は自分と同じ教育の道に進んでほしいと考えていたようだが。
芦田には孫娘がいた。
名前を倉員登美子といった。
彼女は小さいころ、芦田の家によく遊びに行き、そこでその家を訪れる多くの教師の話をきいた。
その話の数々に心を強く動かされ、やがて教員への道を歩むこととなった。

いよいよ、教育実習が始まろうという日の朝、芦田は一枚の和紙を孫娘に見せた。
そして、こういった。
「わしが、教生諸君に話してきたものがこれじゃ。」
その和紙に書かれていたこととは次のような内容だった。

教生七則

1 再び合い難き期間と心得べきこと
2 常に寛容の徳を思うこと
3 志を高く持つこと
4 児童の求むる心を養うこと
5 劣等児に着眼すること
6 教育はどこまでも育てる仕事であること
7 指導を受ける時素直な心であるべきこと

そして、こう付け加えたという。
「生まれながらの劣等児は、おらんのじゃ。
 教師がつくる劣等児がおる、心せなならんことじゃ。」
教育には、こうした厳粛さが必要だと思う。
志をたかくもっている教師はどれほどいるのだろうか。
子どもたちに要求していることの半分も自ら努力しているだろうか。
この初心をいつまでも忘れてはならない。

SCENE160(saitani)

着語1

2006年03月10日 23時49分48秒 | 国語科
国語の時間、教師は範読をする。
この範読をしない教師はいないはずである。
ただ、範読をどのタイミングで、何の目的をもってするかと問われればそれは人それぞれだろう。
いや、目的もなく、ただ読んでいる教師もいるかもしれない。

この範読の際に、読みながら短い教師の感想や注意点を付け加えることがしばしばある。
これは着語と言われているものである。
そしてこれを最初に理論づけたのは、芦田恵之助である。

芦田恵之助は、有名は教式「七変化」を確立した。
1時間の授業展開にあったて、次の七過程をとった。

1 よむ 2 とく 3 よむ 4 かく
5 よむ 6 とく 7 よむ

これを見ると、4の「かく」を中心としてシンメトリーになっていることがわかる。
着語が主に行われるのは、3の「よむ」の場面である。
この「よむ」は、教師の範読にあたる。
この範読は、当然教師の仕事である。
その目的を芦田は次のように言っている。

1 教師自身の修行
2 児童の読み振りの手本
3 教師の豊かな理解を声に移してうかがう

芦田は着語のことを次のように定義づけている。

読んだ直後の感じをごく簡単な言葉で現すのです。

読んだ直後、あるいは読みつつうかんだ感じを、文節のあいだにはさんで、つぶやくともなく、のべるともなく短い言葉で、ぽつりともらす。
例えば、芦田の先行実践、「尋六の源氏物語」の場合、74センテンス中に、50回も付け加えられている。
量的にはおおおく、解説付きの範読といった感じである。

SCENE160(saitani)

着語2

2006年03月09日 00時42分30秒 | 国語科
着語は、どんな場面でどんな意味をもって行われるのが適切なのかを考えてみる。

1 前文の意味を立ち止まって考えさせ、次に展開する叙述を読む姿勢を作らせる。
2 前に提出した着語による問題の答え、ないしは、それより前の段階の要点をまとめる。
3 物語中の因果関係について補説する。
4 年齢、年代、時などを数字で補説する。
5 時代背景や原典などについて補説する。
6 文脈に表現された意味や、語句の意味などを簡潔に補足する。
7 表現の巧みさに対する感動を述べると共に、経験と結ばせてイメージ化への働きかけをする。
8 これまでの学習中に出てきた話題と結びつける。
9 文脈に即して自分の(教師の)理解したり、思ったりしたことを、それとなくつぶやく。
10 重要語句と思われるものを指摘する。

この着語の意味を今一度考えてみることも「言語学習」への発展を促す上で意義のあることだと思う。

SCENE160(saitani)

芦田恵之助の業績

2006年03月08日 01時42分35秒 | 国語科
芦田恵之助は日本一の国語教師と言われている。
数多くいる実践家の中でもなぜ芦田がそういわれるのか。
それには様々な理由があると考えられるが、その要因は彼の教育活動が多岐にわたっていたことにあると考えられる。
芦田は、実践を重んじると同時に後進の指導にも熱心にあたった。
全国には、教壇行脚する過程においてつくられた恵雨会という教育サークルがあった。
ここで多くの教師が、熱心に教育について学んだのである。
今一度芦田の優れていた点を整理すると次の様になるだろう。

①「こどもの事実」に依拠した教育実践を貫いたこと。
②教壇行脚による「授業技能の伝達」を重視したこと。
③恵雨会という勉強会を全国展開し、「後進を育成」したこと。
④七変化の教式において、「集団思考」と授業の「型」を示したこと。
⑤授業の日の朝に代表される実践家としての「姿勢」をしめしたこと。

常に優れた先人から学ぶという姿勢も力ある教師になるには必要ことだと考える。

SCENE160(saitani)

敗北の要因

2006年03月07日 00時00分33秒 | 授業論
本年度も終わり、新しい年度を迎える。
教師になって毎年、「教育の構想」と名付けたノートを作る。
そこには、日々の実践や気がついたこと。
過去の反省、未来への計画が思いつくままに書かれる。
この時期になるとふだんはあまり振り返ることのない、ノートに目を通す。
その中になるある1ページ。

指導しているミニバスのことだ。
試合に負ける要因は、様々だ。
なぜ、負けたかが分からなければ同じ過ちを繰り返す。
練習試合ではあったが、忘れられない試合がある。
試合終了、30秒で8点差をひっくり返されたゲーム。
その日のノートには、こんな風に書かれている。

敗北の要因。
1 ガード、フォワードのキープ力の弱さ
2 メンタル的な弱さ
3 ゲームコントロールにおける冷静な判断
4 コーチの判断力の甘さ
5 ゲームを予見する能力と的確な指示
6 タイムアウトのタイミング
7 ストーリングの仕方、準備
8 ゲームに関する子どもレベルの責任と自覚
9 子どものモチベーションの高め方 ハードワーク・精神的なプレッシャー
                  突き放し
10 チームとしてのレベルアップ 技術面 精神面
11 キープ力の強化と練習方法
12 リバウンドのアウトレットパス
13 ゾーンプレス(第3、4Q)の必要性 ファールのリスク
14 ポストマンへのディフェンス サイド バック フロント
             ボールとの位置関係
15 ポストマンのコンビネーション ハイロー

試合が終わるたびに、課題の山が残された。
負け方を知らなければ、勝ち方もわからない。

どんな状況下においてもやるべきことはある。
ただ、それを見つける勇気があるかどうか。
やり遂げる勇気があるかどうか。
その違いである。

実際に窮地にたったとき、行き詰まったとき、どれだけの思考力をもって出来ることを探せるか。
これは常日頃の思考パターンが決める。
どんなささいなことでもいいから活路を見いだそうとする人間か、それとも誰かのせいにしたり、ごまかそうとする人間か。
それが、人やチームの成長を決め、いざというときに大きく表れる。
どんなときにも必ず、出来ることが残っている。
それが成功するかどうかは別問題である。

それを必死になって探し、実行に移せるかどうか、それが重要なのだ。

SCENE160(saitani)