飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

作業興奮

2020年09月28日 06時58分25秒 | 教育論
人間の質直な気持ちとして、やるべきことはわかっているし、必要性も理解している。
でも、やる気がおきない。
取り掛かる気持ちになれない。
ここが弱いところである。

しかし、人間の脳はそもそもそのようにできているそうである。
やる気やモチベーションは、脳の側坐核という場所で作られる。
側坐核は直径1cm以下のとても小さな脳部位で、脳の中心に位置している。
この側坐核の面倒なところは、ある程度の刺激がないと動き出さないところである。

では、どこで重要なのは座して、なんとかやる気がでるのは不可能に近い。
ならば、とにかくやる気がなくてもとりあえず、勉強机にすわってみる。
本を開いてみる。
なにかに取り掛かってみる。
はじめて見る。
それが肝心である。
やり始めたら、意外に面白くて、やり続けるなんてことも多くある。
案ずるより産むが易し。

この現象を唱えたのが、心理学者のクレペリン。
そして、作業興奮と名付けられた。
何事でも、始めてからしばらく経つとすこしずつ調子に乗り始める。
そして、集中できるようになる。
これが作業興奮である。
側坐核が目をさますのには時間がかかる。
だから、とにかく勉強を始める。
そして、始めたらしばらくは中断しないで継続することが大切。

saitani


スモールステップの重要性

2020年09月27日 08時43分40秒 | 授業論
「人間の最も偉大な力とは、その人の一番の弱点を克服したところから生まれてくるものである」レターマン
まず自分の学力なり実力を自覚することが大切である。
まず自分の弱点を知る。
その弱点を少しずつ克服する。
この少しずつが重要。
ゴールを遠くから見て、気ばかり焦るのは禁物である。

そこで必要になるのがスモールステップである。
教育の世界では、易から難への定石くらいよく知られたセオリーである。
やるべきことは、遠くにぼんやり見えるものをみることではなく、手近にはっきり見えるものを行うことである。カーライル

脳にとっても、小さな目標をもって、一歩一歩進んでいくことが効率の良い方法である。
脳はコンピューターと違って、似ているものを覚えるために似ていないものを消去する。
そのために、人間はコンピューターと違ってよく間違えるのである。
間違えるということは人間的であり、必要不可欠な過程なのである。

「わかる」とはどういうことなのか。
よく教師は教室で「わかった人?」と子どもたちに聞く。
できれば、私は「わからなかった人?」最低限聞くべきだと思うが。
わかるという行為は、物事を分けられるということでもある。
わからないというときには、とりあえず分けてみる。
よく、何かに迷うと「物事を整理しよう」とか、「ものごとをわけてみよう」などというのはそのためである。

分からないのは、わけられないことである、
とにかく、小さく刻むことが解決策である。
スモールステップ&パーフェクトマスターが最善最短である。
対局をつかんで、それを大きくいくつかに切って、さらにそれを小さく刻む。
一つ一つ手順を追って積み上げていくことが基本である。

saitani

総合的な学習に時間における授業参観の観点

2020年09月26日 08時07分00秒 | 授業論
総合的な学習の時間における参観授業の観点とはなんだろう。
よい授業には共通の事柄がある。

1 問い(課題)のもたせ方のよさ
問い(課題)に必然性や適時性がある
子どもたちの生活に関わる事項、いますべき事項として意識され、子どもたちが本気で調べたくなっている。自分たちでなんとか問題解決しようとするようなしかけが十分にある。

2 学級づくりのよさ
違いを認め合う学級づくりを目指している
日頃から子供同士が友達の意見を尊重し、みんなで協力するように絶えず教師が関わっている。そのため、子供同士で小さなことでも認め合ったり友達の成長を喜んだりできる。

3 学び方のトレーニング
思考ツールなどの目的や使い方、話し合いで大切なことや進行の仕組みなどが子どもに身に付いている
日常的に子どもたちがツールや方法として使っているため、浮足立たない。むしろ必要だからその活動をしているという自覚がある。

4 教師のコーディネート
すべての子供が活躍することを意図している
学級内の人間関係や子ども一人ひとりの得分野などが教師の頭に入っており、子どもたちが主体的に学んでいるように見えても、実は教師が見えないタクトをふって子供を動かしている。

saitani

学習活動とは

2020年09月25日 12時11分00秒 | 授業論
指導案の中に学習活動という項目がある。
これは指導案の中でも最も重要になる部分で本時の展開がどのように行われるいかということに関わってくる。

学習活動とは、どのような活動を通して、子供に内容を習得させ、目標を実現しようとしているのかということを示すものである。
この学習活動の多くは文末が次のような表現で書かれることが多い。

1 〜を調べる
2 〜について話し合う
3 〜をまとめる

ただし、次のような表現は好ましくない。
「〜について知る」「〜について考える」「〜を理解する」
なぜ、好ましくないかというとこれらの表現は、頭の中の働きであって、活動ではないからである。

では、前述した表記でどのように書けば良いのだろう。

1 調べる Aを調べて〜に関する情報を集め、読み取る このようにA 集める事実と B調べる対象の間に調べるが差し込まれていること

2 話し合う Aについて話し合い、Bを考える というように A 話し合うテーマや論題 と B考察する対象の間に 話し合うが差し込まれていること

3 まとめる Aについて、Bしてまとめる というように A整理して理解に迫る対象 と B まとめる方法 の後に まとめるが続いていること

このように指導案の言葉を正確に使用して作成するという認識を持つことで、授業自体も変わってくるのである。

Saitani



型の重要性

2020年09月22日 10時45分31秒 | 授業論
型の重要性を軽んじる人がいる。
また、教員の世界ほど、型が蔑ろにされ、上達論が体系化されていない分野はないと思う。
ここの自由と言えば聞こえはいいが、基本となる型を教えられる人は少なく、また、それを指導できる教員も少ない。
せいぜい思いつき程度のその場しのぎの感想程度で指導と呼ばれ、積み重ねがない。
だから、授業の上手い教師は初任者の時からうまく、通常は年齢や経験年数とともに上達していく授業力も何年経っても変わらないことが現実である。
毎年、学級を崩壊させる教師は毎年同じ結果になるし、崩壊させない教師は毎年させない。

先人の知の体系、先人がたどり着いた美意識、先人たちが編み出した型には、そこに至るまでに夥しい数の吟味・工夫・鍛錬があった。
だから、洗練されているのである。

なぜ、型というものが生まれたのか。
それは、才能のある人なら直感的にわかる身体知や、言葉ではうまく伝えられない極意などの暗黙知を教諭するための手段として型というもが生まれたのである。
型とは、才能やセンスのない人でもある程度のところまでは辿り着ける、理に叶った学びのメソッドとも言える。

一般的に、基本の型は、およそ二万回繰り返すことでわざとして身につくと言われている。

スラムダンクの中にも、それを象徴するエピソードがある。
全国大会直前の練習で、主役の桜木花道がs、安西先生にこう尋ねる。
「何をやったらいいだ?」
「シュート二万回です」

上手くなりたいという憧れや意欲があり、そこに型というヒントがあれば、吟味・工夫・鍛錬を行うことにより学びが成立する。
さらには、正しい方向性を示す、ロールモデル、メンターの存在も大きい。

Saitani


ゆさぶり 

2020年09月20日 10時41分11秒 | 授業論
1952年、41歳の若さで群馬県の利根川近くにある島小学校という小さな小学校の校長になった斎藤喜博。
彼の実践の特徴は、揺さぶりと感動である。

斎藤喜博の言葉

良い授業には、すぐれた芸術作品と同じような、緊張と集中がある。
そこでは、学級の子供が、皆自分をはっきし、わき目も降らず生き生きと活動し、みんなの力で次次と新しい発見をし合っていく。
そしてそういう授業は、1時間の授業の仕方が独創的であり、演出的であり、また、芸術と同じような感動を呼び起こすのであり、子供はもちろん、参観者をも、その学級の学習の中に溶け込ませ、一緒に笑ったり、緊張したり、感動したり、新しいものを見出せたりしながら、それぞれの心を新しく変革していくようにするものである。(授業入門)

斎藤喜博は、子供たちの心を揺さぶって、子供達が自分自身で学びを更新することを目指した。
これまでの自分が持っている知識を使って考え、新たな発見に至る。
そこには揺さぶられるほどの感動がある。

Saitani

吟味・工夫・鍛錬

2020年09月20日 10時31分47秒 | 教育論
江戸時代初期の剣術家である宮本武蔵はこのように言っている。

五輪書には、「能く能く吟味すべし」「能く能く工夫すべし」「能く能く鍛錬すべし」という言葉が、ほとんどの項目の最後に繰り返し出てくる。

1 吟味 教えられたことを漫然とやるのではなく、どうすれば上手くいくのか、一回一回しっかり吟味して自分の身で試す
2工夫 そこに自分のアイディアを入れて、自分に合うようにアレンジしなさい
3 鍛錬 自分のものにするするために、何度も何度も練習しなさい

見たり聞いたりしたこと技化するまで繰り返すことの大切さを言っている。

Saitani

自ら選択し、行動する

2020年09月19日 12時24分19秒 | 教育論
学級で子どもたちと生活していると様々なできごとが起こる。
その中には良い行いと悪い行いがある。
善い行いは積極的にほめることが必要だ。
子どもたちは子どもたちは教師に価値観に影響され、担任は自分たちのどこをみていて、どんなことを褒め、どんなときに叱るかを注意深く観察しているからである。

例えば、掃除をサボった子がいるとする。
通常なら、該当の子供を呼び出し、注意し、やり直しを命じるだろう。
しかし、それでは次にはつながらない。
まあ、この方法でも改善がされていくこともあるが。

では、どうするか。
共通的な対応としては次のようにする。

1 課題に対して複数の代案を考える。
  子どもたちに示させる場合もある。

2 複数の代替案から主体的に選択する。
  このあたりの対応は、特性を持った子にも有効。

3 選択したことを実際に行ってみる。

4 行ってみて、成果があがったかどうか検討する。

5 成果がでないものは、方法が適さないと考え、別の方法を行ってみる。

saitani

学習指導要領と指導案

2020年09月16日 16時15分33秒 | 授業論
新しい学習指導要領の骨格と指導案の関係は次のようになっている。

1 何ができるようになるか←①単元や本時の目標
2 何を学ぶか←②単元や本時の内容
3 どのように学ぶか←学習活動
4 子ども一人一人の発達をどのように支援するか←教示の指導の手立てや支援
5 何が身についたか←学習評価
6 実施するために何が必要か←学習環境や人材など整えるべき条件

このように通常作成される指導案と項目内容ともに合致している。

目標について考えてみる。
これは言ってみれば学習活動のゴールである。
ゴールである以上明確でなければならない。
したがって、以下のような表記では明確にならないから注意が必要である。

・「~して話し合う」
・「~を調べる」
・「グループで~をまとめる」

この問題点は、目標が活動で終わっている点である。
手段が目的になっている可能性もある。
活動があって指導がないという状態も予測できる。

育てたい資質・能力が明確になっていないと評価もできないのが現実である。
では、どのように表記すればいいのか。
それは、「○○を通して、○○する」というようにつなぎの言葉が入り、手段が明確に位置づけられていることが重要。

文末が「思考力・判断力・表現力」の場合。
子ども同士が対話的に話し合うことを通して、自分たちの生活と関連付けて、商品の流通のの働きを考えることができるようにする。
文末が「知識・技能」の場合。
ゴミの分別方法を自分で決めた観点で調べることを通して、リサイクルの特色を理解できるようにする。
文末が「学びに向かう力・人間性」の場合。
グループで~をリーフレットにまとめる活動を通して、○○への関心を高め、自分たちも協力しようとする態度を養うようにする。

最後に学習問題と目標の整合性もとらなけばならない。

1 設定された学習問題が、その目標を実現するための問いになっているか。
2 設定された学習問題を追求することで、その目標を実現できるようになっているか。

saitani



学級内の合理的ルールの条件

2020年09月13日 09時01分47秒 | 学級経営
学級内には様々なルールが存在する。
それは、学級全体のルールもあるし、学級内だけのものもある。
学級内の生活が安全にここの権利が認められていくには必要不可欠なものだ。

ルールとは2種類あるという。
本来、ルールはクラスの中に秩序を確立するための取り決め事項である。
ある程度の強制力がある。
それは、役割分担についての取り決め、すなわち「役割ルール」と、不適切な行動の禁止についての取り決め、すなわち「禁止ルール」からできている。
とくに禁止ルールに関しては、合理的な条件が必要になる。

1 手続きの民主性 制度と運用に全員が参与していること。
2 内容の合理性 なるほどこれは決めておくことが必要だと感じられること。
3 適用の平等性 例外的な特権階級がなく、全員に平等に課させられること。

禁止ルールで注意すべき点がある。
それは、最小限に留めること。
禁止ルールは、不適切な行動、すなわち共同体に対して破壊的な行動についてだけしか作っては行けないということである。

saitani