久しぶりの更新である。
格言と言われるものは数限りなくある。
しかし、その多くの本質は似ているように思う。
大きなカテゴリーでは、いくつかに分類されるように感じる。
さて、こんな格言がある。
「教育」
教育には、目的がなくてはならない。教育それ自体は目的ではないからだ。
シヴィル・マーシャル
教育は学んだことがすべて忘れられた後に残る「何か」である。
B・F・スキナー
目標と目的とは違う。
ビジネスの世界にはこんな説話があるそうだ
中世のとある町の建築現場で三人の男がレンガを積んでいた。
そこを通りかかった人が、男たちに「何をしているのか?」とたずねた。
一人めの男は「レンガを積んでいる」と答えた。
二人めの男は「食うために働いているのさ」と言った。
三番めの男は明るく顔を上げてこう答えた。
「後世に残る町の大聖堂を造っているんだ!」と。
このとき、三人の男たちにとって「目標」は共通である。
つまり、一日に何個のレンガを積むとか、工期までに自分の担当箇所を仕上げるとか。
しかし、「目的」は三人ともばらばらである。
一人めの男は、目的を持っていない。
二人めの男は、生活費を稼ぐのが目的である。
三番めの男は、歴史の一部に自分が関わり、世の役に立つことが目的となっている。
目標は他人から与えられることが十分ありえる。
しかし、目的は他人から与えられない。
意味は自分で見出すものだからだ。
各学級や学年の活動は目標に向かっているだけではないだろうか。
目標の向こう側にある真の目的についてもっと意識させる必要がある。
そして、その目的は他律ではなく、自立的に見いだす必要がある。
saitani
格言と言われるものは数限りなくある。
しかし、その多くの本質は似ているように思う。
大きなカテゴリーでは、いくつかに分類されるように感じる。
さて、こんな格言がある。
「教育」
教育には、目的がなくてはならない。教育それ自体は目的ではないからだ。
シヴィル・マーシャル
教育は学んだことがすべて忘れられた後に残る「何か」である。
B・F・スキナー
目標と目的とは違う。
ビジネスの世界にはこんな説話があるそうだ
中世のとある町の建築現場で三人の男がレンガを積んでいた。
そこを通りかかった人が、男たちに「何をしているのか?」とたずねた。
一人めの男は「レンガを積んでいる」と答えた。
二人めの男は「食うために働いているのさ」と言った。
三番めの男は明るく顔を上げてこう答えた。
「後世に残る町の大聖堂を造っているんだ!」と。
このとき、三人の男たちにとって「目標」は共通である。
つまり、一日に何個のレンガを積むとか、工期までに自分の担当箇所を仕上げるとか。
しかし、「目的」は三人ともばらばらである。
一人めの男は、目的を持っていない。
二人めの男は、生活費を稼ぐのが目的である。
三番めの男は、歴史の一部に自分が関わり、世の役に立つことが目的となっている。
目標は他人から与えられることが十分ありえる。
しかし、目的は他人から与えられない。
意味は自分で見出すものだからだ。
各学級や学年の活動は目標に向かっているだけではないだろうか。
目標の向こう側にある真の目的についてもっと意識させる必要がある。
そして、その目的は他律ではなく、自立的に見いだす必要がある。
saitani