飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

土に植えてこそ種

2006年12月31日 00時10分07秒 | 授業論
あと数時間で2006年も終わろうとしている。
この1年を振り返ると、本当に時間が過ぎるのは速いものだとつくづく思う。
自分の歩みは遅々たるものであっても確かな足跡を残すことが出来ただろうか。
精一杯の努力はしただろうか。
確信はない。
しかし、そのときどきベストは尽くしてきたつもりだ。

将来何かが変わる。
自分は成長できる。
自分が教えてきたことは正しい。
自分の実践は子どもたちのためになった。
そんなことは誰にもわからないし、また、そんな風に考えて教育を行ったら道をあやまるような気がする。

教育という営みにはやはり謙虚さと怖れが必要なのだと思う。
自分はこれからも謙虚に学び続ける教師でありたいと思う。
日々の実践にベストを尽くして。

収穫には立ち会えないかもしれないが できるだけ多くの種を蒔こう

花が散ってしまうことよりも もしももっと哀しいことがあるとしたら
それはタネがタネのまま土に植えてもらえないことだ

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それでは、みなさん良いお年をお迎えください。

saitani

仕事の値打ち

2006年12月30日 23時12分43秒 | 授業論
我々教師は何のために教育という仕事をしているのだろう。
こんな文章がある。

あるとき、新聞に梅の花についての記事がのりました。
梅の花は他の木から花粉をもらわないと、花は咲いても実は結ばないとかいてありました。
やがて梅の季節、白い梅がたった一輪咲いていました。
何とも言えない、いい香りで、私は「たった一輪友達もいないのに咲いているんだな」と思いました。
この花は、他から花粉をもらえなくて実を結ばないのだろうな、でも、早春のすがすがしい朝の喜びと、素晴らしい香を私に与えてくれたのだから、この美しさは変わらないのだろうなと思いました。
人の仕事もそういうところがあるのかもしれません。
一生懸命やった仕事がたとえ実を結ばなくとも、咲く美しさだけ、仕事をしたことが値打ち、というものもあると言えるのではないでしょうか。

教育の結果や教えたことの正しさは時間がたたなければ分からないことも多い。
頑張って努力したけれど実を結ばないこともある。
それでも今を精一杯生きることが大事なのだと思う。

saitani

ウインターカップ2006

2006年12月29日 23時14分08秒 | バスケットボール
昨年に引き続きウインターカップ2006を観戦に出かけた。
10時試合開始より30分ほど前についたのだが、当日券を求める人たちが列をなしていた。
昨年に比べると観客の数が増えたように思う。
昨年は聞かれなかった「立ち見のお客様のために席をあけてください。」という館内放送も繰り返しされていた。
昨年同様2階席は満席だったので、3階席へと座った。
楽しみにしていた能代工業の試合は見ることはできことはできなかったが、女子の決勝、3位決定戦、男子の準決勝を見ることができた。

やはりここまでコマを進めてくるチームはオフェンス力、ディフェンス力ともに一流である。
そして何よりもミスをしない。
このレベルだと力的には拮抗している。
そうなるとミスをした方が負けるということになる。
3ポイントシュートもいとも簡単に決める。
多少タイミングをずらされたり、シュートブロックされてもかわしてきめてしまうのである。

モチベーションに関しても、決して最後までゲームを捨てずに全力を尽くす姿に感動した。
数多く見たれたアリュープシュートなど華麗なプレーも見事だったが、基本的なルーズボールを追う姿勢も気迫あふれるものだった。

どのチームも明確な目標をもち、その目標達成のために一生懸命努力し、練習を積んできた。
その結果この東京体育館のセンターコートに立つことができたのである。
上位の成績をおさめたチームのコーチが表彰された。
優秀なコーチ、優秀な選手、それを支える多くの人々、これらの力が一つにまとまったときチーム全体として結果がでるのである。

チームコーチは当然、発足と同時にチームを方針を示す。
これは学級担任と同じである。
このときに選手にどんな方針でチーム作りをしていくかを尋ねるコーチがいるだろうか。
私はまずいないと思う。
精神的にも自立し、最高水準にまで引き上げられるだけの技術と戦術的な能力をもった人間のあつまりならそれもできるだろう。
しかし、選手個人は価値観が違うように異なるベクトルをもっているのである。
チーム全体の総意として方針を示せるのはコーチしかいない。
その方針を具現化させる過程においては個々の意見を聞くことは大事である。
このへんを勘違いしがちなのである。

ではこのベスト4にまで進んできたチームはどんな方針をもっていたのだろう。

1 基本に忠実にプレイする
2 どんな状況にも対応できる姿勢をもつ
3 常にチームが一丸となってプレイする
4 練習には集中してのぞむ
5 常に目標を意識する
6 練習の目的を理解し、意識する
7 話し合いにより常に全員の考えを一致させる
8 全員がチームの一員としてのプライドをもつ

この方針に基づきチームは作られ、選手も成長していく。

2006年もあと1日となった。
どんな立場であっても、コーチングフィロソフィーや教師哲学をもつことは正しい状況判断のためには不可欠である。
またこの哲学をもつコーチ、教師はすぐれた指導者にもなることができる。

saitani

仕事の認識

2006年12月28日 01時10分35秒 | 授業論
仕事には必ず締め切りというものがある。
社会人なら、締め切りを守るというのは基本中の基本だ。
しかし、この基本をどれだけ重要なことと認識しているか人によってまったく異なるのが現状である。

教師は仕事柄、実践報告や学習指導案を書くことが多い。
それには当然締め切りというものがある。
それを全力を挙げて守ろうとしているのか疑問に思うことがしばしばある。
締め切りを守らないと言う行為は、人にも多大なる迷惑がかかることだという認識もない。

プロフェッショナルの言葉より。

僕だって、前の晩は寝られないくらい考えてから会議に臨むのに、当日いきなり「今日は何の会議でしたっけ」なんて若い奴に言われれたら、「お前、帰っていいよ」ともいいたくもなりますよ。 ーおちまさと

saitani

有言実行

2006年12月27日 23時57分53秒 | 授業論
年も押し迫り、あと四日を残すだけとなった。
新年を迎えると誰もが今年の抱負を考える。
学級担任なら、子どもたちに「今年の目標」を書かせることも多い。
そのときどんな話をするだろう。

「言ってもらえれば、センター返しはいつでもできます」
この言葉は、イチロー選手が愛工大名電高校に入学後、中村監督との初対面で言った言葉である。
何とも、不遜な言葉である。
野球の世界では、3割バッターが一流の証しであるようにヒットを打つことさえままならない。
それをいつでもヒットが打てると初対面の監督に言ったのである。
当然、中村監督はムキになって、こういった。
「それならワシの目の前で打ってみろ。」
中村監督が指名した3年生の投手が投げてくる球の7割近くをイチロー選手はセンターにはじき返したと言う。
有言実行こそ夢を実現させる第一歩なのである。
勇気を出して実現したい夢を具体的な形で宣言する。
それはプレッシャーがかかることではあるが、そのプレッシャーを力に変える程度の心がなければ夢の実現は難しい。

当然、担任である教師も子どもたちの前で夢を宣言することは言うまでもない。

saitnai

事をなす人と、成せない人

2006年12月24日 18時47分45秒 | 授業論
今日は、指導しているミニバスの試合があった。
この試合は今シーズン最後の上につながる試合である。
結果は、残念ながら2位で県大会出場を逃した。
試合内容は、あきらかに一人一人のオフェンス、ディフェンス力という点では差があったかもしれない。
しかし、ベンチの指示で何とかしなければならないと思い、様々な戦略を立てたが、追いつくことは出来なかった。

敗北はすべてコーチの責任である。
今一度自分の指導を振り返ってみる。
強いチームと試合をしたときに初めて、自分のチームの欠点が顕著になる。
そして、すぐに対策を立て、この弱点を克服する形で練習を進める。
すぐに弱点が補強されることはない。
バスケットボールはハビットスポーツといわれるように習慣のスポーツである。
いくつもの小さな良い習慣の積み重ねによって一つのナイススプレーができるのである。
自分はリーダーとして、指導者として明確な改善を示し、継続的に子どもたちに接してきた。
反省する。
次にいきる敗北であるようにしなければと思う。

「締め切りを決めて、すぐに着手する」ことができるかどうかが、事をなす人と成せない人の最大の分かれ目なのである。 斎藤 孝


一つのテーマ

2006年12月23日 22時52分09秒 | 授業論
平成18年、2006年もあと7日を残すだけとなった。
担任の時にいつもしていたことがある。
へんなこだわりだが、どんなことをしながら年越しをするかということだ。
そのことが次の年の自分自身の姿勢の象徴のように思えるからだ。
担任のときにしていたことは、新年第一号の学級通信を書くと言うことだった。
そして、そこに自分の目標や願いを書く。
もちろん仕事のことも書くが、仕事以外の目標も決める。
教師という仕事は、教育以外のことも知らなければいけないし、人間が人間を教えるという神にも似た崇高な行為をするならば当然のことだろう。
ある若い先生に、どんな本を読んでいるかと聞かれたことがある。

自分はもちろんまず教育書のコーナーに行く。
そのあとビジネス書、歴史書、スポーツ、児童書とまわる。
「なんでビジネス書のコーナーに行くんですか。」
と聞かれた。
教師という仕事に対する認識のずれを感じた。
私は理由を説明したが、十分に理解してもらえなかったことが表情からうかがえた。

来年はどんな目標をもって教育を続けていくかを今考えている。

三十歳のときから続けているのは、仕事以外の分野で、一つのテーマについて1年間しっかり勉強すること。
毎年、年末に「来年は何を勉強するか」を決め、それを必ず年賀状に書いて宣言するんだ。 大前研一

saitani

教師自らが楽しむ

2006年12月16日 00時45分54秒 | 授業論
昨日研究授業を行った。
数人の先生が参観にいらっしゃった。
今回の授業は、時間の都合もあったが通常の授業そのままを見てもらった。
そんな中でこんな風な感想をいただいた。

「先生の授業は、子どもたちがすごく楽しそう。
 それ以上に、先生本人が子どもたちとの授業を楽しんでいるという感じがする。」
授業は本当に楽しい。
技量の低さから子どもたちに迷惑をかけることばかりだが、毎時間勉強のしたくをして教室に子どもたちが来てくれるだけで私は感謝の気持ちで一杯になる。
そして、教室を出て行くときには必ず、「ありがとうございました。」と口々にいいながら自分のクラスへと帰って行く。
私は幸せだと思う。

子どもたちに何かを教えたいと思ったとき、教える人間が楽しくなければいけないと思う。
子どもたちは、先生は本当に教師として仕事を楽しんでいるかを見ている。
子どもたちは暗い先生をお手本にして学ぼうとは絶対にしない。
楽しそうに授業をしている先生の言うことは、たとえ厳しいことでもちゃんと子どもたちはきく。
子どもたちは厳しいことを言うから聞きたくないと思っているのではない。
厳しいけれど楽しそうに生きて、うらやましいと思える人の話は真剣にきく。
幸せな人は未来のある人でもある。
未来に対して挑戦し続ける人は輝いてみえる。
成長し、自ら学ぶ教師のみが「先生」と呼ばれるにふさわしい。

教育が夢を語り、未来を語る営みである以上、まず教師がチャレンジすることで成長し、学んでいることを見せなければならない。

saitani