飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

夏休みに読書を

2024年08月12日 08時24分12秒 | 教師論
夏休み入り、ようやくお休みもとれるようになってきた。
夏季休業と言っても、お休みなのは子どもたちだけで教員には休みはない。
強いて言えば、お休みが子どもたちがいないぶん、比較的取りやすいというだけの話である。
このあたりをいまだに勘違いされている世間の方も多い。
ここでマイナスをとりもどすという考え自体がいけないとは思うが、普段先生方は一日休憩時間なしで働いている。
日課に休憩時間は位置づけられてはいるが、校外に出ることは理論上は可能だが、実際には不可能である。
そんなトイレにも自由にいけない、子供の安全上、お昼も満足に食べる時間がない、そんな毎日を年間200日過ごしている。
おまけに残業はしないほうがいいに決まっているが、しないと仕事がまわっていかないことも事実なのである。
だから、夏休みくらいは自由に年休をとって休んでもらいたい。
できれば2週間位まとめて休みを取った方がいい。
いろんなことができる。
旅にも行ける、人にも会える。
そして、普段読めない本も読める。

先生方には、ぜひこの夏休みは読書に取り組んでもらいたい。
それも、普段なかなか読めない本がいい。
それは好きな小説でも、啓発本でもいい。
古典にもチャレンジして見るものいい。

以下引用。

真の読書というものは、自己の内心のやむにやまれぬ欲求から、ちょうど飢えたものが食を求め、渇した者が水を求めるようであってこそ、初めてその書物の価値を十分に吸収することができるのであって、もしそうでなくて、研究発表だとか、あるいは講演に行かねばならなくなったからなどといって、急にあちこちと人に聞き回って読んだような本からは、同じ一冊の本を読んでも、その得るところは半分、否、三分の一にも及ばないでしょう。

そこで今諸君らにしても、いやしくも自分の前途を展望して、将来ひとかどの人物になって活躍しようと思うなら、今日から遠大な志を立てて、大いに書物を読まねばならぬでしょう。
それというのも、一人の人間の持つ世界に広さ深さは、要するにその人の読書の広さと深さに、比例すると言ってよいからです。

しかるに研究発表会を命ぜられるや、急にあわてて友人のところを尋ね回ったり、それでも手に入らないで、俄注文の書物をあわてて読み出してみたところで、それが果たしてどれほど身になり力になるといえるでしょうか。
だた哀れというばかりです。
もし諸君らにしてこのような惨めな哀れさに陥るまいと思うなら、今日から遠く将来を展望して、今後十年ないし二十年くらいの間に、教育者としての立場から、広く当代一流の人々の書物から、さらには有名な古典までも読破するという一大決心を打ち立てる必要がありましょう。

引用終わり。

自分を深める夏休みでありたい。

saitani