飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」「万里一空」「雲外蒼天」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

再会

2011年05月03日 23時28分46秒 | 教育論
ゴールデンウイークの後半である。
各地の高速道路は渋滞50km以上の予想がでている。
近辺の道も行楽地へ向かう車で混雑している。

この連休を利用して帰郷している友人も多い。
幼なじみの友人から電話をもらいあうことになった。
久ぶりに再会した友は、昔と全く変わらず、話し方やしぐさなども私の記憶のままだった。
近くにいても意外とあうことが少ないのが友なのかもしれない。
互いに家庭をもつようになると独身の頃とはまったく違う生活サイクルになり、ルーティンワークが多くなり、日々の出来事に忙殺されながら時間が流れていく。

高校時代に、仲間といった東北旅行、長野旅行、スキー旅行、どれも今でも鮮明に思い出す。
どれも青春の大切な記憶だ。
時代を刻んだという明確な記憶がある時間を共有した仲間だ。

何物にも代え難い友人。
ふと感じる。
大切なのは、友達という、いて当たり前の存在に感謝すること。
疑う前に信じること。
そして何よりも、
自ら友情を与えることなのではないのかと。

友情とは成長の遅い植物である。
それが友情という名の花を咲かすまでは
幾度かの試練・困難の打撃を受けて堪えねばならぬ。

時間を経て、さらに彼らとの友情の大切さを実感した。

saitani

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする