飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」「万里一空」「雲外蒼天」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

小学校校則

2008年07月20日 08時11分59秒 | 教育論
校則と聞くと現代なら、中学校や高校を思い出すだろう。
しかし、尋常小学校の頃は「小学校校則」というものがあった。
最近読んでいる本に、次のようなことが書かれていた。

現代は、自由や子どもの自主性のもとにあいまいになっている点が多くある。
こどもの自主性をのばし、自己判断できる人間を育てることは大切なことであると思う。
しかし、年齢に応じた教育姿勢というものがあっていいと思う。

昔、学校は勉強を教える場であると同時に、子どものわがままを直す場でもあると考えられていた。
だから、どの時期に何を身につけさせるかが明確であり、教師を含めた大人が子どもにとって何が大事かがほぼ意思統一がされていた。

教室に立たされるという行為は現代でもある。
これは法律上、懲戒にあたり、まったく問題のない指導の一つである。
小学校校則に中にはこの立たされる時間が、懲らしめの度合いによってきちんと決められていた。

遅刻、忘れ物、私語、枝を折る、木に登る。
これは10分間。
先生の指示に背く、勝手に家に帰る、他人のものを壊す、建物を傷つける、相手をののしる。
これは20分間。
そして、もっとも重い懲らしめをうけるのは他人に対する行為である。
他人をたたく、なぐる。
他人を困らせたり、苦しめたりする。
他人と口論をする。

もちろんこのきまりの運用は様々な事情を斟酌した上で、教師が決めると言うことも書かれている。

教育においては明確な方針や指標は必要不可欠なのではないだろうか。

saitaini

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仕事の原点

2008年07月02日 21時34分26秒 | 教師論
何事にも「あそこが今の出発点だったのかな。」「現在の仕事の原点だったのかな。」と思える瞬間がある。
最近はそういう純粋な思いなしに仕事をしている方もいると知ったが。

今日は社会科見学で、消防署の施設を見させていただいた。
そのときの一こまである。

案内役の青年はレスキュー隊のオレンジの服に身をつつむ若き消防士だった。
一通り見学が終わった後、子どもたちの質問を受けた。
そのときある子が次のようにきいた。
「今まででつらいと思ったときはどんなときですか。」
質問した子はもちろんのこと、まわりの子どもたちも、「24時間態勢で仕事をするのが疲れる」とか「休みがないのがつらい」とか、そんな答えを予想していたに違いない。
その若き消防士は、真顔で次のように子どもたちの語りかけた。
「自分は、消防士になって6年目になりますが、初めて火事の現場へ立ったときのことは今でもはっきりと覚えています。そのときまで厳しい訓練をこなし、学校で様々なことを学び、一通りのことはできると考えていました。しかし、消防士になり、火事の現場に立って消火活動にあたろうとしたとき、体がふるえて何もできなかったのです。学校でならったことも訓練したことも何も役に立たなくて、いかに自分が無力で、情けない人間かということを思い知らされました。6年たった今でもその自分の無力さを思い出すときとてもつらく思います。」
この消防士の言葉の意味を子どもたちがどれだけ理解できたかわからない。
しかし、自分にはよくわかった。
そして、私はこの若き「消防士の原点」をみたような気がした。
この消防士の原点がある限り、必ずプロの消防士になると思った。

プロとはそういうものだ。
自分は無力であると自覚したときから、本当の成長が始まる。

saitani

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