12月の下旬、下田を訪れた。
下田は3回目の訪問であるが、新たな発見が多くあった。
吉田松陰に関する足跡が多く残る街であるが、松陰が滞在した日数はわずか数日だったようだが、多くの影響をもたらした。
この踏海事件がなければ、松下村塾もなかったと言える。
長州の萩には20年ほど前に一度訪れたことがある。
ここも幕末の息吹を肌で感じられる土地だが、なんと言っても印象深かったのは松陰神社の松下村塾である。
わずか数畳の部屋から、多くの英傑を輩出した塾である。
その松下村塾の書面の竹に刻まれた言葉が、「松下村塾聯」と言われるもので松陰27歳のときの言葉である。
「万巻の書を読むに非(あら)ざるよりは、寧(いづく)んぞ千秋(せんしゅう)の人たるを得ん。」
「一己(いっこ)の労を軽んずるに非ざるよりは、寧んぞ兆民の安きを致すを得ん。」
たくさんの本を読んで人間としての生き方を学ばない限り、後世に名を残せるような人になることはできない。
自分がやるべきことに努力を惜しむようでは、世の中の役に立つ人になることはできない。
魂に響く言葉である。
saitani
下田は3回目の訪問であるが、新たな発見が多くあった。
吉田松陰に関する足跡が多く残る街であるが、松陰が滞在した日数はわずか数日だったようだが、多くの影響をもたらした。
この踏海事件がなければ、松下村塾もなかったと言える。
長州の萩には20年ほど前に一度訪れたことがある。
ここも幕末の息吹を肌で感じられる土地だが、なんと言っても印象深かったのは松陰神社の松下村塾である。
わずか数畳の部屋から、多くの英傑を輩出した塾である。
その松下村塾の書面の竹に刻まれた言葉が、「松下村塾聯」と言われるもので松陰27歳のときの言葉である。
「万巻の書を読むに非(あら)ざるよりは、寧(いづく)んぞ千秋(せんしゅう)の人たるを得ん。」
「一己(いっこ)の労を軽んずるに非ざるよりは、寧んぞ兆民の安きを致すを得ん。」
たくさんの本を読んで人間としての生き方を学ばない限り、後世に名を残せるような人になることはできない。
自分がやるべきことに努力を惜しむようでは、世の中の役に立つ人になることはできない。
魂に響く言葉である。
saitani